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私が関わった命から学んだこと

私は職業柄、たくさんの方々の最期の瞬間やそこへ向かうまでの数ヶ月間の患者さんと家族の姿を見てきた。

主な勤務場所は精神科病棟。
ここでは患者さんと家族の悲しい別れはない場合もある。
もちろん患者さんの状況は家族に説明しているが「死んだら連絡を」というパターンも少なくない。

それって家族が冷たいわけではないんだよね。
そういう関係を長い時間をかけ、構築してきた患者さんと家族。
高齢になり病気になったとて、優しくはなれない関係性。

家族もたくさんの苦労や悩みを抱え、生きてきた。
親の最期を迎え「死んだら連絡して」という結論を出す。

そんな家族関係も少なくはない。



私が41歳のとき母が亡くなった。
母が病気であると認識したのは中学1年生の時。
地元の総合病院で大きな手術をうけ、その後亡くなるまでの28年間いろいろな合併症を発症し、入退院を繰り返していた。
それでも家族旅行に行ったり、穏やかな時間もたくさんあったのが救い。

母の最後の病名は癌。今までの既往から抗がん剤治療などは出来ず、余命3ヶ月と宣告された。

余命宣告を受けた時、私は子ども達3人が大学生や高校生であり学費や仕送りなどのために忙しく働いていた。
病院の付き添いや医師からの説明など聞くようにしていたが、父と二人暮らしをしていた実家に行って母を労ることはあまりできていなかったように思う。

亡くなるまでの3ヶ月、主治医からの説明や血液検査データなどを見聞きしていていたのに「本当に母は亡くなってしまうのだろうか」と現実味がなかった。

人が亡くなる場面はたくさん見ている。
その状態と母の状態が違いすぎて現実のものとは思えなかった。

いや。元気一杯に過ごしていたわけではない。
食欲はなかったし、痩せたし、顔色も悪かったし…。
ただ、意識はしっかりしていた。
家族の心配をし、弱音を吐かなかった。

母が亡くなる前日、いつも通りお見舞いに行き、言葉は少ないながらも母とおしゃべりをした。
排尿がほとんどなく、看護師に「これしか出てないんですか?」と尋ねた。
「もしかしたら死んでしまうのかもしれない…。今夜かもしれない。いやそんなことはない」と考えたのに「また来るね」と帰宅した。

早朝5時頃、慌てた父親から電話があった。電話の向こう側には医療機器の電子音。
亡くなる前兆を感じ取ったのに。
何でそばにいなかったんだろう…と後悔した。

これを書いている今も涙が出る。



その10年後、今度は父の番。
死因は母と同じ癌ではあったが、認知症があったおかげで父自身に病識があまりなく、本当に良かったと思っている。

癌の方は高齢者らしくゆっくりとした進行であったので「これは癌で亡くなるのではなく、寿命が先に来るな」と考えていた。

認知症はといえば、介護保険を利用して家の手すりをつけ、ディサービスへ行くようになり、ショートステイを利用するようになり…と、教科書のような進行具合。
物忘れ、出来ていたことが出来なくなり、家族の名前を忘れ…とこれまたお手本のような進行。

しかし、癌が急速に進行し、今まで順調に利用していた施設は看取りの対応ができず急に退所になった。
訪問診療やケアマネージャーと相談しながら「痛くないように、苦しくないように」と症状の緩和をしながら、次の施設を探した。


父のオムツ交換を抵抗なく出来たり、鍵付きの介護服(わかる人にはわかる!)を躊躇なく着せたり、介護や看護を経験していて良かったと思った。

私と姉で役割を分担しながら、できることをした。
名前はなかなか思い出せないけど、私たち姉妹や孫達の存在は認識できていた。
順番に面会にくる孫達を見て喜んでいた。

新しく入居した施設で、いつも通り穏やかに夕食をとり「また明日来るね」と面会を終え、翌朝に父は亡くなった。

父の遺体を見て、次にここに寝ているのは私だと実感した。
当たり前だけど「人は生きて死ぬ」「それは思うより早い」ことを実感した。

父も母も数ヶ月の準備期間を与えてくれた。
死を受け入れるまではいかなかったが、関わる時間を与えてくれたことに感謝している。
父に関しては認知症の症状で自宅が荒れた時期もあり「これがいつまで続くのか…」と思う時間も正直あった。
しかし。まぁ。父らしくいられる環境を探したり介護をしたり…、頑張りを発揮する時間を与えてくれたからこそ、清々しく父を見送れたように思う。

私が経験した看取りの中で、
こんなに意識がしっかりしたまま最期を迎え、家族に弱音を吐かなかった人を見たのは母が初めて。
亡くなる前日も箸を持ちご飯を食べ、穏やかに穏やかに過ごした人を見たのも父が初めて。

両親のように死にたいと本当に思う。

実家を片付け、両親との思い出の品はどんどん無くなり、記憶も薄れていくけど、こんな思いを残してくれたことは両親からもらった財産。


両親のように死ぬにはどうしたらいいか…と壮大な思いと課題を私に与えてくれた。
死ぬ瞬間やそこまでの数ヶ月の出来事ではなく、そうなるための家族の信頼関係、健康、残りの人生の生き方…。
意識することはワンサカある。


「死」を意識することで「生」が輝く…みたいな言葉あるよね。まさにそれ。


患者さんや家族から「家族」「信頼関係」について、両親から「死と生」を学んだ。


両親が亡くなる前「子ども達には世話にならないように…」と思っていたが、数ヶ月くらいはお世話になり、子ども達に心の準備をしてもらうのも悪くはない。
少しお世話になることで、子ども達自身が後悔を残さないようになるのならばその方がいいと学んだ。
(そううまくはいかないだろうが…)


なにより、それまでの時間をどう過ごすか…だ。
子ども達と大人同士の自立した関係を築きながら、自分の人生を生きる。

夫婦でも、親子でも、恋人同士でも、
信頼関係が築けてなければ寄り添うことなんてできないよね。
相手が病気になったからって急に優しくなんてなれない…。当たり前よ。
それまでの関係がその先の関係を作るから。


逆にそれまでの関係が良ければ、死に際にそばにいなくたっていい。
それまでの温かい関係や思い出を持って逝ければ幸せなのである。
(いや。その思いは変わるかも。そばにいて欲しいかもしれない)


私が亡くなった時、少しだけ泣いたあと「お母さんは大変な時間もあったけど楽しそうに生きていた」って思ってもらえたら嬉しい。 

そうなれるように
これからも信頼関係を築きながら、私自身が幸せに過ごすこと。
自分自身の時間を大切に生きること。


さ。明日からも私らしく。



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