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演劇素人がナイロン100℃ 『イモンドの勝負』広島公演を観た感想

生まれて初めて、ヨーロッパ企画が関わっていない舞台を自発的に観に行った。
観てきたのは、ナイロン100℃の『イモンドの勝負』広島公演。
ナイロン100℃の公演は、ずっと観に行ってみたいと思っていたものの、予定が合わずチケットを手放したり、コロナ禍に突入してしまったりでなかなか観劇の機会がなかった。
早速以下に感想を書いていこうと思う。
(※ネタバレを含むので、ご注意を。)

プロジェクジョンマッピングすご過ぎ

まず度肝を抜かれたのが、プロジェクションマッピングがこれでもかと最大限活用されているところである。

オープニングがかっこ良過ぎる

特に出色だったのが、演者の紹介が行われたオープニング。
なんだあれ、かっこ良過ぎる…!!
あのオープニングだけでも、観劇の価値はあったと言えるぐらい素晴らしかった。

セット転換の代用以上の役割を果たす
プロジェクションマッピング

当たり前のことではあるが、映画やドラマなどの映像作品と比べ、演劇はセットに制約があり、コロコロと転換することはできない。
そんな中でプロジェクションマッピングは、セット転換の代用、いやそれ以上の役割を果たしていた。

階段を駆け上がるシーン、投身するシーン、街を歩くシーン…。
それぞれのシーンで、正方形のパネルのようなものが敷き詰められたセットに、映像が映し出される。

中でも特に印象に残ったのは、冒頭で主役のスズキタモツの魂が抜けるシーンと、図書館への場面転換。
前者は、横たわっているタモツをプロジェクションマッピングで映し出し、魂を大倉孝二さんが演じることで、幽体離脱を表現。
このシーンで初めてプロジェクションマッピングが使われたということもあり、個人的にかなり印象に残った。

後者は、本棚をセットに映し出すことで図書館を表現。
テキストで説明しようとすると、上記のようになんとも簡素な書き表し方になってしまうのだが、ずらりと映し出された無数の本がとにかく幻想的で美しかった。

コメディを支えるプロジェクションマッピング

プロジェクションマッピングは、舞台の「笑い」の部分を支える役割もしていた。

例えば、「石平石平(イシダイラ・イシヘイ)」という政府高官が自己紹介をするシーン。
これは「耳で聞いて理解する笑い」というより、「目で見て理解する笑い」に分類される。

(話は逸れるが、THE MANZAI 2011において、学天即(現・ガクテンソク)の「辻道連之進」「しんにょうばっかりの名前!」というボケがさしてウケなかったり、麻枝准の笑いがアニメ作品だとサムく感じたりするのは、「耳で聞いて理解する笑い」と「目で見て理解する笑い」の違いに起因すると、お笑い兼2次元オタクは感じる。)

事実石平が自己紹介した時点で笑いはあまり起きていなかったが、プロジェクションマッピングで「石平石平」の名刺が映し出されると、会場が笑いに包まれた。

また、舞台の左右にほぼ同じイラストが映し出され、実は左右でしょーーもない違いがあることが明かされるという「笑い」も、当たり前ながらプロジェクションマッピングなしでは成立しない。
『演劇でこんな「笑い」を生み出すことができるのか!』と、私は思わず感嘆してしまった。

ストーリーについて

この舞台は「ナンセンスコメディ」で、ストーリーはあってないようなもの、話の筋を追うような見方はせず、その場その場の笑いを楽しめばいいと捉えているのだが、この解釈は合って…いる…よな…?
正直なところ、ストーリー展開について尋ねられても、説明が難しく、特段感想が湧いてこないというのが実情である…。

勝負に勝つということ

この公演全体の根底にあるものとして、「勝負に勝つことが、永続的な価値を持つとは限らない」というテーマがあるのではないかと感じた。
物語は、国際的な大会で勝ちまくったタモツのことを民衆は誰も覚えていなかったという結末で幕を閉じる。

この結末を見て私が想起したのは、スポーツ界における2021年問題である。五輪が1年延期となったので、正確には2022年問題と言った方がいいのかもしれない。
東京五輪の開催に際し、マイナースポーツやパラスポーツなど普段注目度の低い競技についても、ここ数年は国や企業から手厚いサポートを受けていた。
しかし、たとえ五輪で金メダルを獲得できていたとしても、五輪前と同じ水準の支援を受けている競技団体は、五輪が終了した現在はほぼ存在しないだろう。
国際的な大きな大会が開催されるまでは注目してもらえる、気にかけてもらえる。でもその先は…。

「勝負に勝つことに意味がない」とは、私は思わない。
ただ、「勝負に勝つことが、永続的な価値を持つとは限らない」ということも、残念ながら紛れもない真実なのである。

印象に残ったセリフ

「生きていて仕方のない人なんか、2割くらいしかいませんよ」、「ページ数の限られた小説に登場するのは一握りの人間なのだから、推理小説で犯人が小説内に登場するとは限らない」(後者はあくまでもニュアンス)などといった皮肉の効いたセリフは、観劇から2日経った今でも深く心に突き刺さり、私の頭の中をぐるぐると回っている。

これはあくまでも褒め言葉であるが、観劇後は悪夢から目が覚めたような気持ちになった。
いや、私はまだ夢から覚めていないのかもしれない。

最後に

最初公演時間が休憩を含め3時間20分と聞いた際は、平日の公演ということもあり若干ギョッとしてしまったのだが、終わってみればあっという間だった。

また「ナンセンスコメディ」とは理解していたものの、観劇直後は頭の中が?マークでいっぱいで、話の筋の理解に頭がパンクしそうになりかけた。
しかし観劇から少し時間が経つと、お芝居に込められたメッセージ性や印象的なセリフがだんだん身体の中にストンと落ちてきて、それが快感に感じた。

観劇後、帰りのバスの中でメルマガの登録を行った。
また広島公演があるといいな。

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