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【陸前高田体験記 2日目】雨と、ごはんと、絵と、すいか

Change Makers' Collegeに遊びに来てくれた森山 寛菜さんが、カレッジの体験談を書いてくれました!
全3回の超大作です。
広田町での暮らしをとっても楽しんでもらえたようで、嬉しいです。

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東川~陸前高田~気仙沼、と旅した2週間のうち、陸前高田で過ごした3日間をここに記す。今回は2日目。

1日目のお話はこちらから▼

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書き手:森山 寛菜(もりやま・かんな)
茨城県水戸市で育つ。9歳のとき山奥の村で1年過ごしてから、どういうわけか色んなところへ移り住む人生がはじまった。中高は韓国、大学はアメリカへ。ちょこっと横浜に住んで秋からは島根へ。今は仕事をやめて寛ぎ中。

2日目。朝から雨だった。

朝早く目が覚めたので、傘をさして海まで歩いた。
灰色の曇り空を映した澄んだ海の前でぼーっとしてみた。

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海の水

家に戻ると泊めてもらっているシェアハウスの住民と鉢合わせた。

「よく寝れました?」
「ええ、お陰様で。ぐっすり寝ました」
「よかったです。この家傾いてるから、気になる人は寝られないっていうんですよ」

たしかに、昨日案内してくれた姉さんが傾いていると言っていたな。
どこでも寝られるのも才能だな、と自分を褒めた。

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3日間暮らした家

家をつくる

今日はエコクラフトという授業を見学させてもらう。
クラスはチェックインからはじまる。チェックインがとにかくゆるい。話している時間より、だれも話してない静けさのほうが長い。

Check-In チェックイン
前の時間と気持ちを切り替えてこれからの時間に意識を向けるために、お互いの状態や気持ちを共有する時間をとるという方法。

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エコクラフトの授業の様子

今ターム最後の2回は共同制作をするそう。
みんなの家をつくる、んだって。
材料は買わない。あるものでつくる。
チーム名、コンセプトはみんなでつくる。
サイズも何をつくるかも自由。

昼ごはん何にしようか、のテンションで、どんな家つくろうか、と話す人たち。家をつくる、という突拍子もないことでも、できる気がする空気が流れている。

家ってなんだ?という声が聞こえてくる。
たしかに。屋根があれば家なのだろうか。対話があれば家だろうか。火がほしい。水がほしい。
自由な発想と対話が面白くて、みんなの言葉がこぼれ落ちないようにメモをした。

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拾った言葉のメモ

お昼ごはん

お昼は事務所で一緒に食べましょうと誘われて行くと、ご飯の準備をする3人組がいた。お名前は?どこから来たんですか?と聞かれて話をする。ご飯をよそうのを手伝う。
お昼ごはんはチャーハンonご飯。ご飯にご飯をかけて食べる斬新さ。サラダと豆腐もあった。

ご飯だよーと声がかかると、家中からわらわらと人が出てくる。
大人も子どもも一緒に机を囲んで食べる。
どう、ここは?と聞かれて、ディープですね、と答えた。
野生って感じです。と言いながら、ラピュタの飛行船でキッチンに船中の人がわらわらとやってくる絵を思い浮かべていた。

今思うと、会って早々、野生ですね、という私の神経もどうかしている。
「わらわらと人がきて、すごい勢いでご飯を食べて、散っていく感じがすごい」と言ったら、
「僕らからしたら、君もわらわら出てきた人なんだけどね」と言われて、たしかに、と笑った。
わらわらが1人増えても、何事もなかったかのように過ごしてる人たちを見ながら、これが陸前高田か、と思った。

色々なところに点在しているSETのメンバーは把握できないし、なんか知らなくてもいいやという気になる。少し前の私は、目の前の人の所属を気にした。でも、仕事をやめて自分の所属がなくなったら、なんかどうでもよくなった。旅をしていると、どこから来たの?と聞かれる。
陸前高田にいる間は、「この前は北海道にいました。この後、気仙沼に行きます」と答えていた。
今の住まいは横浜だから、横浜から来ましたっていうのが一応正解だと思うのだけど、なんか横浜に家があることを忘れた2週間だった。

三陸館

以前陸前高田に行った友人から、こんなLINEメッセージがあったので、そのまんま伝えたら、三陸館だと教えてくれた。

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日曜しか開けていないのに、15時過ぎならいいよといって平日に開けてくれた。ものすんごい坂。アクセルを踏み続けないと車が落ちる急激な坂を登ると三陸館があった。

「あのー、絵見せてもらいにきたんですけど...」というとおばあちゃんが案内してくれた。旦那さんである畠山孝一さんと、その叔父である畠山三郎さんの絵が展示されている。

わぁ...絵を見て言葉を失うとは、こういうことなんだと思う。

すごい。
すごい。

しゃんと立っていないと、絵の迫力に潰されそうだ。

玄関の方から声が聞こえてくると、「みっちゃんだ」と言っておばあちゃんが玄関へ向かう。「あーもう来てたんですね」と、みっちゃんと呼ばれた女性が絵の説明をしてくれる。
一通り絵を見せてもらった後、茶の間のようなスペースへ通してもらうと、もう1人女性がやってきた。

「津波の絵みた?あれ、わたし」

畠山孝一さんが生前最後に描いたのは、津波で流されて生き残った娘さんの話をきいて描いたこの絵だと説明してもらった絵がある。絵の下には静かで穏やかな港が描かれている。その上には、荒れ狂う大波の中に1本の枝を持って立つ女性の姿があった。よく見ると、中央の水の下に竜の絵が隠れている。

「完成してないからさ、サイン入ってないの」とみっちゃん。
「顔もぼわっとしてるでしょ」と娘さん。

未完成だからタイトルがないこの作品は、当分公開されていなかったそうだが、どうしても展示会をしたいと千葉の流山まで作品を運んで個展を開いた方が、「震災のマリア」と呼んだそうだ。

「あれ、わたし」と描かれた女性を指して豪快に笑う娘さんは、津波に流されたときの話をしてくれた。
震災を体験した方に直接お話をきくのははじめてだった。
聞いたら、今日は娘さんの誕生日だそうだ。

「あらー、そうなのー。生きててよがったー」とみっちゃんが言う。
本当にそう思う。今さっき会ったこの人が生きててよかった、と思う。
なんと言えばいいか分からないから、ただただ頷いて、目の前の家族の話に耳を傾けていた。

この日は1日中雨が降っていた。なんだか、雨にも意味がある気がした。

すいかを囲む

夜。飲み会があるからおいでと言われた。
私は21時までがっつりミーティングが入ってしまっていたので、最後の方にちょこっと顔を出させてくださいといった。3時間のミーティングを耐えるには、あまりにもお腹が空いていたので、食べ物を恵んでくださいといったら、お魚のソーセージとするめとチョコを恵んでもらった。

後でその話をしたら、ご飯のこと考えておらず悪いことしました...と謝られたけど、多分人間って自然の中で野生的に過ごしていると空腹を感じづらくなるんだと思う(根拠はない)。そこまでひもじい思いはしなかった。

飲み会の終わりがけ。陽気な人たちが団らんする家にあがると、すいかが出てきた。
すいかのまわりに人が集まってわちゃわちゃする。

「お、かんな」

さっき話した人が、ずっと昔から知っていたようなテンションで名前を呼んでくれる。

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すいかを食べた

昨日は焚き火を囲んで寂しさを覚えたけど、今日はすいかを囲んでここでも暮らせそう、と思った。

受け入れてもらえた、とか、温かいとか、家族みたい、とかなんかそういうのじゃなくて、暮らせそうだな、と思った。


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【陸前高田体験記 3日目】につづく...

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