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願いがやさしい波紋になれば

すこし勇気を出してみた。

昔から好奇心旺盛だったけれど、自分にできることを考え、探しながら行動に移していけるようになったのはここ1.2年のこと。「ふあん」の3文字に囚われがちな私にとって、これは大進歩だったと思っている。

何度も何度も書いているけれど、その進歩の中でいろんな人たちと出会った。やさしい刺激をもらううちに、よりなめらかに動けるようになった気がする。やることは増えたしさらに忙しくなった。でも趣味や生活も諦めなかったし、「好き」の数も濃度もむしろ増したと思う。

つながりが広がると、想いを言葉にする機会も多くなっていった。noteもそう、不特定多数に対して伝えたいことが文字として浮かぶから毎週書いてしまう。新しくつながった人たちは「聞いてくれる」人たちばかりだったし、さらけ出すことはちっとも怖くなかった。

でも、生活を共にしてきた人たち(家族や友だちみたいな)に対して、私の想いを上手く届けられる自信がずっとなかった。世界は地続きで、誰しも遠からず同じ境遇を共有しているんだと思っているわりに、「この人たちにはわかってもらえないんじゃないか」と内心考えていた。斜に構えていたのではなく、「わかってもらえなかったら傷つく」と、自分を守っていたのだ。届く言葉をもう少し育ててからにしよう…と自身に言い聞かせて、それなりの時間が経った気がする。

10/31は、投票日だった。
期日前投票を終えた私にとっても、今日は選挙の日で、この国のことを考える日だった。

ああ、言葉にするなら今日なんじゃないかなあとふいに思った。なんとなくだとしても、真剣だとしても、受け止めようとしてくれる人が増えるんじゃないかなと、そんな気がした。
実名のSNSのうち、見てくれている人のいちばん多い場所で、私の活動と、想いと、「もしよかったら頼らせてほしい」という声を、ことばにして現した。小さくてもいいから、ひとりだけでもいいから、心に留めてくれる人がいたらいいなあと思った。良い意味で、期待のようなものはなかった。自己満足なんだろうね、でも本当に、届きますようにと願って書いたんだよ。

勇気を出して、願って、想うことのできるなにかを持つ私は幸せなのだと思う。突き動かしてくれる誰かと出会えたことは宝だった。水面に広がる波紋のように、私も誰かの気持ちに輪を生みたい。生まれた続きに、手をつなぐ未来があれば、それはまた幸せなのだと思う。

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