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書けなかった想い、書きたくない想いをあえて残す効果。

今年9月からジャーナリングを始めて3か月になります。

noteでも以前書いたかもしれないけれど、

頭の中をぐるぐるしてる思考はたくさんあるはずなのに
それを紙にのせてみよう
外にいったん出してみよう、って

実は、人間、なかなか思えないものだったりするんですよね。

誰にも聞かれない独り言のはずだし、
誰にも見られることないノートにさえも、

「いやいや、書いたら自分で見えちゃうじゃん!」

「脳の中でぐるぐるしてる思考を自分で認めるのもいやなんだよう!」

とばかりに、なかなか書き出せなかったりするもので。

そしてそして、
そんな状態が【悪い】ということでもなく、
いま私は書き出したくないんだな~と思っている、
と自己認識できた
ということなのですよね。

(これは、伴走してくれているコーチに言ってもらって、やっと「あぁそうか」と私自身気づけたことでもあるのですが)

どんな自分でも責めなくてよいんです。

ただ自己認識するだけでよいんです。
あぁ~そう思ってるんだなぁわたしは、と。

もう、それで良い。バンバンザイ。

…と言われても、

無意識に
ここから自分を責めちゃうことも
実はよくあることだと思うんですよね。

「こんなふうに思っちゃダメだ」

「こんなこと考えてるなんて…ダメダメ!」

「こういうこと考えてるから自分はダメなんだ、そういうとこなのよ!」

みたいに。苦笑

(これは私のパターンだけど)


きっと、

「私はこうあるべきなんだ、こうすべきなんだ」

「私は〇〇は絶対いやだ」

「絶対〇〇にはなりたくない」

こんなカチカチに固められた思いや理想を
かた~く握っているときや、
頑なに拒んでいるもの・遠ざけているものがあったりするときほど、

自分を無意識に責めちゃうことって
とても多いんじゃないかなって思ったりします。

たとえば、

「いい人間でありたい」
「正しくありたい」

と、無意識の "在るべき姿" を握っているとき、

自分がおもう "正しさ" から逸れる思考がよぎったり

"こう考えるなんていい人間じゃないよなぁ" なんて思考がよぎると

ものすごく否定したくなったりして、
そんな思考がよぎった自分を責める。

このループなんだろうなぁと。

こうやって
ループのなかで
ぐるぐると回り続けている自分に気づけるのが
やっぱり自分の中から外にだす、言語化すること。

これがひとつの手段なのですよね。

本音で話せる人に聞いてもらうもよし。

人に話すのがハードルが高ければ
もしくは人と話す機会がつくれなさそうであれば
ノートにただただ書き綴ってみるのもよし。

で、書き綴ろうとしてみたときに
咄嗟にわき上がってきた思いを、残す。

「…わ、これ、書きたくないわ」

「…なんか…ほかのことで書くことないかなぁ…」

こうやって思ったときが
きっと
ループから抜け出すチャンスが見えた瞬間なのですよね。

書けなかった想い、書きたくない想いをあえて残す効果。

もしかしたら
無意識に自分を責め続けていることに気づき、
無意識に握ってきた価値観に気づき、
ループから抜け出すチャンスにできるかも。

こう思えたら、
ちょっといやだけど
自分のために書いてみるのもいいかも、って
思えそうじゃありませんか?笑


ひきつづき、ノートに書き綴っていくこと、私も続けてみようと思います。

まだ会ったことのない自分に出会って
無意識に自分を責めてることに気づいてあげて
もっと心地よく息が吸えるように。

もっと私らしく、自由に軽やかに生きていくために。






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