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「ずっとやりたかったこと」はやりたいことリストの外にあるのかもしれない

「情熱はあるか」

と昔聞かれてからずっと自分の情熱はどこにあるのか探してきた。
これまで灯してきた情熱の炎が消えかかっている事には気が付いていたけど、次はどこにその炎を移せばいいのか分からず右往左往していた。

そしていま、仕事を辞めて4ヶ月経過。
辞めると決めた時に「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本がメッセージ性をもって目の前に現れた。

これが自分の情熱に繋がるのかもしれないと思って退職後は気になっていたワークショップに参加したり会いたい人に会ったりとめちゃくちゃに動き回っていた。
確かに楽しい毎日を過ごしたし今までとは異なる交友関係が広がって世界が変わっていくのを感じていた。
でも、情熱に繋がる感じがどうしてもしない。
ワクワクして過ごしているけどなんか違う…

そんなある日にピクニックをしてみた。
裸足で芝生の上を歩き地面の湿り気や芝の力強さ、大地の優しさを感じた。
途中の店で買ったクッキーを頬張ると硬い食感が歯を通して伝わり、ただ口に咥えているだけで唾液が溢れてくる。
春と夏の狭間を感じさせる風は心地よいけれど髪の毛が顔に纏わりついて邪魔くさいとも思いながら、鳥の鳴き声や木々の揺れる音に満たされた空間に浸り、時間経過で変化していく陽の表情をただ見つめていた。
ふと、気が付いた。

「自分のために感覚を使っている」
「自分の感覚を味わっている」

自分にとっては物凄い衝撃だった。
感覚は普段から感じているし、感覚があるのは当たり前だと思っていたけど全然自分のために使えていなかったことに気が付いた。

仕事では目の前の相手を理解するために自分の感覚を総動員して「相手に向けて」使っていたのだ。
いつからだろう、自分の感覚を他のために使うようになったのは。
いつから他に気を遣って、感覚を遣ってきたのだろうか。

やっと自分自身に感覚が戻ってきたように感じて嬉しかった。
やっと自分自身になれたと思った。
自分が戻ってきた。

最近になってようやく分かってきた事は、
「自分自身を知る事に情熱の炎を燃やしている」
ということ。

「ずっとやりたかったこと」は
「自分自身を感じること」
だったんだ。

これに気が付いた後、見える世界と自分の選択・行動が変化していった。

ずっとやりたかったことは、あなたの頭の中にあるやりたい事リストの外にあるのかもしれない。
そこに辿り着くまでの過程に無駄は一切ないし、その過程を踏むことでちゃんと気付ける時がくる。
今、もがいて悩んでいる時間も決して無駄ではないと思う。
その経験が今大事なんだと思う。
あなたが自分自身に近づくために一生懸命やっていることには全て意味があるよ。

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