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星の出ているうちに帰っておいで*手放し*he said epi48

 20年ぶりに会った佐野は、俺と同い年の割には、頭も薄くなりお腹も出ていて随分老けて見えた。

「今、何やってるんだよ。俺は、まだ印刷会社勤めだ。営業畑で30年。今では統括部長だよ。今時の若手の育成は、骨が折れる。怒るとすぐ鬱だなんだと言って、辞めちゃうからさ」

 俺はただの営業。何十年勤めても役職はない。男のプライドが俺を無口にさせていた。俺がそのままそこにいたら、俺がそこにいたはずだ。

「最近俺、再婚してさ。今度、嫁さんと一緒に高知に引っ越すつもりなんだ」
「高知?!なんで、縁も所縁もない土地に?!子供は?仕事は?」
「子供はもう社会人だし。嫁さんの実家が酒屋でさ。そこを継ぐことにしたんだ。俺がここに居なくてももういいだろ。雇われはもう終わり。悠々自適とまではいかないけど、雪が降らない南の土地で心機一転もいいなってさ」

 正直、羨ましく思った。俺は、いくつになってもしがないただの営業だ。気分が上がらない会社で給料だけにしがみついてる。そんな会社を辞めるか続けるかも決められない自分が情けなく感じる。

 「俺のポストが空くんだよ。お前がいなくなってから、会社が傾いて中間層ががっつりいないんだ。今の営業連中は若すぎる。俺のポストに新しいやつを入れなくちゃいけない。正直、今回の本題はこれなんだ(笑)また、戻ってこないか?すぐにとは言わないが…。できるだけ早いと嬉しいがね(笑)考えてみてくれ」

 俺は、印刷会社にいた当時は、最年少で課長職まで上り詰めていた。佐野からの申し出は願ったり叶ったりの条件。それでも、俺はすぐに返事が出来ずにいた。環境の変化は俺を不安にさせる。もっと色々考えたい。ここぞという時の決断がいつも先延ばしにしてしまう。

「少し時間をくれよ。俺にも家族がいるし、仕事も…」
「この歳になると、しがらみも多いからな。無理にとは言わないよ。子供はまだ学生なのか?」
「まだ中学生だ」
「そんなに小さいのか!じゃ、無理は言えないな」
「ちょっと待ってくれ。考えたい。近いうちにまた、連絡するよ」

冷え切った家族。
不安定な会社。

そんなことは相談できずに、ただ思い出話しをしてその日は後にした。

 このタイミングで、突然来た連絡。戸惑いはあったが、同時に得体のしれない感覚もあった。

 「このまま進んでいい」

 心の中の声が聞こえた気がした。これまでの未来へのネガティブな不安も、父親だから、夫として、男だからという凝り固まった思考もフラットになった気がする。

 佐野の申し出から3日後、俺は佐野にOKの返事をして、会社に退職願いを提出した。

 友莉子には、会社を退職したことだけを事後報告した。
「は?何勝手に決めているの?これからどうするの?もう!いつも勝手に決めて。私のお金をあてにされても困るんだけど。これから、子供にもお金がかかるのに…。早めに次を決めてよね」
「離婚したいって言っていただろう。友莉子のお金をあてにする気はないよ。これまで全部入れてきたんだから、今までいくらあるのかとか見せて欲しい。子供にかかるお金も計算して…」
「そうだったね…。離婚しようか」

子供のことより、金かよ…。また突然の申し出に「ちょっと待て」なんて言うつもりは毛頭ない。

「離婚しよう」

 娘が今年受験だ。落ち着くまでは、お互い表立っての行動は控えた。とりあえず会社には、ほんの数カ月分の給料と退職金は別口座への振込を依頼した。友莉子は頑なに通帳を見せてはくれなかった。お金の話をすると、いつも俺が通帳を見せろと言うから、友莉子は、そのうち退職金の話もしなくなっていった。

 息子と娘に、時間がある時を見つけては、一人ずつゆっくりと状況を説明する。ただただごめん。その一点の感情しかない。

 それでも、俺の中に一本「ここじゃない」という思いだけは消えることはなかった。

 

 

 


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