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心を手放してしまわぬように

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「いつか倒れちゃうよ」といわれて、そんなことになるのかなあと首を傾げた。大荒れの渦中にいることを自覚していないわけではない。へっちゃら、ということもない。でも、倒れないと思う。

"大丈夫" ということばを頻繁に使う自分にも気がついている。それがいいかどうかはわからないけれど、誰かと目を合わせた状態で伝えたくなることばが "大丈夫" なのだ。「あなたは絶対大丈夫」という意味の時もあれば、「大丈夫、私がついてる」の日もある。出来もしないことを約束するのは好きじゃないけれど、それでもまるっと包みたくなって、私はそれを口にする。そのとき同時に覚悟をする、大丈夫になるまで、必ず一緒にいると。

無責任なのだろうか。
自分の限界をきちんと見極めて、できるできないの境目には線を引かなくてはならないとわかっている。どれだけ思いを強く持っても、どうにもならないことがあるのも知っている。それなのに、安心を与えてしまいたくなる私は無責任なのだろうか。

心が、私の少し前を走ってゆくのがみえる。身体と完全に離れてしまうときがきたら、私は「大丈夫」を続けられなくなるのだろう。そうなりたくない。なりたくないから、自分の目で見たものを信じると決めた。誰が何を感じて、何をしようとして、何を言ったのか。そして何を言わなかったのか、自分の頭で振り返る。(私にとって大切な、『違国日記』のことばを思い出す)

心を手元に結えておくにはそれがいいと思ったのだ。誰かと向き合うと同時に、胸に伝わってくるものを、触れるものの手触りを、自分の感覚としてきちんと握っておくということが、いまの私にはとても大切だと思える。信じること、自分の感受性を信じること。それが私自身に向けての「大丈夫」ともいえる。


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いろんな方向に感情が走り、ぶつかり、冷静になるために書いた。誰にも伝わらないひとりごとかもしれない。痛みと熱のメモ、私自身が振り返る中継ぎとしてのことば。

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