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心に鳥居を建てる  〜習慣化の先に見つけた境地〜



「習慣は才能に勝る」と思っています。

ていうか、ほんと言うと才能の差なんてないんだろうと思ってます。
そう、習慣一択。

同じように生まれ落ちた100人の赤ちゃんを、100通りの違う大人にするのって、才能の違いではなくて、生活習慣の違いなんだろうって思ってます。

大谷翔平ほどの才能に恵まれたら、どんなに良かったか!
1000億円を超す契約を勝ち取った彼を見て、そう思った人も多かったのではないでしょうか。

僕は、大谷翔平ほど習慣を大切にしている人はいないんじゃないかと思ってます。
でも、それが大谷の真実だなんて力説するつもりはさらさらなくて、、、、
だって、証明できないから。
大谷翔平の人生は一回きりで(ていうか、みんな人生は一回きりで)、条件を変えて生き直してみる、みたいなことはできないから。

「大谷は才能に恵まれたんだよ!」と言ってる人にとってみても、それは大谷が出している結果を見て、あれだけの結果を才能もなしに産み出すのは無理に決まってると思ってるに過ぎないと思うから。

もう、これは根拠を示しあっての論争というのが無理だから、神学論争なんだと言っておきます。笑
「私は、人間は習慣で決まると思ってます」
あなたは、
「人間は、才能で決まると思ってる」
と。
もう、どっちをが正しいかではなくてどっちを信じるかという神学論争。笑
大谷が習慣で成功した証拠も示せないし、才能でのしあがったという根拠も示せない。

ついでの話ですが、僕はイチローも天才だとは思っていません。
ルーティンを守り抜く希代の頑固者。つまり習慣の男。

大谷翔平の真実、とか、本当のイチロー、とか言うつもりはなくて、
「私はそう考えている」というだけの話です。



そう考えるようになったのは、こんな体験があったからなんです。

保健指導、って聞いたことありますか?
健康診断でコレステロール値が(H)Hな人って意味じゃないですよ(笑)、数値が正常値より高いという印(H)をつけられると、保健指導の対象になるんです。

で、後日保健師さんからアンケート用紙が送られてきます。
検査で正常値を上まわる高い数値が出ましたけど、生活習慣の改善に取り組む意欲はありますか?みたいなアンケートが。

それに「大いにあります」みたいに書いて返送すると、今度は電話がかかってくるんです。
「もしもし、保健師の斉藤(仮名)です。一緒に生活習慣の改善に取り組んでいこうと思いますが、よろしいですか?」って。
優しい女性の声でした。

「ぜひぜひぃ〜、頑張りますので、よろしくお願いします」
みたいな返事をして「指導」は始まりました。

「食事の習慣をどんなふうに見直していきましょうか?」
とか
「現在、やられている運動とか、あります?」
みたいなやりとりをする。

「なんか、習慣を見直すって約束もしちゃったし、飲みに行った帰りの締めのラーメンは止めとこう!」
とか
「チョコザップと契約したけど、全然行けてないから、今度行ってみよ!」
みたいな、誰でも思いつきそうな、これと言って大した努力も工夫もいらないことに取り組んでみよう!みたいな決意をして伝えるわけです。


で、忘れた頃に保健師さんから突然電話がかかってくるんです。
「その後、いかがですか? 締めのラーメン止めるって言ってましたけどいかがですか?」
「チョコザップに行くって言ってましたけど、行けてますか?」
みたいなことを聞かれる。

忘れた頃にかかってくるので、こちらも不意を突かれて
「いやあ、飲み会のあと大好きな味噌ラーメン食べちゃいました〜」
と正直に告白すると、保健師さんは最初の頃と何も変わらない優しい声で
「あーそうですか、味噌ラーメン食べちゃったんですね〜」
と叱るでも、咎めるでもなく、返事をしてくれて終わる。

そんなやりとりを半年くらい続けていると、何と!ちゃんと痩せてるわけですよ。
「一体、どんな魔法をかけたの!」って思いますよね。

保健師さんは、僕の行動を一切、否定的に見るようなことはしませんでした。
いつも、僕の言ったことを鏡のように「ラーメン食べちゃったんですね〜」みたいにフィードバックを返してくれた。

半年間の保健指導期間が満了した時、僕は体重も減り、腹囲も減って、血液検査をしたら、きっと正常値に入っていただろうと確信を持っていた。

それだけじゃなくて、僕はこの優しい保健師さんに一生面倒を見てもらいたい、とさえ思っていました。3ヶ月に一度電話をくれるだけでいいから。

正直に話しても否定されないこと、「ダメじゃないですか」みたいなネガティブなジャッジを一切受けないことで、すっかりいい気持ちになっていました。

仕事上のストレス、例えば上司にきちんと話を聞いてもらえない不満とか、部下が言った通りに動いてくれない不満とか、そういうものが自分が受け止めてもらえる場があるというだけで、知らないうちに軽減されていたことに気付いたんです。


で、これまで辞められなかったこと、例えば、飲んだ後に締めのラーメンを食べるみたいな、なかなか止められなかった習慣が、ラーメン屋のラの字すらなくなっていた。
「なんで今まで、酒飲んだあとにラーメンなんか食ってたんだろう?」
と思うようになっていた。

遅い時間に満腹で帰ったら、食べたものはみんなお腹の脂肪になってしまう。
それだけじゃない。寝ているはずなのに、睡眠中にも胃や腸は懸命に働いているから、疲れが取れない。睡眠の質も下がる。結果、寝起きが悪い。
朝食の時に食欲が湧かないから、朝食を抜くとお昼には結構お腹が空いて、天丼とうどんのランチセットみたいな、炭水化物✖️炭水化物的なドカ食い系のランチを頼むことになってしまう。


その上、睡眠時間が足りてなかったり、睡眠の質が悪くて、身体を動かすモチベーションが湧かず、運動することがめちゃくちゃおっくうになっていました。

運動が嫌いなわけじゃないし、体を動かすと爽快なことくらい、これまでの人生でいくらでも分かっている。でも睡眠不足やなんやかやで運動がおっくうになっていた。そんな自分が、
「今度の週末、ちょっと身体動かしてくるか!」
みたいに思えるようになってくるから不思議です。

まるで歯車が噛み合うように、足の裏でペダルにかけたエネルギーは面白いようにタイヤに伝達されて、人生という名の自転車をすいすいすすめてくれるんです。

受け止められた喜び、否定されない喜び、できたことは承認してもらえる喜びは、あちこちの歯車をちゃんと噛み合わせて、難しいと感じていた習慣を次々にできるようにしていってくれました。

寝る前4時間には物を食べない習慣。
お酒を飲んだ時ほどしっかり水分をとってから寝る習慣。
必要なだけ睡眠を取る習慣。
おかずがたっぷりあるきちんとした朝食を摂る習慣。
1時間以上椅子に座り続けない習慣。
あくびは脳が酸素を要求する生体反応と考え、あくびを噛み殺さず大きなあくびをする習慣。
炭水化物は控えめにして、口に入れる食品点数を増やす習慣。
筋トレがわりに、階段を上り下りする習慣。

いろんな習慣が、自動的に続けられるようになっていたんです。僕的には何の努力もしていない。全く頑張ってなんかいないんです。


習慣化が困難ではなくなったという経験を通して、僕が考えたのは、
小さな生活習慣の改善よりも、自分にストレスをかけないようにするための根本的な習慣は何だったのかを探ることでした。

保健師さんとのやりとりを振り返れば、それは紛れもなく
「話を聞いてもらえること」であり、
「受け止めてもらえること」であり、
「承認してもらえること」でした。

保健師さんの存在で、僕はそれに気付くことができたのだけれど、
「あの保健師さんに一生面倒をみてもらいたい」
という僕の願いは叶わなかった。(爆笑)

じゃ、どうすれば、僕は、聴いてもらえたり、受け止めてもらえたり、承認してもらえるのだろうか?

その答えを探すため、立場を逆にして、問いを立ててみました。
「僕は、どんな状態であれば、人の話をさえぎらずに聞き、人と自分を比べずに人をありのままに受け止め、相手の良いところを見つけて承認できるのか?」


その答えのヒントはマインドフルネスにあるのではないか?と思うようになったんです。
コーチとしてセッションをするとき、生徒に授業をする時、
自分の呼吸にフォーカスした瞑想を10分くらいすると、落ち着いてセッションに入れたし、こういうことをしたら面白いんじゃないか!といったアイデアがひらめくことがたびたびあったからです。

ライフハック的な生活習慣病の予防につながるような習慣を難なく続けていくためには、「習慣化を頑張る」んじゃなくて、自分のコンディションを整えるための習慣を持てばいいのではないかと気がついたんです。
本のタイトルを借りれば『習慣化は自己肯定感が10割』なんだろうと思ったわけです。

整うといえばサウナだけれど、家にサウナがあるわけでなし、日常的に取り組めることでなくては習慣化はできない。

そこで、取り組み始めたのがマインドフルネス、瞑想の習慣でした。

人と会う前、大事な仕事に取り掛かる前。
ほんの10分、深い呼吸に気持ちを集中して、何も考えず、何も思わず、深い呼吸だけにフォーカスすることを習慣にしました。


これは、思いがけず良い成果に結びついたのです。
大谷やイチローの話ではないけれど、瞑想をした場合としなかった場合で、結果を比較するということができないので、瞑想のおかげで上手くいったとは証明できないのだけれど、瞑想をするとイライラしたり感情的になったりすることが少なくなった気がしています。

この「瞑想の習慣」は、他の習慣を難なく進める上でもプラスの効果を発揮している気がするし、自分にとっては基幹的な習慣になったと思っています。

思う!としか言えないのがもどかしいけれど、例えばあのGoogleが、
『サーチ・インサイド・ユアセルフ 〜仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』で紹介してくれたように、マインドフルネスには、EQ(情動的知能=心の知能指数)を高める効果があるのです。



そして、さらに意外なことに、マインドフルネス(瞑想)の習慣は、僕に新しい習慣へのチャレンジの扉も開いてくれました。



それは、マインドフルネスをしたからこそ起きたことなのだけれど、
「感謝をする習慣」に目覚めたのです。

他人の話を聞き、受け止め、承認していくことは、時には簡単ではないこともある。
人の話を聞くより、自分の話をしたくなったり、自分の意見と違う意見を持つ人をばっさり切り捨ててみたくなったりすることもある。

そうならないようにするために瞑想をするのだけれど、もう一つの方法が「感謝」でした。

「あなたが感謝する10人の人に、なぜ感謝するか書き出してみる」といった煩雑な作業をすることで気が付けたことでした。

例えば、子供が言うことを聞かない、子供が自堕落に過ごしている、子供の言動が無責任すぎて見過ごせない、、、、、
そうしたことは、多くの親が子育てをする中で感じてきているのではないでしょうか。

そして、子供にそう感じて叱っている自分を、「親として当然」の行動をしていると正当化している自分に出くわします。

自分には子供がいるから、親の立場で子供の行動をあれやこれやチェックしているけれど、翻って自分が子供の頃はどうだったのか?

ここではつまびらかにはしないけれど、自分という親が、自分の子供時代を見たらどれほど嘆き悲しむか、想像しただけで笑いが込み上げてくるじゃあありませんか。笑

おい、ちょっと待てよ。
子供がいるから、親をやれてるんじゃないか!
子供がいるから、こどもの人生を応援しようと思ってるんじゃないか!
その子供から、「親だから」って失敗する権利とチャンスを奪ってやしないかい?

問いの矢印を自分に向けるだけで、子供に投げかけるべきは「小言」ではなくて「感謝」だろ!と、簡単に気付くことができたのです。

瞑想の習慣という素晴らしい習慣の果実をより大きなものにするためにも、言いたい小言はいろいろあれど、「敢えて感謝をするという習慣」をつけたら何が起きるのだろう?とワクワクしている自分が今はいます。



答えは、まだ出ていません。
しかし、僕にとって今、最も大切にしたいのは、毎日、あらゆることに
「敢えて感謝をしてみる習慣」です。

考えてもみてほしい。
正月に、実家に帰省したというだけで、能登半島地震に見舞われて亡くなってしまった方もいるんです。
平穏な毎日が続くことは、決して当たり前ではない。
そのことは、東日本大震災の時も感じたはず。
僕の実家は福島県にある。
当たり前の日常なんてない。生まれ故郷にいてきれいな空気を吸えることすら奇跡なのだと知ったはずではなかったか。

どんな結果に結びつくのかは分からない。
結びつかないのかもしれない。

そのどちらでもいいと思っている。

僕は今、ありとあらゆる人と出来事に「感謝を書き出してみる」という習慣を続けています。

僕はその習慣を「心に鳥居を建てる」と表現しています。

そう、神社に行ったときのように、鳥居をくぐる時に手を合わせこうべを垂れる。神域に入りご本尊の前で、日々の安寧や、周りの人の無事を感謝するように、自分を含めた周囲の人々や環境に感謝をする。

この習慣が自分に何をももたらしてくれるのかは分からないけれど、「日々の大切な習慣」として続けていきたいと思っています。

                           以   上

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