ピンヒールと価値観・プログラム

昨日、スーパーからの帰り道で道端の花壇に片足を乗せて、何やら見慣れない所作のお姉さんがいた。その女性とすれ違う前に「うん?」と思って、すれ違うまでを観察すると、どうやら8㎝ぐらいのピンヒールを履いていて靴ズレになったらしく、絆創膏で処置をしているところだったらしい。

最近はペタンコ靴しか履かない私は、『靴ズレって痛いんだよね~。どこまで歩くつもりなんだろう?8㎝ピンヒールはさすがに辛いよね~』とお姉さんの足を案じていて思い出しました。

その昔、30年前ぐらいの大昔、私も靴ズレを恐れずピンヒールを履いていたこと。

履き心地よりも、トータルバランス重視でその時代に流行った、履くだけでバランスを崩してしまいそうなピンヒールを履いていました。

歳を重ねて、見た目よりも機能性が大事なこと、ペタンコ靴でも素敵な着こなしの大人がいること、流行りのバカ高いピンヒールは来年には履けなくなることなどを学んで、今は居心地のいいペタンコ靴になったのでした。

道端で靴ズレを処置している女子をみて、『そないに高いヒール履かんでも~』と思えるのも、自分自身がその昔、高いヒールを履いて痛い思いをして、居心地のいいペタンコ靴に移行したからであって、そのプロセスがないと、見慣れない光景にただ「うん?」と通り過ぎていたかも。

見た目重視で痛いピンヒールを履くことは、ペタンコ靴に移行した人からすると視野の狭い発想なのかも知れないけど、視野を広げるために必要なプロセスなのではないかと思ったのです。

もっと視野を広げたら、一番居心地いいのは裸足なのかもですが、裸足で外界のアスファルトを歩くとガラス片を踏んでケガをしちゃうかも知れない、硬い革靴を履いた人に踏まれるかも知れない、時代にあった速度で歩けないかもしれないと考えると、外界を裸足で歩くことは危険がイッパイです。

外界に出るときには、そのときの自分にあった靴というプロテクターが必要です。そして、今の私が大昔履いていたピンヒールを履いてしまうと、それ自体が危険で不自由なことになります。

これって、価値観・プログラムも同じだと思うのです。

大昔に身に付けた「~ねばならない」「~すべき」という価値観・プログラムを居心地が悪くなっているのに握りしめていると、その価値観・プログラムが危険で不自由なものになる。ですが、価値観・プログラムを排除してプロテクターがない状態も危険で不自由。

今の自分にあった居心地のいいプロテクターを身に付けるためには、握りしめている価値観・プログラムに気づく必要があります。なぜなら、気づいていないと、自覚がないと変化できないからです。

そんなこんなで、自分の価値観・プログラムを探求しませんか?というご案内です(←長い💦)

第4回「3日間で学ぶレジリエンス思考術セミナー」お申込み受付中!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?