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江戸時代の一生分。

現代人が1日に触れる情報量は

江戸時代の一年分

平安時代の一生分

らしい。

そんなバカな、と思ったけど。

改めて考えてみると、
確かにそうなのかもしれない。

お役人さんや、お代官さまみたいなお偉い役職についていた人はそうではなかったかもだけど。

昔好きで良く読んでいた、
時代物の小説に出てくる江戸の街の人たちのくらしは。

慌ただしいようでいて、どこか長閑だった。

ご近所さん同士のコミュニティー内での出来事だったり。

日々の自分達の生活だったりに一生懸命。

あくまで創作の中の話ではあるのだけれど。

スマホもテレビも無い時代。

世間の流れは噂や、瓦版や、立て札で知る時代。

それらで伝えられる文章量だって、高が知れている。

きっと、
現代人が朝の短時間のニュースで触れる、
国内どころか世界中の出来事たちの情報量だけで、江戸時代の1年分の情報量なんて超えてしまうのだろう。

凡人のつもりで生きているけれど、
その自分の脳みそですら、江戸時代の人々の一年分の情報量を詰め込んで一日頑張っている。

それは、

幸福なことなのか

不幸なことなのか

自分にはわからない。

自分はただ、
生まれ落ちたこの時代で、
与えられた命を全うするのみ。

江戸時代の人々は、現代人を見てどう思うのだろう?

そんな興味が頭に過るけど。

きっと、どの時代も良いこともあれば、悪いこともある。

結局は、
楽しむも、悲観するも、本人の生き方と考え方次第なんだろう。

時に、情報に溺れ自分を見失いそうになるけれど。

それらの中から必要な情報を選別し、自分の中に落とし込んで。

自分の頭で思考する事も放棄せず。

上手く情報と付き合って生きて行たいと思った。


現代人が1日に触れる情報量は

江戸時代の一年分

平安時代の一生分

そんな、興味を引く情報に突然触れて。

予定にもなかったコトを、突然思考することになった。

自分の脳みそ、お疲れ様。


ちなみに、
この話は旦那さんとの雑談で昨晩出た話なんだけれど。

私は

現代人が1日に触れる情報量は

江戸時代の“一生分”

だと聞いたつもりでいた。

旦那さんが間違って教えたのか?

自分が聞き間違えたのか?

人間の記憶なんて酷く曖昧だ。

自分にとって興味のあることや耳障りの良い言葉しか入ってこない。

だからこそ。

自分の思考に影響を与える情報ほど、
複数の媒体で真偽を確かめる必要性があるのだと、
痛感した出来事でもあった。

そんなことを思った昼下がり。


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