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読書メモ|『聞く技術 聞いてもらう技術』

話題になっていたので気になって買った本。

この本の結論は

聞く技術:「なにかあった?」と尋ねてみよう。
言えない時は、聞いてもらうから始めよう。

聞いてもらう技術:「ちょっと聞いて」と言ってみよう。
言えない時は、聞くところから始めよう。

『聞く技術 聞いてもらう技術』p.245

という至ってシンプルなものでしたが、
「聞く」が不全に陥っている現代社会において、なぜ話を聞けなくなり、どうすれば話を聞けるようになるのか、という「聞く」を掘り下げた話はとても興味深かったです。

「聞く」は語られていることを言葉通りに受け止めること、「聴く」は語られていることの裏にある気持ちに触れること。
…心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることをそのまま受け取るほうがずっと難しい。

『聞く技術 聞いてもらう技術』p.8-11

言葉をきいて、本当はこう思ってるんだろうな、と想像することはよくあると思います。それが良い方向に働く時もあれば、悪い想像が働いてしまうこともある。そうなると話を「聞け」なくなってしまう。
私は話の矢印が自分に向いている場合、相手の言葉の裏に勝手にネガティブな意味を想像して話を聞けなくなってしまうことが多いかもしれないと思いました。本当は直接的な言葉で言いたいのに、気を遣ってオブラートに包んで言ってくれたのかな、でも心の中ではこう思ってるんだろうな、とか色々考えちゃって、相手の言葉を額面通りに受け取ることができていない。この場合、「聴く」もできているのか怪しいところではありますが。

ではなぜ聞けなくなるのか。
それは、聞く技術がないからではなく、相手との関係性が悪くなっているからだと、筆者は言います。「聞け」ないとき、「聞いてもらえ」ないとき、言葉の中身が問題なのではなく、2人の間の不信感から関係が拗れ、お互いが孤独になっている。そんなとき、「聞く」を通じてそこにある孤独と向き合うことが何よりも必要である。

しかし、孤独を聞こうとすると聞く人も孤独になり、孤独になると人は聞くことができなくなるのもまた事実。そのような負の連鎖を断ち切り人の話を聞けるようになるためには、まず自分の話を聞いてもらう必要がある。そのための「聞いてもらう技術」が必要になる。

いま僕らが必要としているのは、強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところをわかってもらうための技術です。

『聞く技術 聞いてもらう技術』p.124

そして、そんな「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけ出すことこそが「聞く技術」の本質であると言います。

自分の話を聞いてもらうために意図的に人の意識を自分に向けさせるなんて、かまってちゃんみたいで面倒臭い奴じゃないか、と思ったのですが、そんな心配についても書いてくれています。

まあでも「いいじゃないか」とも思うんですね。だって、実際僕は面倒臭いやつだし、あのときは本当に疲弊していたのですから。本当にたくさん面倒を見てもらって助かりました。
そういう体験が、今度は自分が誰かの助けになろうと思わせてくれるわけです。
お金がグルグル回っているのが善い経済であるのと同じで、ケアも人と人との間をグルグル回っているのがいい。

『聞く技術 聞いてもらう技術』p.140

では、誰に聞いてもらえばいいのか。
当事者同士で対話をするには、それまでに第三者がそれぞれの当事者の話をきちんと聞く必要があると言います。

友達が聞いてくれていて、切実な事情をわかってくれているから、自分のことを全然わかってくれない夫の言い分も聞いてみようかと思えるわけです。

『聞く技術 聞いてもらう技術』p.230

第三者として人の話を聞くとき、それはその対立においてどちらかの側につくことを意味するんでしょうか。部分的にはそうなのかもしれませんが、敵・味方という分断がそこに生まれるのではなく、その対立のより良い解決を願って一方の話を親身に聞く、という感じなのかな。


この本では「聞く」が不全に陥っている緊急時について書いてあることが多かったですが、私は通常時から結構疑心暗鬼になって人の話を聞けていないことも多いかも、と思いました。どんだけ疑り深くて人を信用してないんだよという感じですが、自分があまり人にちゃんと言いたいことを言えないと思っていることも要因としてある気がします。自分がこうだから人もそうだろうと思って、完全には信じきれない。信じていたのに、という傷つきを防ぎたいという気持ちもあるんだろうなぁ、きっと。

聞いてもらいたいことはたくさんあるけれど、それをちゃんと話すことも得意じゃないので、最近はノートにとりあえず書いてみるということをしています。誰かに聞いてもらえるわけじゃないけど、とりあえず一旦外に出す。そうすると不思議と、後から誰かにその話ができたりするんですよね。ただやっぱり、弱みや情けないところを晒すということには抵抗があって、自らその話を聞いてもらって返ってきた返答にムッとしてしまうとか、よくない態度をとってしまったなぁみたいなこともあって、余計自己嫌悪で落ち込んでしまう。そのやりとりを通して自分が実は何を気にしていたのか、どう思っていたのかがわかってきたりすることもあるので、意味がないわけではないんですが。話してくれた相手にそういうモヤモヤを抱えさせないような聞き方ができる人になりたいなと思いました。

それと、自分が共感できる本を読んだり、音楽やラジオ、ポッドキャストを聴いたりすることも、部分的に「聞いてもらう」ことの代わりをしてくれているような気がします。自分のことをわかってくれる人がいる、この気持ちを代弁してくれている人がいる、そんな感覚を得ることで孤独が解消される。人に聞いてもらうことが苦手だからこそ、そういうものに浸ることが好きなところもあるのかもしれません。


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