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心を、かなしみを、しあわせを、

わたしたちは自分の矛盾にばかりおおらかで
他人の矛盾を許せずにいる
それに気づいたのはずっとずっと後だった。
たぶん誰もがそんなふうで きっとわたしはずっと
それに苦しみ続けるのだろう。
でもたぶん それはそんなに悪くない。

ヤマシタトモコさんの描く、「違国日記」にでてくることば。私のだいすきな漫画。
15歳で両親を事故で亡くした少女:朝と、その少女の叔母であり小説家である槙生の話。2人で暮らしていく中で、自己を知り、他者を知り、「自分として生きていく」ことを知る。

あらすじはここでは語らない。
読んで、「これは私の物語だ」と感じた人とはきっと心地よい距離感の友人になれると思う。
大切にしたいことばがたくさんでてくる。手元のノートにいくつか書き留めていたら、胸が震えるページができた。

「あなたの感情はあなたのもので
 わたしがそれを変えさせることはできない」

なんとなく、「私だけの幸せってなんなのだろう」ということをぼんやり考えている。辛いとか、そういう類のものではないもやもやが、いま私の心に浮かんでいる。

自分で選ぶことができる、ということを幸せの基準の一つだと思っている。誰かに強いられず、自分の意志で何かを選択していけること。幸せというより守られるべき人権のラインに近いのかもしれない。

自立してからというもの、私は大体のことを自分で選べるようになった。選べると思っていなかったものまで「選べる」と知った。そして絶対に選べないものもあると知った。それが何かは言わないけれど、少なくとも自分の思いを反映できる範囲がわかったことは大きいのだと思う。

わたしが何に傷つくかはわたしが決めることだ

ありたい自分を叶えたとき、
私は「私の幸せ」を守り切れるのだろうか。 

いろんな矛盾を心の内側に感じる。
心のままに進んでいるようでいて、私は私を蔑ろにしているんじゃないかという考えも浮かぶ。
けれど不満足なわけでもなく、むしろ満たされていて、一方で絶対に埋まることのない穴もそのまんまそこにある。

「あたしはただ、あたしでいたい
 なりたいあたしになりたいだけ」

私自身の幸せを、考える時が来たのだと思う。
考えていたつもりだし、なんとなくわかったつもりでいたけれど。私が私を大切にすること、それが自分にどう必要なのか、やわらかくほどいていくのがいいのだと思う。

秋の夜。冬は、とても近い。

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