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高校バスケ部の指導で「ほんとうに強いチームに必要なもの」に気づいた話

ぼくは「福島ファイヤーボンズ」というBリーグのバスケチームでヘッドコーチをしています。

ファイヤーボンズは、東日本大震災をきっかけに立ち上がった福島のプロチームです。今季は惜しくもプレーオフ進出が叶わず、悔しい思いをしました。ずっと支えてくれているファンの皆さんのためにも、来季はファイヤーボンズをもっと「強いチーム」にしていきたいと思っています。

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注1、2020-21seasonはプレーオフに進出し、第3戦までもつれるも敗戦。
    終了後に、福島ファイヤーボンズを退団。
注2、2023年1月現在は、西宮ストークスでヘッドコーチをしています。

では「強いチーム」って、そもそもなんなのでしょうか。

ただ試合に勝つことだけを考えているチームが、果たして「強いチーム」なのか。もちろん、勝利にこだわるのはとても大事です。でもただ勝つことだけを考えていると、下手をすれば「軍隊」のようなチームになりかねません。

選手がイキイキとプレーできる「ほんとうに強いチーム」をつくりたい。ぼくがそう強く意識するようになったのには、あるきっかけがありました。今回のnoteでは当時の経験と、ぼくなりのチームづくりについて書いていきます。

体罰事件の起こった高校に派遣された

ぼくの指導者としてのターニングポイントになった経験があります。

それは8年前(※注3)、大阪市立桜宮高校という高校のバスケ部を指導したことでした。桜宮高校は当時、体罰問題に揺れていました。バスケ部の顧問による体罰を苦に、ひとりの生徒が自ら死を選ぶという事件がおこっていたのです。

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注3、体罰事件は2012年12月末に起こり、発覚したのが2013年1月8日。
     ※ 2023年1月現在、約10年前になります。

事件が起こったのは、12月末のクリスマス頃。それが公になったのが1月8日、始業式の日です。それから学校にはマスコミが殺到し、どんどん事が大きくなっていきました。一時期は「日大のタックル問題」ぐらい、連日ワイドショーで取り上げられていたんです。

すると市の教育委員会から、当時ぼくが在籍していた「大阪エヴェッサ」というチームに打診がありました。「プロチームの指導者に、桜宮高校で体罰に頼らない指導を実践してほしい」と。それでオーナーから直々に「森山、行ってこい」と言われて、ぼくが派遣されることになりました。

事件のあと残された生徒たちを、2月からぼくが教えることになったんです。

どうしたらいいかわからなかった

当初は、事件がフラッシュバックしてしまって、体育館や学校に入れなくなっているような生徒もたくさんいました。

「あの子の死を防げなかった」
「自分たちのせいで、ほかの部活の生徒にもすごく迷惑をかけた」

そうやって、生徒たちは勝手にどんどんいろんなものを背負い込んでいきます。初めてそんな生徒たちの前に立ったとき、ぼくは正直、なんて声をかけていいのかすらわかりませんでした。

想像を絶する経験をした子どもたちに、当時29歳だったぼくの人生経験で、なにが言えるというんでしょうか。内心「言われたから来てるんですけど……」と思ってしまいました。生徒との向き合いかたなんて到底わからず、途方にくれました。

「強いチーム」だった桜宮高校

桜宮高校は、もともと大阪ではすごい強豪校でした。

過去には全国大会にも出場するほどの強いチームだったんです。バスケをやりたい中学生が、みんな桜宮高校を目指すようなレベルです。

厳しいチームだったので、生徒たちはみんな「しつけ」のような部分はすごくできていました。あいさつもするし、部活のリュックはものすごくきれいに並んでいる。脱いだものは全部たたんでそろっているし、集合はダッシュで来る。

でもぼくはそれを見て、すごく違和感がありました。

もちろんあいさつや掃除はいいことです。でもそのときの生徒たちは「先生に怒られるからやる」という感じで、意味を理解しないままやっていたんです。

実は体罰をした先生は、もともとすごく実績のある人でした。何度も全国大会に出場していたり、アンダー18の日本代表に選手を輩出していたりしていた。そんなカリスマ的な先生だったからこそ、生徒たちも「先生の言うことが絶対だ」と思ってしまっていた。そして体罰や「言葉の暴力」によって、「先生に怒られないようにする」ことが、身体に染みついてしまっていたんです。

最初のうちは、機械と話しているような感覚になる子もいました。まったく感情を表に出さず、心を開かない。「自分の意見やアイデアよりも、先生が言うことが100%正しい」と思っているように、ぼくには見えました。

自分の意見を言葉にすることを、あきらめているような状態だったんです。

57人の生徒の名前を3日で覚えた

そんな生徒たちの心を溶かすために、自分になにができるのか。

ぼくは「とにかく全力で寄り添うしかない」と思いました。事件の当時に生徒のそばにいたわけでもないけれど、とにかくこれからの9ヶ月間は、一人残らず寄り添っていく。自分にできることはそれしかないと思いました。

そのために、まずは「全員のことを名前で呼ぶ」と決めました。57人の生徒の顔と名前を、3日で全員ぶん覚えました。

ただ、ちょっと予想外なことがありました。

覚えないといけないのは、本名だけではなかったんです。女子バスケの風習のようなもので、1人1人に「コートネーム」というあだ名がついていました。しかもそれは、本名とまったく関係ない名前です。

先輩から雰囲気やプレースタイルを見てつけられるもので、「流れるようなパスをするから、あなたはリュウね」みたいな感じなんです。おなじ「流」という字なのに「ルイ」と読む子もいたりしました。これを覚えるのにはかなり苦労しました。

なんとか全員ぶんの名前とコートネームを覚えて、そこからはずっと名前を呼んで指導していきました。

体罰や恐怖ではなく、自分たちの意思で勝たせたい

そうして少しづつ、生徒たちと話をしていきました。

するとみんな「大好きなバスケをもう1回やりたい」「また試合をしたい」と口にするようになりました。「亡くなってしまった子のためにも、試合に勝って全国大会にいきたい」と。

ぼくは「この子たちに、またバスケをさせてあげたい。体罰なんて関係なく、自分たちの意思で試合に勝つことで、自信を取り戻してほしい」と強く思いました。

全国大会の予選までは2ヶ月を切っていました。実践の技術的な練習もしていかないといけない。でも、その前にまずは生徒と対話をして、これまで染みついてしまった考え方を変えていく必要がありました。

「思考停止」させないためにやったこと

ぼくが指導の中で大事にしたのは「どうすれば、生徒が自分で考えて行動できるか」ということです。

生徒たちはこれまで体罰の恐怖によって、自分で考えることをやめていました。あいさつも掃除もプレーも「思考停止」してやっているような状態でした。そんな生徒たちにいきなり「自分で考えなきゃダメだ」といっても、どうしたらいいかわからないでしょう。

そこでぼくがやったのは「大きなルールだけを決める」という方法です。

チームに共通する「大きなルール」は決めます。でも、それにガチガチに縛られるのではなく、そのルールの中で、自分で考えさせるようにしたのです。

「自分たちができることはなにか」をルールとして示してあげる。そのなかで「選択肢」として、できることの引き出しを増やす。そして「その引き出しをどのタイミングで開けるかは、ルールの範囲内で自分で考えて、選びなさい」と伝えていきました。

「イチから考える」ではなく「選択する」。そうすることで、自分で考えるのに慣れていなかった生徒たちでも考えやすいように工夫しました。

選択に必要なのは「言葉にすること」

ただ「選択させる」だけでは、まだすこしだけ足りません。

「選択する」ことには、責任がともないます。それは「なぜその選択をしたのか、自分の言葉で説明する」という責任です。

だから「選択する力」を身につけるときには、同時に「言葉にする力」も必要なんです。

そこで、ふだんの練習の中で生徒たちに「これ、なんでこうしないといけないと思う?」「今までこうしてたけど、なんのためにやってたんだろう?」と問いかけていきました。

急かすわけでもないし「言えないからダメ」というわけでもない。「言えるときに言ってほしい」と伝えました。そうやって、だんだんと自分の考えを言葉にする文化をつくっていったんです。

言葉にするのは、選手の必須スキル

ぼくはよく「言葉にするのも、選手のスキルだよ」と言っています。

スポーツをやっている人で「体で表現するのは得意だけど、言葉にするのは苦手」という人は多いかもしれません。シュート・ドリブル・パスなどは、バスケの技術として扱われます。でも「言葉にする」のも大事なスキルのひとつだということは、意外と見落とされがちです。

バスケはチームスポーツです。たとえばパスのミスがあったとき、その原因は「受け手」と「投げ手」のどちらにもあります。ディフェンスがうまくいかなくて、相手に点を取られたなら、それはチーム全体の戦略やルールの問題です。

だから「パスのタイミング、もう少し早くしよう」とか「なんであのディフェンスじゃダメだったんだろう」といって、お互いにコミュニケーションを取らないといけません。そうしないと、チームは強くならないんです。

でも「声を出して、チームメイトになにかを伝える」ことができない選手もよくいます。「恥ずかしい」「声が小さい」「なにをしゃべっていいかわからない」など、理由はさまざまです。

たしかに最初は怖いかもしれません。そういう人は、とにかく「声を出す」ことに慣れるのが大事です。仲間からのパスが欲しいときに「はいはいはい!」と叫ぶとか、最初はそういうことからでいいんです。生徒たちにも、そういうふうに伝えていきました。

自分たちで「円陣」を組むようになった

すると徐々に、生徒たちも変化していきました。

試合や練習の合間に、円陣を組んで集まることが増えたんです。

練習中にミスが続いたら、キャプテンの子がチームメイトを集めて「いまの、なにがいけなかったと思う?」と、自分たちで話し合うようになりました。

以前の生徒たちなら、すぐに先生に答えを求めてしまっていたでしょう。でも最終的には、もうぼくがなにも言わなくても、そうやって生徒たちだけで原因を見つけ、改善できるようになっていました。

自分で選択すること。そして、自分の考えを言葉にすること。

ごくごく当たり前のことです。でも、それがほんとうに当たり前の「文化」として根付くことで、チームの雰囲気は劇的に変わるのだと思いました。

逆風のなかの復帰試合

そうして、いよいよ大会の日を迎えました。

当時は、学校にずっとマスコミが張っているような異様な状況でした。大会の当日も「自殺者がでた部活の子どもたちが、公式戦の1回戦に臨むらしい」と、野次馬がたくさん見にくるぐらい注目されてしまっていました。

悲しい話ですが、周りには敵も多かったです。あんな事件があった桜宮高校が全国大会に行くことに対して、ネガティブな人達もたくさんいた。そんななかで生徒たちは健闘し、ベスト4にまで残りました。そこからは、チーム総当たりのリーグ戦になります。

大事な決勝リーグ。ところがその直前に、思わぬトラブルが起きました。

チームの主力選手が、決勝の試合に出られなくなってしまったんです。

エースが決勝に出られない

というのも、チームのエースだった生徒が、決勝直前に3人制バスケットボールのアンダー18大阪代表に選ばれたんです。その試合の日程が、チームの決勝の初戦とかぶっていました。

本人は「代表試合に行く。チャレンジしたい」と言っていました。それでぼくは、残りの生徒たちに「どうする? チームとして、彼を送り出せる?」と投げかけました。

すると揃って「大丈夫です。あいつが代表試合に行ってるあいだ、ぼくらはこっちで絶対に勝ちますんで」というんです。

体罰事件によって「桜宮高校」の名前は変に注目されてしまっていました。エースの生徒が出る大会でも、きっと「あの桜宮高校の選手だ」という目で見られます。それもわかったうえで、生徒たちは「桜宮高校の代表だと思って、胸を張って戦ってきてほしい」と言ってくれたんです。

正直、びっくりしました。チームの勝利のことだけ考えたら、エースが抜けるのは痛いはずです。以前の生徒たちなら、部活のチームが勝つことしか考えられなかったかもしれない。そのやりとりを見たとき「ああ、この子たちならもう大丈夫だな」と思えたんです。

そして迎えた大会決勝。結果は1勝2敗、府で3位でした。

全国大会にはいけませんでしたが、1位、2位のチームとはワンゴール差で、すごく惜しい試合をしてくれました。勝たせてあげられなかったのは、当時のぼくの力不足ですし、すごく悔しかったです。でも生徒たちは、本当に最後までよく頑張ってくれました。

卒業後もバスケを続けてくれている生徒もいます。実は当時のマネージャーとは、福島ファイヤーボンズにスタッフとして関わってくれて再会できたんです。つらい経験をしてもそれを乗り越えて、バスケを嫌いにならずにいてくれたことが、なによりもうれしかったです。

プロへの指導方法も変わった

桜宮高校での経験は、いま福島ファイヤーボンズの指導にも活きています。

ぼくはそれまで、指導者としてはどちらかというと短気なほうでした。選手にも「なんでできないの?」と言ったりするようなタイプでした。でも、あのとき桜宮高校の生徒たちを前にして、それまでの考え方を変えざるを得ませんでした。

選手としっかり対話し、自分で選択させることが重要だと気づいたのです。

それからは一方通行のコミュニケーションにならないように、ぼくも思っていることは伝えるけれど、選手の考えていることもきちんと聞くようになりました。「大きなルール」はしっかり伝える。ただ、そのなかでどのように自分のパフォーマンスを発揮するかという「選択」は、選手に委ねる。

桜宮高校でおこなったチームの作り方は、いまでも続けています。

全員で勝って、全員で負ける

ファイヤーボンズで共有しているフィロソフィーがあります。「全員で勝って、全員で負ける」というものです。

バスケの試合では、残り10秒のシュートで勝敗が決まったりすると、どうしてもそこに目が行きがちです。でもそうではなく、その前の39分50秒のプレーすべてに責任があるとぼくらは考えています。残り10秒のシュートを外して負けてしまったのなら、その責任は選手本人はもちろん、チーム全員で一緒に背負うと決めています。

このフィロソフィーは、どの選手に聞いても間違いなく言えるぐらい、チームに浸透しています。そうやってきちんと「大きなルール」が共有できているからこそ、そのなかで一人一人が自分で考えてプレーできるのだと思っています。

「ほんとうに強いチーム」とはなにか

ほんとうに強いチームってなんなのか。正解はぼくにもわかりません。

ただ、桜宮高校での経験を通して思ったのは「体罰をうけて、先生が言うことを100%きくチーム」よりも、「迷ったときに立ち返れる大きなルールの中で、それぞれが自分で考えて行動するチーム」のほうが絶対に強い、ということです。

「誰かの言うことを聞く」のは、どこまでいっても受動的です。そういうチームは一見「統率が取れている」ように見えても、指示がないとまったく動けなかったりするでしょう。

選手が能動的に「選択」する。それは強いチームの必須条件だと思います。

そして「選択」の責任は、選手一人ひとりにあります。

もちろん、試合の勝敗の責任は指導者であるぼくが負います。でも、指導者が選手の「選択」の責任まで負ってしまい、すべてを管理しようとしてしまうと「体罰でいうことをきかせる」といった、まちがった方向に進んでしまうのだと思います。

だからこそ選手には「選択の理由を言葉にする力」が必要です。そして指導者は、選手の言葉を吸い上げられるようなコミュニケーションをとる必要がある。そして迷った時に立ち返れる「大きなルール」を示してあげないといけません。

そうすることで、体罰や言葉の暴力に頼らなくても「強いチーム」をつくることができると思っています。

まだまだ未熟ではありますが、いまは桜宮高校での経験をいかして自分が指導するチームを「ほんとうに強いチーム」にしたいと強く思っています。それが、ぼくに指導者として大事なことを気づかせてくれた、生徒たちへの恩返しにもなると信じているのです。

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