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絶対的存在②

(絶対的存在①続き)

かつての
双子の女子とおままごとをしていた僕は
どこにもいなくて、

絶対的存在に
どう対処していいのかも
わからなくなっていた。

そんな僕だけど、
独立して

女性のクライアントとなる人たちが
自然といた。

それは、
ほとんどの人たちが

子育てのママで

当然、当時子育てパパだった僕は
同年代か
もしくは少し年下か

自分の年の近い人たちなんだけれど、

いずれにしても
子育てママということ。

多分、より母性が
強い時期の女性ということなのか?

それに、

何かを頑張ろうとしていて、
何かを行動したいと思っている人たち。

もちろん、
何かを得たいと思っているんだけれど、

本当はもっと輝けるのに、
というかもっと素晴らしい才能や
そもそもの輝きがあるのに、

どういうわけか
自分ではそう思えていない人たち。

僕は根本的にDNA的に本能的に
女性の絶対的な素晴らしさに
盲信しているのかもしれない。

そんな中で、

僕に憧れを持ってくれたり
僕を信じてくれたり
僕の語ることに共感してくれる人たち(女性)が
いたんだけれど、

一方僕はというと、
自然に、
「あなたはもっと凄いでしょ。」と

思えている。

根底の部分で
性別のところで、
女性だからと言ってしまっては、

なんだか
ある意味、この社会で問題がありそうな
意見だけど、

男性であり、
母性の懐の深さのような
絶対的なものを
感じている僕としては

この人の助けになりたい
と自然に思わされる
従属の抗えないプログラムが
あるようにも思う。

もちろん、
その中でも「合う」「合わない」ということは
あるのだけれど、

どうやら、
「さあ、これから。」というのが
見える人に、
特にそれを感じるのかもしれない。

出会うべくして出会い、
この人のための出番が来た、という感じ。

というわけで、
最近出会ったこの人とも
急激急接近なのは、

そういう直感的なことかもしれない。

そして、
かつてのサバイバルを降りた僕は

純粋に自分の能力を
役立てる相手が
こういう感じの人、ということが

ガッチーンと(何かがハマる音)
わかった。

事実、過去にそう思えた人の
コーチとしてのサポートや、
その人が得たことは、

僕にとっても
心が震える記憶になっている。

もともと信じられているから、
相手もそのうち信じられるようになり、

僕が疑わず
信じたことで創造がはじまり、

その人もそれを信じ始めて
創造し始める、というようなことで

結果的に

それは
奇跡のような結果をもたらしたりする。

これを最近、
「共同創造」という理解に至った。

ママでも、
パパでも、

この子は何があっても大丈夫と
信じられていたら、

子どもはそれを信じ始める。

事実、うちの4人の子どもたちはそうだ。

共同創造をし、
何があっても大丈夫なんだな、

という信念が形成される。

これは、コーチングの理論でも
そう言っているし、

コーチは
相手のことを信じられる在り方ということが
結果、クライアントが劇的に変化することを
目撃することになる。

これは、コミュニケーションのスキルではなく、
在り方ということで、

実際に、相手の可能性を
高く評価して、疑いなく信じられている、
ということだから、

スキルを学んだところで、
その在り方というのは別の話なんだ。

というわけで、
最近出会い、
意気投合し、
急激急接近したコーチ仲間の
この女性というのは、

その人にとって

根本的な理由で
絶対的に信じる相手が
現れた。という事になる。

僕だ。(と自負する)

それで、この人も
子育てママで、

同じ子育てママが得たいことを
実現している人なので、

当然憧れられる存在なんだけど、

僕は僕で、
「あなたはそんなもんじゃないでしょ、
もっと輝きを放てるのに。」

と直感的に
思えているものだから、

これが伝播し、
その人ももっと自分の可能性を
信じ始める、という

共同創造が起こっている。

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