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noteを去ってしまう前に

とある人が近々noteを去るらしい。

1度Twitterでお話しさせていただいたくらいで、ほとんど交流はなかった方なのだけれど、勝手に感覚の近い人だと思っていたので、もう記事を更新されることはないのかと思うと残念だ。

私は、その方がnoteから去ると知った時、「残っていて欲しい人が去っていってしまうようなプラットフォームなんて、やっている意味あるのかな」と思った。

というのも、自分と似た感覚の人が去っていってしまうようなプラットフォームは、単純に自分に合っていないのではないかなと感じてしまったのだ。

逆に、自分と感覚の合わない人がたくさんいるところに身を置くということもアリではあるけど、常に四面楚歌状態では疲れてしまうし、他のサービスに移ることも考えたほうがいいのだろうかと、ここ最近考えていた。

しかし、ある瞬間、視界が開けた感覚を覚えた。よく考えてみれば、私が知っている人の中でnoteを去った人が、意外といないと気づいたのだ。

度重なる問題でnoteを去る人が結構いるということはよく聞いていたけど、実際にそれを目の当たりにしたことはなかった。こっそりいなくなった人はいるかもしれないけど、少なくとも、宣言して去った人はほとんどいない。

今回のことがショックでちゃんと周りが見えていなかったけれど、自分がフォローしている人たちを改めて確認してみたら、感覚が近い人だったり、似ている人がほとんどだった。

そりゃそうだ。感覚が似ている人だからフォローするということが多いのだから。つまり、自分と感覚の会う人が少なくなってきているという事実はなかったのだ。

noteを去る人の話を聞くと、「こんなところにいたらダメになってしまうんじゃないか」という気持ちになることもあるけれど、もう一回しっかり見つめ直してみたら、案外捨てたものではないと感じられるのかもしれない。

去りたいのなら去れば良いと思うけれど、一度考え直してみるのもありなのではないかなと思う。視点を変えてみたら、残ってみてもいいかなと思えるかもしれない。

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