猫
今までずっと猫が苦手だった人生に終止符を打ってくれた(かもしれない)猫ちゃんに出会った話。
私は特に猫に対してトラウマがあるわけでもなく、アレルギーがあるわけでもない。だけど見るのも避けているくらい猫が苦手だった。
猫が苦手でも生きていける、道で野良猫に遭遇して毎度ぎょっとするくらいで、生活に大きな支障があるわけではない。
でも、克服したいと思っていた。ずっと。
触れないどころか見られないほどなのに、猫を好きになりたいとまで思っていた。なぜなら、
私の好きな人が猫好きだから!!!(オタク発想)
私の人生そのものを変えてくれた文筆家の甲斐みのりさんと、私の長年のアイドルファン人生に突如現れたStrayKids LeeKnowさんの2人。
みのりさんは飼い猫の絵本やグッズを出していて、リノさんは現在進行形で3匹の猫を飼い溺愛してるどころか、売り上げが猫の保護活動に使われる商品を身につけていたりと、猫への愛がすごい。
好きな人の考えや趣味・嗜好を理解したいという私の方針。好きな人が好きなものは私も好きでいたいというオタク発想。好きな人が好きなものを自分は苦手って結構ダメージ大きいんですよね。
故に、猫が苦手だけど好きになりたいキャンペーンを、方法はわからないけどここ2年ほど開催していました。
それが今、「私に猫を触らせろキャンペーン」に変わっている。
【いきなり猫と暮らすことに】
留学先のホストファミリーの家に猫がいた。
いきなり猫と同じ屋根の下で暮らすのは、私にとって冷や汗もの。
2歳の可愛すぎる子どももいて、子ども好きで猫が苦手な私は、天国と地獄を同時に味わった気分だった(地獄なんて言ってごめん)。
でも、ホストファミリーは私が猫が苦手なことを理解してくれて、私が部屋に入って寝るまでは猫と触れないように最大限配慮してくれた。
猫はとてもおとなしくて、噛みついてくることなどなく、ご飯を食べる時以外は、暖房器具や椅子に座ってぬくぬくと寝ていた。
それに、私は1日のほとんど外で過ごしていたので、特に問題なく過ごせていた。
でも、ホストファミリーの家で過ごす最後の日。
この日だけ唯一外に出ず家にいて、荷造りをしていた。
せっかく猫と触れ合える機会。キャンペーンを終了させるべく、意を決した私はリビングにいる猫にそっと触れてみた。
触れる!触れた!!!
案外するっと触れた。触れてしまった。
え?今までの期間なんだった?
野良猫を見かける度ひやっとしてた人間が、目の前の猫を触っているなんて信じられない。
触れたどころか、抱っこして、2ショットも撮って、可愛いとまで言ってるー!
今こうして書いてる時でも信じられない、何この展開。
この一連の写真の流れ、ものの5〜10分の出来事でした。
急展開にもほどがある。
いや、本当に猫苦手だったの?と自分でも疑問に思う。
でも、野良猫に遭遇する度に若干泣きそうな顔になっていたし、流行りの猫ミームの動画すら見れなかった。触ったことなんてこれが人生初めて。
だから、もはや革命。
【私ばっかり好きじゃん!!!】
1番可愛いと思ったのは、私が手を差し出すと、私に頭を撫でてもらうために自分から動いて頭を私の手の下に持ってくるところ。
頭を撫でられるのが心地良いのか、好きなのか。
私が何度手を差し出しても、こうして私の手の下を潜り、自分から撫でにもらいに来てた。
もう、抱っこもしたし、頭も撫でたし、怖いものがなくなった私。構ってと言わんばかりに名前を呼び、気を引こうとし始めます。
でも、ここでよく聞く猫の性質を実感することに。
「気まぐれ!!!」
猫って気まぐれとよく聞く。本当にそうだった。
名前を呼んでもいつも来るわけではなくて(これは私の発音が悪かったのかもしれない)、ちょっと目を離した隙にいなくなったと思ったら、寝てる。
構ってアピールはこの子の前では通用しなかった。
目を覚まして私のことが視界に入っても、誰これ知りません、みたいな反応された。そしてまた眠りにつく。
「私ばっかり好きじゃん」って思いました。
私が今撫でたい、抱っこしたい、触れ合いたいって思ってること、気づいていないのか、気づいてて対応してるのか。
今まで猫と触れあったことがなかったので、猫の気まぐれさに触れたこともなかったけど、それでもわかる。猫は気まぐれ。
でも、しばらく私が部屋に篭って荷造りしていると、庭の方から鳴き声が聞こえて、窓を開けると鳴き声を上げながら私の方まで駆け足で来た。
か、かわいい…。
私、猫に弄ばれていたのかも。
今こうして書き出してみると、自分が見事に猫の手玉に取られていて、面白い。これが猫の魅力…なのかなと猫初心者ながらに思ったのでした。
【私に猫を触らせろ】
一日で触れるようになったけど、でも、長年続いた猫への苦手意識は完全には拭えていない。あの大人しくて優しい猫だったから抵抗なく触れたのかもと思うからだ。
何はともあれ、猫を触れた・可愛いと思えたのは、もはやパラダイムシフト的出来事だった。年を重ねていくと、今まで自分の中にあった価値観が覆されることや、趣味・嗜好に新たな風が吹くことはほとんどなくて、難しいことだなと感じる。大人になるにつれて自分の中に特定の考えがこびりついていく気がするし、何より慣れているから楽なんだよね。新しいものを受け入れるのは個人的には労力がかかる。
だけど、だからこそ、何歳になっても新しいものを受け入れられる人でいたいし、自分が気づいていなかったものの側面や魅力に気づける人でいたい。そうやって視野や世界を広げていきたい。
だから、猫ちゃんにはとても感謝している。正直、連れて帰りたかったくらい。今、この部屋にあの子がいたら、と思うことがある。
猫の可愛さを知った私は、好きな人を少しでも理解できたのか?わからないけど、世界が広がったのは事実だ。
私の好きなジブリにも、好きなスピッツの歌詞にも猫はたくさん出てくる。好きなものをもっと理解できるのかと思うと、嬉しいね。
苦手意識がぶり返す前に触れておきたい、触らせてくれという身勝手な欲望を抱きながら毎日過ごしている。欲だけ十分にあって空回りしている、そんな気分。
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