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はじまりのこと


X−2年 年末
〇〇してる人は助かる。
××した人はダメだ、愚かだ。

そんな言葉をネット上で見かけるようになった。
ただでさえ不安になって怖くなっているのに。
あの時の自分の身体の声に耳を傾けてあげて、行動に移す勇気をもてていたらと後悔しているのに。

その発信をしている人はそんなことは知らないし、関係ないことなので仕方ないのだけど。

そんな中で体調崩した。
世の中から隔離された空間と時間の中で、初めてゆっくり自分の頭で考えて自分の感覚で言葉を紡ぎ出すことができたように思う。


色んな発信を目にする中で「愚か」というポジションに自分を置き
悔しさ
悲しさ
妬み
色んな負の感情が渦巻いたこともあり、選民思想や優生思想ともとれる発信に疑問を抱いた。
最初は悔しさと怒りからのスタートだった。



そこで思ったことは
「これからやれることをやるだけ」
ただそれだけだった。

今まさにこの身体は頑張ってくれている。
ごちゃごちゃ考えて感情も動きまくっている私を、淡々と支えてくれていつも通りのリズムに戻そうと一生懸命に働いてくれている。
そのことに気がついて、感謝の気持ちが湧いた。
そして涙も流した。

これまで身体を我が物のように雑に扱ってきたことに気がついた。
この身体はご先祖様が大切に繋いできてくれたもので、戦争や飢餓やその他大変な出来事があっても必死で守り抜いて次世代に繋いできてくれた身体だということにやっと気がついた。

そうしたらそのまんま絶望して後悔の中にズブズブ沈んでいるのではなく、これからは自分で考えてこの身体を大切にし自分の感覚に従って道を歩んでいこうと決めた。
自分を生きることをしていこうと思った。
そのためにできることは色々試して、色んな冒険をしようと思った。


今まで我慢させた自分、苦労をかけた自分への謝罪をした。
だからこれからは自分のやりたいことをやらせてあげることを許可した。
自分が自分の味方でいることを約束した。


〇〇な人は助かる。
〇〇してない人がこれからを導く。
〇〇だから優秀。
〇〇は報われる。


そうなのかもしれない。
だけど、そこで慢心していて何になる?

そういう言葉はとても心地よくて自分を満たしてくれる。
でも、停滞させて思考を奪い、いつしか偏った見方を助長させ分断を促進するかもしれない。
そんなふうにも思った。
それはちょっと怖いな。
元々は皆を助けたい想いのあった人達なんだろうなと思うから。

分断っていうのも、私がそう感じているだけなのかもしれないけど。


自分はどうしたいのか
自分はどう考えるのか
自分は何を求めるのか


自分自身に許可を与えた
はじまりの日

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