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喋り過ぎ、?

普段インスタを巡回していると、おしゃれな構図の写真や、惹かれる色味をした、フィルムカメラっぽい写真を見かける。そこに添えられている言葉もすっきりしていて(量が少ない)、全体的にまとまっていてすごく雰囲気が良い。

それと比べて、私のインスタはと言うと、

おお、
長いね?
長いよ?

長いんです、長いんですよね。

フィード投稿をしようとすると、言いたいことがたくさんあって、できればそれを全部残したい!となり、思うままに書くとこうなります。喋り過ぎだなって自分でも思う。喋り過ぎよりも、言葉数が少なくて、端的で、あっさりしてるあの感じにいつも憧れる。

でも、あの、こうやってnoteを書いてる時点で察するかもしれませんが、喋り過ぎでもいっかって思う自分もいます。

人に伝えること

自分が思っていることを人に伝えることの脆さ、みたいなものを最近感じる。

例えばアイドルのこと。写真とか動画とか、コンテンツを見た時の感想が自分の中にいくつもあって、自分で納得のいく結論や感想がきちんと出来上がるんだけど、それを人に話すとなると、結論があるのに、なぜかその通りに伝えられていない気がしてならない。自分の言語化や話し方が上手くないからだと思う。

自分の頭の中に筋立てがあってそれを表現する言葉もあるのに、いざ口に出して話してみると、全然整ってない。自分の温度感や勢いのまま伝えられてなくて、自分だけ空振りしてる感じ。あ、今、相手に全然伝えられてないし伝わってないなって感じる瞬間が確かにある。そして、少し絶望する。

でも。アイドルや好きなものの良さは私だけが知ってれば良い、とも思う。あの子のダンスの力が綺麗なこととか、お菓子や包装紙が私を救うくらい偉大なこととか、そういうこと、私だけが知ってて私だけが覚えていれば良いと思う。別に、他の人に伝わらなくたって良い。伝わらなくたってその事実は変わらない。だって、ヒカルさんも「誰にも見せなくてもキレイなものはキレイ」ってPINK BLOODで言ってるし!

相手に少し違うように受け取られるのならば、もはや伝えずに自分の中だけに閉じ込めているほうが良いのかも、とさえ思えてくる。まあそうは言っても、自分の好きなものの素晴らしさを他の人に知って欲しいと思うから、こうしてnoteやインスタでつらつらと喋っているのだけど。

西田さんの話

元BRUTUS編集長、西田善太さんがインタビューで言っていたこと。

「昔からよく言っている言葉だけれど、編集者たるもの自分で見て自分で判断することが大事だということです。今は特に何でもSNSで「雰囲気」が流れてくるから、自分の目で見なくても、世の中の動きがなんとなく押さえられてしまいます。でも、好奇心を人に預けて確認しないで、自分で見て、自分の感想を持って、それをためておきなさいということです。たとえ偏っていても、自分の感想がある人の方が絶対、強くて。それが編集者として大事だし、後にそれが取っ掛かりになって広がっていくこともあります。」

人から見聞きした情報で終わらせるのではなくて、足を運んで、体を動かして、自分の目や耳で確かめること。その結果、「思ってたのと違った」期待外れのような感想を抱いたとしても、それは自分だから出た答えの一つで、否定する必要もない。

私は好きなものがたくさんと、はっきりとある分、苦手なものや嫌いなものもはっきりしている自覚があって、好みが偏っていると思う。時々、そういう自分が面倒だな、つまらないなと思うことがあって、もっと柔軟になりたい、嫌いという言葉でものを跳ね除けずにいたい、と思っている。

でも、この西田さんのインタビューを読んで、そんな自分を肯定してもらえた気がした。もっと柔軟でありたいとは今でも思い続けているけれど、偏っていたとしても、自分の好きと嫌いを持っていることは大切なことなんだ。

だから、インスタの投稿文が長すぎるな〜喋り過ぎだな〜と感じても、自分の目で確かめて自分の中で噛み砕いて抱いた感想なので、このスタイルを続けていくのだと思う。端的に、あっさりとした言葉で表現することも諦めていないけどね。

こういう風に、自分に言い聞かせて、魔法をかけて、最近は日々を過ごしています。

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