ブルー、水鏡のように
あお。
aikoの『蒼い日』を聴いている。
昔から、何度も何度も聴いている。
陸橋を通り過ぎる時に何かを願うのは過去の私だったのではと感じるほどに、自分の中にこの歌の存在を根強く感じる。
根強く、というのはあくまでも表現であって、実際には画用紙に滲んだ水分の多い絵の具のよう。心に生まれたしみはいつも同じ大きさで私の中にある。
電車が陸橋を渡る その時願い事をする
幸せな瞬間も 悲しみの蒼い日も
また思い出すな 聞こえない 見えない
知らないふりをただしていたね
一番星はずっと前に気づいてた
そしてあたしたちだけを見ていた
いつかあたしに教えてほしい
あの日何を願ったのか
好きな映画を訊かれると、必ず『君の名前で僕を呼んで』を挙げる。
エリオとオリヴァーの夏はただどこまでも美しく、観るたびに私の背筋は伸びる。感情に嘘をつかず、自分の心に寛容であろう。そう思わされるから。目の覚めるような北イタリアの空に、私は自分の全部を預けてしまいたくなる。毎日の中にあるなにもかもをひとつ残らず見落とさず慈しめたなら、とも願う。そんな映画が私にあることを、ひたすらに感謝する。
『感じたことを忘れようとして
心を摩耗してしまうと、
30歳になる頃には何も残らなくなってしまう。
それでは愛する人に何も与えられない。
痛みを葬るな。感じた喜びを大切に。』
青に、蒼に、あおが包むものに、私の心は吸い寄せられる。
爽やかで、切なくて、晴れやかで、影っていて、いろんな顔を持つこの色の中に私はぷかぷかと浮かんでいる。不思議な表現かもしれないけれど、あおの中にいると私は息がしやすい。ここもまた居場所なのだと思う。
拠り所と思えるもの、環境や場所でなくっていい。仕事でも、家でも、誰かでもなくていい。自分の心がひたりと吸いつくものを、かき集めて生きていく。私らしさを定義するのは、私自身でいい。癒しも許しもやさしさも息苦しさも、すべて私の心がわかっている。
それで充分、きっと充分。
痛みよりも、素直さを。
明日もあおを愛して生きていく。
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