『優しい』という才能の活かし方
こんにちは。明里です。
新年度が始まり、さまざまな人との出会いや別れが多いシーズンですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は、
「優しいね」と言われたことがある
「優しい自分」に苦しんでいる
他人から利用されて辛かった経験がある
損をしたような気持ちになったことがある
そんな方々に向けて、
私なりの経験と『優しい』という才能との活かし方について記したいと思います。
「優しいね」と言われて嬉しくなかった
さっそくですが私は、よく「優しいね」と言われます。
年齢性別問わずに初対面の方と話ができたり、外国の方から道を聞かれたり「写真を撮ってくれませんか?」と頼まれることがよくあります。また、言いにくいであろうこと(身体的・家庭・仕事など)を打ち明けてもらうことがあったり、自分の身の丈以上の相談事をされることもあります。
そんな私ではありますが、苦い経験もたくさんあります。
相談がだんだんと要求に変わっていったり、親切にしたつもりが逆に無碍に扱われるようになったり、無神経な言葉を言われたりと本当にさまざまです。良かれと思ってしたことが裏目に出るたびに、自分を責めてしまったり、裏切られたように感じていました。
『優しい』って言われるけれど、すごく損をしている気がする…
なんでこんな思いをしなきゃいけないんだろう…
いつしか「優しいね」と言われることが、マイナスのように感じるようになってしまいました。
ニュース番組のインタビュー
そんな悶々としていたとき、とあるニュース番組を見ました。
『赤ちゃんの名前を付けるとき、令和ではどんな漢字を選ぶのか』というテーマで、待望の赤ちゃんが産まれたご夫婦にインタビューをする、というものでした。さまざまな願いが込められた漢字が候補に上がる中で、
「優しい子になってほしいから“優”を入れたいんです」
と、話すご夫婦がいました。私は、とても衝撃でした。名前は、親から子どもへ初めて贈る、大事なものです。いろんな願いや想いを込める中で“優しい”を選ぶ人がいるんだと、目から鱗だったのです。
そして、もしかしたら『優しい』というのは、才能のひとつなんじゃないか?と、少しずつ考え始めるようになりました。
自分にとっては当たり前でも、「優しいね」と言われるほど人に寄り添えたことは事実。損をしたように感じたのは、その才能を上手く扱えていなかったからではないか?包丁で誤って手を切ってしまったようなものだとしたら、じゃあ次はどうすれば良いか考えてみよう、と思ったのです。
『優しい』という才能の活かし方
自分なりに考えた結果、
『優しい』というのは才能のひとつである、としっかり自覚すること
『人には優しくするべき』ではなく『人に優しく在りたい(できない時があってもいい)』というスタンスでいること
自分の問題なのか、他人の問題なのか、ライン(境界線)を意識すること
自分や身近にいる大切な人に、この才能を活かすこと
まずはこれらから始めてみることにしました。
よく「優しい人は、辛い経験をしたからこそ、相手の気持ちがよく分かるんだ」と聞きます。確かに私も辛い経験をしたことはあります。でも、程度の差はあれ、みんな何かしら辛い経験はしていますよね。それなのに、世の中優しい人ばかりではありません。
つまり、『優しい』は、その人自身で知らず知らずのうちに培った、才能と呼んでも良いほどの素晴らしいものなんです。
自然とできてしまうからこそ『これも才能の1つなんだ』と自覚することが、なかなか難しいのだと思います。だから他人の「優しいね」は褒め言葉でもあり、気付くキッカケでもあるんです。
人に優しくすることが当たり前にできるからといって、
自分で雑に扱ってはいけないし、誰かに傷付けられていい訳でもありません。
その才能を、誰にどこで活かすかは、自分自身の決定権で判断して良い。
だからこそ、人に優しく“在りたい”(できたらいい)で構わないのです。
優しいという才能と上手く付き合うことができれば、もっと自分自身を大切にすることができ、そんな自分を心から大切にしてくれる人と出会えるのだと思います。
「優しいね」と言われたことを誇ってください。
優しいは才能です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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