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#58 弱小剣道部の思い出

■中学剣道部の思い出

小学校卒業まで、町道場で週に4~5日の稽古をしていた。レベルはそこそこ高く、今思えばハードな内容だったとも思う。地域柄、今との時代の違いもあり、「中学は私立へ…」という選択肢などはなく、公立でも学校選択制も存在しなかったので、自宅に一番近い中学に進み、そこにある剣道部に入るのが自然な流れであった。つまり、自宅に一番近い中学が強豪なら鍛えられ、弱小であればそれなりに、ということになる。

中学入学。剣道経験者の「怖い」と有名な顧問がいると聞いていたので不安はあったが、入学式の教員紹介でその先生の名前が呼ばれない。さらに自分の担任の先生の担当部活動が「剣道」だと紹介され、拍子抜けした。
怖いと有名だったその先生は、私が入学すると同時に転任していたのだ。新しい顧問となった私の担任の先生は、剣道未経験とのことだった。
未だに理由がわからないのだが、この年は男女問わず剣道部への入部者が多く、20人くらいはいたと思う。しかし、経験者は同級生は私を含め4人。部全体で見るとほぼ9割が初心者という状態だった。同級生には一人だけそこそこの実力者がいたけれど、彼はほとんど稽古に来なかった。

小学生時代に同じ道場にいた仲間は、市内の中学校にそれぞれ散ってしまった。私のいた中学が最も力がなく、ほかの中学に進んだ仲間たちは、それぞれに力をつけていった。
これが市ではなく「町」となれば、町内の剣友会の小学生が全員、その町にひとつしかない町立中学校に上がることになる。そこに経験者の先生がいればもう、強くなる一方だ。
剣道の上達に環境は大きく影響する。今と違い情報化も進んでいないので、自ら情報を得て力をつけていこうという気すら起きなかった。やる気がない、というよりもそもそもそのような発想すらなかったのである。
大会などで活躍する同門出身の仲間を見て、自分だけが取り残されていくのが情けないのと同時にこれも運命かな、なんて子ども心に感じていたものだ。
上級生もほとんどが初心者の上、やる気はほぼ皆無。前年までいた怖い先生がいなくなった反動もあったのだろう。
強い先輩もいたけれど、道場では塵取りでバドミントンをしているか、よくわからない後輩虐めのようなものもあった。その道場もプレハブで、10㎡に満たないくらいの広さに床はベニアの代物だった。

ところで、上級生に我が家と親同士が仲の良い剣道初心者の先輩がいた。
親御さんが私の母親にこんなことを話していた。
「ウチの息子は剣道が楽しいらしく、しょっちゅう竹刀をダメにしてしまい買い換えている。お金がかかるけど本人は夢中みたいだし仕方ないと思っている」
しかし、その上級生はほとんど部活には来ておらず、もちろん来てもほとんど稽古なんてしない。

「お金、騙し取ってるな…」
すぐに気づいたけど、未だにそのことは言っていない。

当然まともな指導など受けられるハズもない。やがて先輩が卒業すると自分が指導することになるのだが、大きく振りかぶる基本技と、実戦向けのコンパクトな技の違いが上手く伝えられずかなり苦労した。
自分自身も1級初段程度の力しかないわけで、同い年の初心者に剣道を教えるなんて、今思えば簡単なことではない。同級生に自信をつけさせるために部内戦でわざと(バレないように)打たせて負けたりしたこともある。
ちなみにこの打たせた相手は、その後何か自信を得たようでレギュラーに定着した。

それでも3年生になって間もなく、私の出身道場から強い1年生が入ってきて、上述の強い同級生と3人揃って団体戦で3つ星勘定ができるようになったとき、地区大会で準優勝したのは我ながらビックリしたものだ。
もちろん3人が常に勝てているわけではなく、残りの初心者メンバーが粘ったのが大きいと今でも思っている。
(同級生に4人経験者がいたが、うち2人は稽古に来ないか実力不十分だった)

当時の出身中学は運動が盛んで、大会で入賞しないのはいつも剣道部のみだった。毎月発行されていた学校便りには毎回部活動の大会報告があった。
ほとんどの部の入賞結果が誇らしく書かれているなか、剣道部のところだけは毎回「がんばりました」の一言のみが寂しげに記されていた。
今なら大問題だろうが、よその部の複数の顧問(教員)からも「剣道部はダメだよな」「今日も暑いから練習なんかしないで休んでろよ。どうせ剣道部は弱いんだから」というような嘲りを受けた記憶がある。

そんな状況のなか、地区大会で準優勝したときは学校便りに
「皆で力を合わせてがんばりました」 
と書かれていて、常勝柔道部の友人に
「やっぱり剣道部はがんばりました!なんだな」
と言われたのは懐かしい思い出だ。

私は常々高校時代の思い出やそこで得たものが今も根付いているということを語るのだが、案外中学時代のことも今の自分の剣道感を作ってるんだろうなと思うことがある。
先輩たちが卒業し、自分が同級生、下級生の経験者、初心者を問わず指導する立場になったとき「どうやったらみんなが部活動に来てくれるだろうか」「鋭く速い面を打つためには何が必要なんだろうか」と拙い知識を持って毎日考えていたことは、今に間違いなく生きている。

■今回のあとがき

文部科学省が現在、部活動の地域移行を進めているのは皆さんもご存じのとおりです。2025年までには休日の活動を段階的に地域に移行し、2026年度以降順次平日の活動も同等のものとしていく流れです。
部活動で育ってきた人間からすれば諸手をあげて賛成!とは言い切れない部分もあるでしょう。
剣道だけで言えば、中学、高校には必ず剣道部があるというような地域もあれば、その逆のケースもあります。
筆者の時代とは違い、公立では学校選択制などもあるので、強い学校に進学すればよしというのが現在の傾向のひとつではありますが、今後はそのような選択肢すらなくなっていくのかもしれません。

筆者が中学~高校生だったのはもう30年以上前のことです。
大学進学を機に今住んでいる地域に移り住んだのですが、当時その地域には中学に剣道部がある学校が少なく、私が所属した町道場だけで稽古している子たちが多くいました。
当時の私の感覚では、部活動で剣道をしていなければ、ハイレベルな同世代とは立ち合えないのではないかと思ったのですが…実際はそんなこともなく、所属道場のみで稽古をしていた中高生が、地区の大会で強豪高校の剣道部員に勝って好成績を収めるという様子も目にしていました。
その後も町道場からの目線で見ていくと、「部活動がすべてではないな」と思えています。

ただ、技術的には部活動がすべてではないと言えても、やはり気になるのは剣道人口の変化です。
部活動は、ある意味では受動的な一面があります。当該の児童生徒にとっては、部活動も学校生活の一部であり、一度学校の敷地から出て、あるいは家に帰ってからまた自発的に違う活動に足を運ぶということへのハードルは低くないといえます。
これは剣道に限ったことではなく、さらにマイナーなスポーツであったり、文化部に属する活動などは一層ハードルが高くなります。
私は、スポーツではなく文化に関連のある職業についていますが、部活動地域移行の影響に関してはスポーツ(この場合剣道など武道も含む)以上に淘汰が進むような気がしています。

最後に本文への注釈を。私が卒業して間もなく、出身中学の剣道部は確りとした作りの剣道場もでき、指導者にも恵まれて県大会でも上位に進出するような時代もあったようです。おそらく、私がいた時代が成績面でいえば「底」だったのだと思います。まさに今現在、どうなっているのかは確認できていませんし、OB会も存在しない剣道部なので顔を出すというのも現実的ではなく… 毎年夏に開催されるとある大会には顔を出すつもりなので、そのとき様子を見てみようかなと思います。
では、今日のところはこの辺で。

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