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The Emulator - ザ・エミュレータ - #27

4. コンタクト

4.1 コードネーム『クレイン』

 シンタロウがネット上にキュレーションボットを流して4日が経過した頃、ある古代遺跡の壁画画像がヒットした。その壁画は紀元前3200年頃に王族のために作られた巨大な墓の中に描かれたものだった。墓碑として描かれた壁画には象形文字が刻まれている。すでに19世紀に解読されているその象形文字を現在の文字に変換をかけ、生成された文字列をハッシュ化したものがAPIキーのハッシュ値と合致したのだった。そして、同じ地域にある同種の壁画18枚分全ての画像を集め、UCLのオフラインエージェントAIのプロンプトにAPIキーとともに流し込み、これが何を意味するものか解析するように指示をすると小さな実行プログラムに見えるコードが生成された。

 スタンドアロンで実行可能なそのコードにAPIキーを送ると一対のデータを返した。数字と記号で表されたそのデータを見て経緯度データだということにすぐに気が付いた。シンタロウが地図データと経緯度データをマッピングするとユカタン半島にあるチチェン・イッツァを示した。

 アールシュはエヴァンズ教授と手をたたいて笑ってそしてあきれた。その後、2人はシンタロウにオカルト癖がないか心配になり、シンタロウに少し疑いを持ち始めた。シンタロウはそれを気にも留めずにカンクン行きの航空券をサクラの分と2枚予約した。

 私も行くというソフィアは笑っていなかった。ソフィアはアールシュやエヴァンズ教授よりもシンタロウとサクラに対してずっと強い疑いを持っていた。この2人がプロジェクトのメンバーとして使い物になるかどうか自分の目で判断したかった。だから、ソフィアはシンタロウがキュレーションボットを作るところからずっと張り付いて見ていた。そして、オフラインエージェントAIが生成したコードは難読化が施されていて何度アナライズをかけても、逆コンパイルをかけて直接ソースコードを視認しても、理解不能だった。スタンドアロンで動く動作原理もハッシュコードをI/F(インターフェイス)として受け取るAPI部分さえも特定できない。ソフィアが専門としている分野でこんなものに出くわすのは初めてのことだった。

「あんたこれ理解できてんの?」

 ソフィアがそうシンタロウに聞くと『大体は……』と答え、正直言うと、よく解らない部分はサクラに聞いて理解したという。理解したというシンタロウの答えは嘘ではなかった。オフラインエージェントAIのサンドボックス空間で実行されたコードにAPIキーを入力する際、指示キーとデータのセパレータが特殊だったのをソフィアは見ていたからだ。指示キーを必要とすることもセパレータが必要なこともヘルプどころかソースコード上のコメントも何もないこのプログラムからそれを読み取るためには、コードから書式を解読しなければならなかった。

 フェニックス・スカイハーバー国際空港からカンクン国際空港までの4時間半の間、ソフィアはシンタロウとサクラを尋問した。シンタロウにはプロセッサへのインストールリストを提出させて年次履歴とそのロスト率を見た。驚いたことにエミュレーションやソフトウェアに関する学術的なライブラリの大半はここ数か月にインストールしたものでそれも全てロスト率ゼロで数時間から3日程度で全て定着している。それまでの履歴には特徴らしいものが何も見当たらない。ただ、胡散臭い旧ネットのデータが大量にインストールされていることと、S=T3とヴィシュヌの初期コードの解析時間が尋常じゃないほどの長時間であることを除けば、だが。

 それを不審に思ったソフィアは、シンタロウにプロセッサのルート権を渡すように迫った。嫌がるシンタロウを接触通信に限定することで納得させる。ソフィアは自身の側頭部をシンタロウの側頭部に押し付ける。

 サクラが驚いたようにソフィアを見つめている。こんなガキに私が何かするとでも思ってんのか。ソフィアはサクラの視線を無視して、シンタロウのS=T3にアナライズをかけた。驚いたことにそれは私が知っているS=T3とは全く異なっている。当然、私もS=T3を試したことがある。その時に逆コンパイルをかけたソースコードを持っていたのでシンタロウのS=T3とDIFFをとって差分を検証した。一致する部分は16%しかなかった。

 キチガイじみているが、おそらくシンタロウはS=T3を全て自分で書き直している。この程度の部分一致はどちらのコードもOSSから流用したスニペット部分のコードが一致したに過ぎないことを意味している。

 さらに驚いたのは、そのS=T3を動作させるために使っているOSもカスタマイズされたものだった。だが、そのOSのイメージにつけられたコードネームとナンバリングから、それが何であるかソフィアにはすぐに分かった。ヴィシュヌがまだプロトタイプだった頃にエヴァンズによって名付けられたコードネームだったからだ。

 コードネームの由来はかつて存在したアネハ鶴を意味する。アネハ鶴は南アジアから東アジアにかかるヒマラヤ山脈を超える渡り鳥だ。エミュレータ研究のもっとも大きな難所をヒマラヤ山脈に例え、それを超えることを可能とするOSとしてエヴァンズが名付けたものだ。ソフィアもそれを忘れるはずがなかった。

次話:4.2 アプローチ
前話:3.10 不安

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