精神科病棟の闇③/帰れない、動けない、伝わらない、治らない。それでも死なせない。/身体合併症病棟にて。

③ADL(日常生活動作能力)を落とすという概念
 ADLを向上させる、という言葉は看護学生であればほぼ必ず看護計画として立案し、それについてどうすればよいか自分で勉強したりグループで話し合う機会は何度もあるだろう。医療従事者ではない方に向けて言葉を変えると、ADLとはベッドで体を起こしたり、車椅子に座ったり、食事を自分で食べる動作をしたり、といった本来自立しているのであれば出来る基本的な生活の動作が、その患者がどの程度出来る力があるのか、という話をするときに使われる言葉である。病院は病気を治す、身体を良くするための場所であるというのが一般認識である(例外もあるが)。しかし、信じられないと思う人がいるかもしれないが、患者の身体の機能を、あえて落とそうと考える医療の現場が、存在する。精神科身体合併症病棟でそれを経験した。以下にその要因を記載する。

1)退院を目指せる状態、状況にない。
 家族や身内がいない、関係が悪く支援してもらえない、または精神疾患患者であることや他の内科疾患を合併していることなどから、もう退院を目指すことが出来ない。骨退院という言葉があるように、亡くならなければこの閉鎖空間から出ることは出来ないのだ。本来リハビリをするにあたっては退院後の生活を見据える。退院後に家の中を移動する力が必要なら、その距離を歩く訓練をするし、自分でトイレをする練習、ご飯を食べる練習なども退院後の生活に必要なら行う。退院後に共に暮らす家族の負担を減らすため、また、患者本人がやりたい、と思う気持ちを叶えるために、看護師やリハビリスタッフはその生活に必要な力を取り戻せるように関わる。しかし、病棟で生活するにあたってはその必要はなく、出来るようになりたいと患者本人が思ったとしても、それを叶えるために力を割く余裕はないのだ。

2)理解力が低下している、スタッフが少ない、それゆえに安全を確保できない。
 精神疾患+高齢で認知機能低下している患者に対して、安全指導は意味をなさない。安全を守るには設備やスタッフの労力が必要になる。ギリギリ何かにつかまって数メートル程度ふらつきながら歩ける程度の能力が患者にある、しかし、歩くときはナースコールを押してほしいというスタッフの言葉は理解できずに一人で歩いている、これが本当に危険な状況である。看護師としての正論を述べるなら、歩ける機能があるのだからモニターや離床センサーを使って患者が歩こうとしたときに駆けつけて補助し、リハビリでさらにその能力を伸ばしていくように関わっていくのが適切であると思う。しかし、それが出来ない現状であるならば、中途半端に機能を維持されるより、柵を付けて歩く機会を奪い、そしてその機能を失ってもらう、その方が転倒する危険が低くなる、そう看護サイドが考える現状がある。

3)寝たきりの患者で統一された方がスタッフからみたとき、業務負担が少ない。
 看護師にとって勘弁してほしい、という事故が患者の転倒転落である。歩いて転倒して骨折する、ベッドから転落して頭を打つ、これが特に夜勤帯で起こった時、状態観察をして時間によっては寝ているであろう当直医を起こして報告する。処置や観察の指示を受けてその通りに実施する。それとは別に勤務帯が終わるまで事故が再発しないように工夫、対策する。インシデントレポートを作成する。翌日の申し送り、カンファレンスで報告する。この一連が最低限ただでさえ最低人員で行っている夜勤帯の業務負担を増すことになる。そしてその後はたいてい再発防止策として、離床センサーなどが検討され、導入される。夜勤帯では自分は20人程度の寝たきり患者のオムツ交換をし、所要時間は1時間-1時間30分程度(失禁によるリネン交換や暴れたり拒否する状況により所要時間が変わる)である。その間に離床センサーが鳴った時、オムツ交換を中断して、ガウンを脱いで手袋を外して駆けつける、それが本当に負担なのだ。寝たきりで全てを介助する必要がある患者、そこだけ考えれば少しでも出来ることが多い方が助かる。ただ、病棟単位で多数を相手にする場合、”出来ない”で統制されている方が負担が少なくなるのだ。

4)リハビリへの理解を得られない、意欲を持ってもらえない。
 精神疾患で例えば統合失調症なら負担、苦痛と感じたことが妄想や幻聴といった陽性症状として出現する場合がある。気分障害なら鬱に転じた時に活動が出来なくなる。そういった具体的な症状によらなくても、リハビリという概念と必要性を理解してもらずにただつらいことをさせられていて嫌だ、やりたくない、となったり、日々の機嫌に左右されることもある。リハビリは明確な目標をもって、本人自身の意思で、専門職が指導、実施することで効果が出る。そのために意欲を引き出す関りを看護師は考える。精神科領域においてはそれらが困難である。

5)精神科領域は理学療法の適用がない。
 ADLの向上で重要なのはやはり歩く、立つなど下肢の機能となるが、そのリハビリ領域の専門は理学療法士(PT)である。精神科領域では理学療法での算定はとれない。自分の勤務している精神科は都内有数の歴史とグループ規模を持っているが、PTはいない。歩行訓練は看護師、作業療法士(OT)が行っている。医療従事者ではない一般の人は看護師がリハビリを行っている状況をどうみるのだろうか。自分が医療従事者でない頃にその光景を見ていたら、”医療スタッフがリハビリを行っている光景”として成立しているように捉えていただろう。しかし、現実はそんなことはない。看護学校での各単位取得においてリハビリの授業などほんの数時間で、決して専門ではない。目の前の患者の状態で、どのようなリハビリを行えばどのくらいの期間でどの程度まで機能が回復するのか、など分からないのだ。期待できる効果に確信が持てないのに時間と労力を注ぐことは出来ない。

 医療従事者として倫理的に不適切な表現や読む人が不快になるところもあると思う。綺麗で配慮ある表現に変えることは可能ではある。しかし、現実を伝えるという目的から、強い表現や修飾のない言葉を使った。もし、どうしても読んでいて耐えられず修正して欲しいという意見があればコメント欄で頂きたい。必要に応じて対応しようと思う。
(続く)


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