虫の息(閲覧注意・詩集6-4)

酷くむし暑い日だったのを覚えています

リグルと出会ったのは森の中でした

僕が一人で虫取りをしていると

薄暗い奥の方から緑髪の少女が現れたのです

突然のことだったので僕はびっくりしましたが

少女は落ち着いた様子で僕のことを見ていました

僕も少女のことを見つめ返しました

よく見ると頭に触角みたいなものが生えていました

やがて少女は僕に話しかけました

「ここで虫取りしてたの?」

「うん。君は誰? 何をしてたの?」

「私はリグルっていうの。ここで虫さんたちとお話してたのよ」

「そうなんだ、素敵だね。リグルちゃんは虫さんたちの心が分かるの?」

こんな風に冗談半分で聞いてみましたが

「分かるのよ。なんだったら、虫さんを呼び寄せることだってできるわ」

と自信満々に言って手を挙げて振ると

立派なカブトムシが一匹

リグルの小さな手に飛んできました

それは偶然とは思えない光景でした

「凄い!」

僕は純粋に興奮しました

それから僕らは虫のことについていろいろ喋ったり

川で水遊びをしたりするうちに

とても仲良くなりました

不思議なことにリグルは

虫とコミュニケーションをとることができました

それでオニヤンマやスズメバチと鬼ごっこをしたり

オオクワガタやカミキリムシに指を近づけたりと

とても刺激的な遊びを僕たちはしていました



そんなある日のこと 僕は窓から聞こえる

コツッコツッという音で目が覚めました

窓の外側からカブトムシが角でつついていました

僕は驚いて窓を開けてカブトムシをつかまえると

その角に小さな紙切れがついていました

"ぐあいわるい たすけて〜 リグル🐛"

かわいらしい字で書かれていたのを見て

僕は家を飛び出してリグルの所へ向かいました

外は相変わらず地獄のような暑さでした

リグルのおうちは森の中にちょこんと建つ小屋で

ベッドと簡単な台所ぐらいしかありませんでした

僕が部屋へ飛び込むと

リグルはベッドの上で布団をかぶって

ぶるぶると震えていました

「来てくれたのね、ありがとう」

その時僕は リグルの言葉が耳に入らないくらい

なんだか胸がそわそわし出したのです



「大丈夫?」

「うーん……   体がすごく寒いのに、熱いの……」

「そうなんだ。じゃあスープか何か作る?」

「ありがとう」

僕はやかんに水を入れてコンロに置くと

火をつけずにそのままぼ〜っと立っていました

しばらくの間 部屋は沈黙に包まれました






「……えっと、火つけないの?」

「ん? ああごめんごめん、忘れてた」

「も〜……」

僕は慌てているフリをして火をつけました

こっそり弱火にしたので

沸騰まで時間がかかりそうでした

ふとリグルの方を見ると 先ほどよりも

明らかに弱っているのが分かりました

どうやらただの風邪とかではないようです

頬は桃みたいに赤みがかり

体の震え そして呼吸も激しくなっていました

「……どうしよう、すごく苦しい……   私、このまま死んじゃうのかな……」

どうやらリグルはパニックになっているようで

額からたくさん脂汗を流していました

この時僕は リグルを締め殺すほどに

強く抱きしめたいという衝動に駆られましたが

それを抑えて安心させようとしました

「だ、大丈夫だよきっと。そうだ、確かこの森の奥に凄いお医者さんがいるんだっけ? 呼んでくる?」

僕は呼ぶつもりはありませんでした

「無理だよ……   君一人じゃ…… 」

それもそのはず この森はとてもとても広いのです

それと今のリグルの状態では

虫を使ってそのお医者さんを呼ぶことも

できなさそうでした



ようやくやかんの水が沸騰した頃には

森が黒いベールに覆われはじめ

外からヒグラシの鳴き声がたくさん聞こえてきました

日中の暑さはどこへいったのやら

少し冷んやりとした空気が入り混じり

リグルの震えは一層ひどくなっているようでした

さて 僕はやかんを取って

そのままシンクに流してしまいました

その時 熱湯を注いだせいでボン!と音が鳴り

リグルがビクッとしてこちらを見ました

「……何、してるの……?」

「ん?   ……ああごめん、こっちのコップに入れようと思ってたんだけど、その、間違えちゃって……」

白々しいなと自分でも思いましたが

もうリグルは何も言ってきませんでした

黙ったまま苦しみ続けるリグルは美しく見えました

いつもはピンと伸びている頭の触覚も

今は縮れてしまっていて愛くるしいです

火照った頬にベロを走らせて

リグルの体温を味わいたい

震えている小さな肩も舐めまわして 抱き寄せたい

リグルの熱と混ざり合いたい

そんな風に思いながら

僕はリグルが苦しむ姿をただじっと見ていました





いつの間にか リグルの呼吸以外

何も聞こえない静寂に包まれていました

「暗い……   何も見えない……   怖い……」

宙ぶらりんの裸電球が

弱々しく明かりを灯していましたが

今のリグルにはもう何も見えないようでした

「怖い……   怖いよ……   君はそこにいるの……?」

リグルが僕に話しかけてきましたが

僕は無視しました

いよいよもってリグルは虫の息でした

僕はリグルが死ぬのは嫌でした

もう二度と遊べなくなるからです

また 僕はリグルのことが好きだったからです

でも リグルが苦しむ様子をもっと見たい

死ぬ瞬間までのリグルのその全てを

一つ残らず見届けて感じたいという気持ちもあって

僕はどうすればいいのかわからなくなってしまいました

そして 吸い込まれるように僕はリグルに口を近づけて

初めてのキスをしました

リグルは微かに「なんで……」と呟いた後

諦めたように弱々しく僕の舌を受け入れました

リグルの唾液をたくさん飲み込みました

甘いのと苦いのが交差するのを感じました

必死なリグルの呼吸を感じました

リグルの熱を感じました

リグルの熱を激しく舌先に

そして全身に感じました

こうふんが おさまりませんでした

一度唇を離して またすぐに近づけて 繰り返して

リグルの呼吸を奪っていきます

リグルは大変苦しそうでした

汗が止まらず 目をぎゅっと瞑り

涙を滲ませながら

もはや死ではなく 僕に抵抗するかのように

最後の力を振り絞って 僕とキスをしています

僕はキスだけでは飽き足らず

火照ったリグルの顔を舐めまわしては

僕の唾液とリグルの汗や涙が

混ざり合うのを感じました

また リグルの首筋に鼻をくっつけては

滴る汗の誘惑的な匂いを嗅ぎました

そしてまた リグルの口に舌をねじ込み

リグルを精一杯愛しながら味わいました

電源を切られてゆっくりと止まる機械のように

全身から力が抜けていくリグルを見て

初めて僕は涙を流すほどの美しさを感じました

リグル……   ああリグル……   なんて美しい……




息絶えたリグルは

グラスに残った氷のような存在でした

それを舐めまわす気は全くありませんでした

先ほどの感動によって流れた涙は

次に後悔を原動力として再度流れ始め

取り返しのつかないことをしてしまったと

ひどく悲しみました

遊ぶのが楽しくて とても可愛くて 美しくて

好きで好きで堪らなかったリグルは

もういないのです

標本のようにベッドにはりつけられたままのリグルを

じっと見ては 胸の内側が乾いて

目と頬だけが涙で潤うのをただ感じていました

やがて 僕は部屋の窓を開けて

リグルをベッドの上に放置したまま

外へ出ました

以前 森で遊んでいる時にリグルから

「ウジ虫さんっていうのはね、動物さんの死体を食べてキレイに掃除してね、この自然を美しく保ってくれる素敵な生き物なのよ」

と教わったことを思い出し

窓からハエが入ってきて卵を産み付け

ウジ虫がリグルを食べて キレイに掃除して

ちゃんとリグルが自然にかえることを願いました

それ以外に願うことなんて何もありませんでした





ヒグラシの鳴き声を聞くと

今でもあの時のことを思い出します

暗くなっていく森林の中

夏らしくない冷たい空気の中

裸電球だけが弱々しく僕らを照らす中

それはそう 虫籠のような狭い部屋の中

熱い熱い リグルの唇と

僕の唇と

リグルの息と

僕の息と

リグルの汗と

僕の汗と

リグルの涙と

僕の舌と

リグルの唾液と

僕の唾液と

リグルの熱と

僕の熱と

虫の息と

僕の息が

混ざり合いながら僕は

リグルが弱って苦しんで死んでいくのを

たしかに目の前で直に感じたんだった

虫の息は か細くて 本当に

ただそれだけが 本当に美しかったんだ

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