GIVEのマインドセット
近年よく聞くようになった「ギブ」という言葉。
有名な書籍も多数ありますが、漠然と「与えることはいいこと」くらいの捉えで落ち着いているように感じます。
しかし、与えることは果たして「自己犠牲」にならないのか。本当に「見返り」はあるのか。そんな不安もあるのではないでしょうか。
たしかに、ギブの心は大切そうだし、信用や価値が求められる時代に不可欠な要素であることは間違いなさそう。
だからこそ、一度立ち止まって「ギブ(与えること)」について考えを深めてみたいと思います。
今回は私がとても感銘を受けた以下の三冊をもとに述べていきますので、ギブについて知りたい、考えたい方はお付き合いください。
1 GIVEの利点
(1)長続きする人脈ができる
そもそも、どうしてギブが重要視されているのでしょうか。ギブ&テイクでいうテイクする側の方がよっぽど“お得”な感じがします。
『GIVE & TAKE』では、ギブする人をギバー、テイクする人をテイカーと呼び、以下のように書かれています。
テイカーは、自らの得を考えているため、その場ではいいように振る舞い、利益を手にするかもしれません。反対に、ギバーは表面上は損をしているように見えます。
しかし、長期的な視野で考えたときに、あなたはどちらとの関係を持続させたいと思いますか。
当然、ギバーですよね。後々テイカーの素性が分かり、信頼が持続することはありません。
後になって「頼りたいと思える存在」「困った時はお互い様だと言って助け合える存在」になるのが、ギバーです。
本の中で紹介されているフォーチュン誌の大規模調査によると、「アメリカで非常に有力な人びとと一番コネクションをもつ人物」に選ばれたのは、利他的に振る舞うギバーの人たちだったそうです。
長期的な視野で考えることがポイントで、私たちは決して、一時の成功でいいなんて思っていません。
持続する成功を目指しているからこそ、長続きする人脈やネットワークづくりが大切なのです。
さらに、今はSNSで情報が瞬く間に広がっていく時代です。当然、信用も悪評も伝播していきます。ギバーはより一層求められ、テイカーは底なしの沼へと沈んでいきます。
つまり、長期的な視野で考えると、ギバーは長続きする人脈やネットワークをつくれる利点があるといえます。
このギブによって構築されたネットワークは、まさしく『7つの習慣』で語られる「相互依存」の関係です。大きな夢や目標の実現を可能にするもの、それがギブです。
「相互依存」と聞いてピンとこない方は、ぜひ『7つの習慣』をお読みください。
(2)他者貢献と自己成長が両立できる
『あえて数字をおりる働き方』で、尾原氏はギブを以下の2つに分類しています。
両者に利点があります。
まず1つ目の、自分の内側にある力をギブする方法は、自分の能力や経験を生かして他者貢献するもの。
これができる人は多くの人から求められる人材になります。もちろん、お金をいただく仕事にもなるでしょう。
自分の能力や経験をアウトプットすることになるので、他者貢献でありながら自己成長にもつながります。
アメリカ国立訓練研究所の研究によれば、平均学習定着率の最も高い学習方法は、「他の人に教える」でした。
ラーニングピラミッドの図を見て分かるように、講義や読書などインプット重視の学習方法だけでは定着せず、討論や体験、教えるというアウトプットの作業が学びの定着には必要です。
つまり、自分の内側にある力をギブすることで、最も成長しているのは自分だということです。
2つ目の、相手の視点に立ってモノをギブする方法は、誰しも経験のあるプレゼントです。
尾原氏は、「相手の視点に立って」プレゼントすることに意味があると言います。それはなぜか。
自分にない相手の視点を獲得できるからです。
花をプレゼントするとしたら、いつもは気にしなかった花屋さんを調べますよね。
花屋に行けば、「どんな花だったら嬉しいだろう」「今どんな花が流行っているのだろう」「花言葉は何だろう」と思いをめぐらせることでしょう。
これが、自分にはなかった視点の獲得です。
花に限らず、形あるものないもの、プレゼントしようと思ったら自然と相手の視点を取り入れることになりますよね。
私は小学校の教員をしていて、研究主任という役割を担っています。その学校の先生たちの授業力向上や授業改善を推進していく仕事です。
そのため、授業力向上や授業改善につながる様々な情報を、他の先生たちに伝えています。これも相手の視点に立ったギブに当てはまります。
私は公開授業を引き受けてくださる先生に対して、どんな情報を提供すれば喜んでもらえるかと模索しながら、よく勉強しています。
自分の興味だけだったら獲得できなかった知見を得ることができます。そして、説明する必要性からより理解度を深めることもできます。
こうして、ギブを前提に学ぶことで、自分にはなかった視点を獲得し、自らも成長していくのです。
つまり、尾原氏が分類した2つのギブが示す利点は、どちらも他者貢献しながら自分を成長させていることです。
ここから、冒頭で述べた「与えることは自己犠牲にならないか」問題は解決できます。他者貢献と自己成長は同時に実現できるものだからです。
『GIVE & TAKE』で紹介されている4象限グラフを見て、私は開眼しました。
2 GIVEの原理
『世界は贈与でできている』で、近内氏は贈与(ギブ) を以下のように説明しています。
大切なのは、ギブが返礼であるということです。
受け取った後のお礼だとすれば、それは自己犠牲になりません。「お礼にこれをどうぞ」の行為を自己犠牲だと捉える人はいないはずです。
感謝の気持ちでギブすると、こちらも満たされます。
ただし、気を付けなければいけないことがあります。それは、決してそのギブが知られてはいけないということ。
みなさん、心の中でこんなこと思いませんでしたか。
え、どうしてギブが知られてはいけないの。知られないようにしたら、自分に見返りがこないじゃないかと。
ここが重要で、ギブがギブだと知られてしまうと、相手に返礼の義務を背負わせてしまうことになります。
そうなるとギブのつもりがギブ&テイク、つまり「交換」になってしまいます。
「やってもらったからには返さなくてはいけない」といった義務感によるやりとりが生まれてしまい、ギブの価値をなくしてしまうと言います。
だからこそ、ギブであることを知られないようにギブすることが大切なのです。
そもそもギブは見返りを求めるものではないのです。
では、ギブする側は結局、何も得られないのか。いえ、決してそんなことはありません。先ほどの言葉を思い出します。
贈与は受け取ることなく開始することはできないのです。贈与は返礼として始まるのです。
気づきましたでしょうか。
ギブする側は、ギブする前にすでに受け取っているのです。自分ばかりギブしているなんて思うのは、想像力の欠如だと近内氏は言います。
私たちは何気ない日常の中で、あらゆるギブを受けています。
・コンビニで当たり前のようにモノが買える
・喉が乾けば自販機ですぐに飲み物が買える
・暑ければ冷房、寒ければ暖房がある
・電車は時間通りに動いている
あげるとキリがありませんが、私たちは数えきれないほど多くのギブの上で生きています。
それにも関わらず、これらがなければ平気で文句を言ってしまう。きっとみなさんにもそんな経験があるのではないでしょうか。私も深く反省しました。
この原理に気づいたとき、私たちは身近な人はもちろん、世界中のさまざまな人たちへの感謝の思いをもち、改めて出会い直すことができます。
今度は自分がギブできるものはないだろうかと思いをめぐらすことができます。
そして、ここが重要なところ。
ギブする側の人は、それを受け取った人から、実は「仕事のやりがい」や「生きる意味」を返してもらっています。
私が納得したのは、親と子どもの話です。
親は無償の愛を与える。それを子どもは受け取る。子どもからの見返りなんてありません。
でも、私たちはそこから「生きる意味」を返してもらっています。
たしかに私は、子どもが生まれてきてくれたおかげで、より「豊かさ」を感じられるようになりました。
子どもの成長を見て、これまで味わったことのない「喜び」を感じます。
別に見返りは求めていません。ただ、一緒に同じ時間を共有し、喜怒哀楽さまざまな感情を分かち合う。そこから、「生きる意味」をもらっているのです。
そして、私もまた同じように、両親から無償の愛を受け取っていた。なるほど、やっぱり受け取ることから始まっているのです。
私がこれからできることはたくさんあります。
今は「父親としての育児」そして「小学校教員としての仕事」、この2つが私にとっての大きなギブの場です。
この瞬間、この場所で、大切な人たちと出会い直し、返礼としてのギブをしていけたらいいですよね。
3 GIVEの実践
ここまで、「ギブにはどんな利点があるのか」「ギブにはどんな原理があるのか」を考えてきました。
最後に、それらを踏まえて私たちができることを考えます。
今からでも実践できることはたくさんありますが、大事なのは「行動に移す」ことです。共にギブの行動を起こしていきましょう。
(1)家庭でのギブ
これが最も手軽にできるギブなはずです。今あなたが家にいて、家族がその場にいるのであれば、すぐ行動に移すことが可能です。
まずは、これまで受け取ってきたことを思い起こします。
私の場合、妻はいつも自分の価値観を受け止めてくれ、どんな挑戦も温かく見守ってくれます。
私と妻の価値観は当然違います。それを受け止めてくれる人がいるだけで、どれだけ有り難いことなのか。
挑戦を見守ってくれる存在が凄まじいパワーの源になっています。
受け取っていたことの自覚は、同時に感謝の気持ちを思い出させてくれます。感謝の気持ちを示す「ありがとう」は「有り難い」こと。当たり前ではないことに気づくことです。
次は、いよいよギブ。自分の内側にある力でギブするならば、私も妻の価値観を受け止め、挑戦を応援することができます。
必要であれば、読書や日々の学びで得た知見をシェアしながら応援することもできます。
もっと些細なことだと、家事。
洗い物をすぐにして、キッチンを常にキレイな状態に保とう。
洗濯、整理整頓、ゴミ捨ては率先して自分がやろう。
これらは最近、私が心がけていることです。
注意したいのは、その瞬間に「ギブしたぞ」なんて感じさせないことです。決してギブ&テイクで次はあなたの番なんて思いになってはいけません。
自分がただ受け取っていることを自覚し、その返礼としてギブするのであって、「気づいてくれたらいいな」と願うくらいでいいのです。
こうしたお互いのギブが積み重なっていくことで、家族は安心して過ごせる空間になっていくのだと思います。
相手の視点に立ってモノをギブするとしたら、先ほどの例と同じ「花のプレゼント」はベタだけれどいいですよね。
花のプレゼントで思い出すのは、デール・カーネギー氏の『人を動かす』に書かれている心尽くしの話です。
この考え方がとても気に入っていて、花は決して何かあったときだけではなく、思い立ったその瞬間にでもギブできる「身近な贈り物」なのだと気づかされます。
(2)仕事でのギブ
こちらも比較的、行動に移しやすいギブだと思います。ただ、実際にギブを意識的にやっている人はそう多くない印象です。
私たちは既に多くのものを受け取っています。仕事で考えれば尚更それらに気づくことができるはずです。
私の場合、小学校教員ですので、学校の伝統を築いてくださった諸先輩方、日々教育活動を支えてくださっている地域の方や保護者の方など、多くのギブを受け取っています。
意識していないと、さも当たり前だと思い込んでしまうところに恐さがあります。当たり前だと思っていると、基本的にネガティブ思考に陥ります。
この学校はこういうところがダメなんだ。こんなことに時間をかけて何になるんだ。どうして保護者は分かってくれないんだ…といった感じです。
反対に、多くのギブを意識できていれば、思考がポジティブになります。
この学校はこのような伝統を大切にしてきた。その伝統の良い部分を引き継ぎながら、新しい取り組みをつくっていこう。
これに時間をかけて土台を築いてくれた人がいる。それを引き継いで、より効率的にできるシステムを構築しよう。
保護者の方々がいるからこそ、この子たちは学校に通うことができている。保護者の方々に支えられて自分は仕事できているのだから、できる限り子どもたちの成長を可視化する取り組みをしよう…といった感じに。
また、自分の得意な分野では惜しみなくギブしていきましょう。
私は教材研究や授業づくり、ICT関連に関心が高いので、その手の手助けは積極的にやっています。
研究主任という役割の後押しもあるので、私を頼ってくれる方も多くいます。
そこで相手の視点を獲得させてもらっているのです。まさに、Win-Winな関係です。
(3)SNSでのギブ
最後に、SNSを通じたギブです。私はnoteやX(旧Twitter)、フォレスタネット(教員向けサイト)で日々の学びをアウトプットしています。
これらを始めたのは、他者貢献の場がほしかったからです。当時は不勉強だったので、なんとなく他者貢献できる人になりたいと考えていました。
そこで思い立ったのが、自分の好きな読書を通して学びを発信することでした。
自分にとっても読書で得た学びを深める機会になり、何より多くの人たちに見てもらえるということがモチベーションにつながりました。
発信してみると、多くの方々がSNSで他者貢献している事実に気づきました。SNSは使い方を間違えれば恐ろしい場所にもなりますが、目的をもって使えばギブの場にできます。
ここには決して見返りなどありません。強いていうなら「いいねの数」が承認欲求を満たしてくれますが…そこにはこだわらないのが肝要です。
さて、いかがでしたか。みなさんも自分にできる小さなギブから始めてみませんか。私の記事が、少しでもみなさんの学びに役立っていれば幸いです。
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