うおのらこ

ずっと走り続けてきた自分が休憩を選んでから見て聞いて体験したものを”気付き”として発信…

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ずっと走り続けてきた自分が休憩を選んでから見て聞いて体験したものを”気付き”として発信しています。 私の経験が誰かを安心させたり、誰かの支えになれれば嬉しいです!

最近の記事

想いと行動が一致するとどんな相手にもそれが伝わるし、その想いの本にある顔になる

先日の記事で墓参りすることを決め、このあいだ父方の墓参りに行ってきた。 ちょうどそっちの方面に用事があったので、行っちゃえ!ということで。 これまでは家族と墓参りに来ていたから車で快適に移動していたけど今回は一人なので電車を乗り継いで移動。 「じーちゃん、ばーちゃん行くからね!」と心の中で声かけてワクワクしていた。 最寄り駅からお寺までは少し距離があるので前日からタクシー配車アプリを用意し炎天下の中歩かなくていいように準備していたのだけど、いざ使ってみるとキャンセルされまく

    • 自分の体験全てを自分自身とシェアする事で本来の自分に戻ることができるかも

      「お墓参りに行こうかなあ~」 と、ふと頭によぎった7月末。 お盆の時期からズレてしまうけど8月は父方・母方のお墓参りと、夫の実家のお墓参りに行くことにした。 こういう直感って結構大事だよなって思っている。 それに今は自由に動けるし、時間や用事を気にせずに過ごせるのはとても有難い。 せっかくだから自分の幼少期の思い出の地を巡ってみる計画を立ててみた。 祖父母や親戚とよく行った場所に今度は一人で行ってみよう。 よく連れて行ってもらった水族館の近くにある小さな遊園地みたいなとこ

      • 「気乗りしない」感覚が教えてくれること

        自分自身のことについて「やっぱりね」と思うことってありません? 「こうなるだろうと思っていた」とか。 自分はさっきちょうどそれを感じて 「やっぱりなあ~先延ばしにしていたもんなあ~」 と、反省と少しの後悔もありつつ開き直ることにした。 何があったかというと数か月かけて受けていたレクチャーの配布資料を期日までにダウンロードしなかったために資料を残すことができなかったのだ。 今日やろうと思っていたけど昨日までだった… こうなることは予見できていた… さて、このことから自分はど

        • 「ずっとやりたかったこと」はやりたいことリストの外にあるのかもしれない

          「情熱はあるか」 と昔聞かれてからずっと自分の情熱はどこにあるのか探してきた。 これまで灯してきた情熱の炎が消えかかっている事には気が付いていたけど、次はどこにその炎を移せばいいのか分からず右往左往していた。 そしていま、仕事を辞めて4ヶ月経過。 辞めると決めた時に「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本がメッセージ性をもって目の前に現れた。 これが自分の情熱に繋がるのかもしれないと思って退職後は気になっていたワークショップに参加したり会いたい人に会ったりとめちゃ

        想いと行動が一致するとどんな相手にもそれが伝わるし、その想いの本にある顔になる

          自分にぴったりな言葉を見つける

          自分の中には確かにこれまで自分が生きてきた命の記憶が残っている。 だけど、潜在意識を覆う膜が顕在意識との間に柔らかに存在することで容易にはアクセスできなくなってるんだと思う。 その膜は邪魔かというと、そうではないんじゃないかな。 今の自分を生きて、たくさんのことから学ぶためにもその膜は必要なんだと思う。 一つの魂が連綿と続けている命の「区切り」として存在している感じがする。 そうすると、今の自分が浸っている世界で違和感を抱くものや不要になったものとお別れをしていくことで魂の

          自分にぴったりな言葉を見つける

          あなたを見つけて許可を出すこと

          「これからはあなたのやりたいことをやらせてあげるね」 「ちゃんとあなたの声を聴いて、叶えてあげるね」 そんな言葉が自然と口から出てきたのは初めての経験。 これまで自己一致してて二人三脚でやってきていたと思っていたのだけれど本来の私は少しずつへばってきていたみたいで、そのことにやっと気がつけたのが体調をくずしたタイミング。 自分の意思ではどうにもならない状況に対して、身体は一生懸命に対応してくれているのを感じた。 「頑張ってくれてありがとう」 と、身体にずっと応援メッセー

          あなたを見つけて許可を出すこと

          歩みを進める

          noteを書こう!と思ったのは自分の体験や気付きが誰かの役に立てればと思ったからです。 でも、文体が定まらなかったり書く内容の軸はどうしようとか、世界観どうしようとかそういうことで不安になったり面倒に思えてきたりして全く筆が進まず。 以前書いた2つの投稿は表現が独特ではあるけども、私が変化していくときの本当に始まりの頃の話です。 抽象的に書いているけれど、似たような感覚をもって世界を見ている人はいるかな? いるんじゃないかな?と思っています。 何かを変えていくとき 何

          はじまりのことから −3ヶ月

          仕事は順調だし、やりがいもあると感じている 生活もできているし不自由なことはない 良い人に恵まれているし日々学びの中で生きられることは私の喜びだ でも、少しずつ見えてきてしまった 気が付いてしまった 淡々と過ごしていることに いつも同じような生活 同じ時間に同じ流れで支度をして 同じ髪型で同じ顔を作り だいたい同じ組み合わせの服を着る すれ違う人の顔触れもだいたい同じだし 見えている景色も変わり映えがない 暑い寒い 眩しい暗い 晴れだ雨だ それくらいしか感知できない

          はじまりのことから −3ヶ月

          はじまりのこと

          X−2年 年末 〇〇してる人は助かる。 ××した人はダメだ、愚かだ。 そんな言葉をネット上で見かけるようになった。 ただでさえ不安になって怖くなっているのに。 あの時の自分の身体の声に耳を傾けてあげて、行動に移す勇気をもてていたらと後悔しているのに。 その発信をしている人はそんなことは知らないし、関係ないことなので仕方ないのだけど。 そんな中で体調崩した。 世の中から隔離された空間と時間の中で、初めてゆっくり自分の頭で考えて自分の感覚で言葉を紡ぎ出すことができたように思

          はじまりのこと