優香
私は家が好きだ。 それは、物質的な意味でも、精神的な意味でも。 昔からインドア派で、家の中でずっとだらだらできるタイプだった。家にずっと籠ることができる性分。 1人で過ごすのが好きだから、自分しかいない空間で、ご飯を好きな時に好きなだけ食べて、観たい映画やドラマを観て、好きな雑誌を読み返したり、鼻歌と呼ぶには大きすぎる声量で歌ったり。 秘密基地みたいな、手の届く範囲に好きなものがあるあの感じが心地良い。 建築を好きになってからは、建築物としての家も好きになった。街歩き
最近、他の人のnoteやインスタを見ていて、自分のnoteとインスタ、カッコつけすぎじゃないか?と恥ずかしくなってきたので、思ったことをつらつらと、体裁とかあまり気にせず書いてみる。 9月下旬にもなってもまだまだ暑くて、地球元気すぎるなと、家の玄関開けるたびに思ってた。でも、この前テレビ電話した、オランダに留学中の友だちは「こっち寒い!長袖着てる!」って言ってたから、元気なのは日本だけなのかな。 とか思ってたら、数日前から急に寒くなりやがった。余裕でノースリーブ来て街に出
中秋の名月と言ったら、餅、団子、和菓子ですよね。今年も疑いなく和菓子を食べる、そうするのだと思っていたけど、私は9月に入ってチョコレートを買うと決めていた。 私が今年の中秋の名月のために用意したお菓子について書きたいと思います。 『月よりうすいチョコレート噛む』 平野紗季子さんの本を買いに行った日。横に置かれていた月をテーマにした短歌集に という歌が載っていた。ぱらぱらっとめくってたまたま目に入ったこの歌。チョコレートが妙に心に残って、「月にはチョコレートだ」と何の根
スピッツはさざなみ、ユーミンは紅茶だと思います。
私は優香という自分の名前が気に入っている。 名前が気に入ってるから、人には名前で呼んでほしいと思っていて、それって願わなくても叶うことだと思うけど、私の場合願う理由があって。 小学校も中学校も高校も大学も、同級生に同じ「ゆうか」という名前の子が多かった。それ故、ほとんどの友だちには苗字で呼ばれていた。 だから、優香という名前を崩すことなく、優香、優香ちゃん、優香さんと呼ばれることに未だに慣れていない。名前で呼んでほしいと思っているのに、いざ呼ばれるとくすぐったい。(最近
普段インスタを巡回していると、おしゃれな構図の写真や、惹かれる色味をした、フィルムカメラっぽい写真を見かける。そこに添えられている言葉もすっきりしていて(量が少ない)、全体的にまとまっていてすごく雰囲気が良い。 それと比べて、私のインスタはと言うと、 長いんです、長いんですよね。 フィード投稿をしようとすると、言いたいことがたくさんあって、できればそれを全部残したい!となり、思うままに書くとこうなります。喋り過ぎだなって自分でも思う。喋り過ぎよりも、言葉数が少なくて、端
私は好きなものが比較的多い方だと思うし、好きなものがある今が気に入っていて、発信するのも記録するのも頑張りたいけど、たまにそれが面倒と感じる時がある。ふとした瞬間。それがほんの一瞬だからまだ良いけど、それが長引いたら色々と終わる気がする。崩れるのは一瞬。義務だと感じたらダメだね。
毎日暑いですね。蒸されてる。 何もしなくても汗、な日々のため、蒸し風呂から冷房の効いた部屋に入る、あの快適さを感じる瞬間が増えました。 その度に思い出す言葉があります。 吹奏楽部だった時、「シンフォニア・ノビリッシマ」という曲を演奏したことがある。 ゴージャスで吹いていてすごく楽しい曲なんですが、 曲の雰囲気が変わる3:07〜、指導の先生が「暑い時に冷房の効いた部屋に入った時のイメージで」と指示したのをすごく覚えています。 3:07〜から聴いてみてください。本当に冷房
清潔な部屋、清潔な服。 「清潔」の用途ってたかが知れていたけど、私はソウルで初めて「清潔な味」に出会った。 ソウルに行ったら食べたいものがたくさんあった。それは雑誌POPEYEのソウル特集を手にしたから。 そこには、魅力的な料理の写真と食べたくなる文章が所狭しと並べられていて、雑誌を開いては韓国料理への思いを募らせていた。 ソウルではそんなPOPEYEさまさまを持ち歩き、空腹の時間がないほど食い倒れる予定!!が、実際はそんなに思い通りに行かず、帰国後から今の今まで常にリ
確信めいたことは言えないけど、思い立って考え始めたことを残しておく! 私は今まで、幾度となく「好き」というものに救われていて、好きなものがあって良かったなってことあるごとに思っている。 歳を重ねるごとに好きなものが増えているから、その分良かったなと思うことが増える。 その中に、ドラマがある。 と言ってもドラマ全般ではなく、坂元裕二さんという脚本家のドラマ。私なんかが説明しなくても良いくらい有名な脚本家さんですが、恐縮ながら最近まで存じ上げなかったんですけど、今はサブスク
感じたことを書こうと思っているけれど、わざわざこうしてネット上にあげる必要はあるのだろうか?とも思う。 そもそも、私がインスタの投稿や日記を公開しているのには、理由がある。 私は小さい頃から絵が上手に描けた試しがなく、ずっと絵を描いたりデザインすることが苦手だった。そのことにコンプレックスを感じていたわけではないけれど、入学した大学で芸術系学部の子と関わる機会が増えてから、絵を描けないことやデザインができないこと、何か作品を生み出せないことに引け目を感じ始めた。絵や漫画や
今までずっと猫が苦手だった人生に終止符を打ってくれた(かもしれない)猫ちゃんに出会った話。 私は特に猫に対してトラウマがあるわけでもなく、アレルギーがあるわけでもない。だけど見るのも避けているくらい猫が苦手だった。 猫が苦手でも生きていける、道で野良猫に遭遇して毎度ぎょっとするくらいで、生活に大きな支障があるわけではない。 でも、克服したいと思っていた。ずっと。 触れないどころか見られないほどなのに、猫を好きになりたいとまで思っていた。なぜなら、 私の好きな人が猫好き