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セキセイインコ愛

あらゆる生き物のなかで最も愛くるしいと私が思うのは、セキセイインコだ。
美しい羽色やつぶらな瞳、小首を傾げるような仕草や愛嬌ある鳴き声。全てが愛らしくて、セキセイインコと書いてラブリーと読むことになりましたと言われても納得する。

初めての出会いは小学校高学年の頃。親戚から譲ってもらった、黄色に黒い模様のあるメスのセキセイだった。羽を膨らませるとフクッとしたフォルムが可愛かった。昭和漫才コンビ今いくよくるよのぽっちゃりした方の名前からくるよちゃんと名付けて(当時でも小学生としては渋すぎる理由)、クーちゃんと呼んでいた。

親戚の家にはクーちゃんの兄にあたるインコ、ピーちゃんがいた。ピーちゃんは人間の言葉をよく覚えて真似た。「ピーちゃんは自分の名前と住所もしゃべるんだよ」と伯母さんが自慢するので、妹のクーちゃんにも是非そんな芸を覚えさせたいところだった。が、オスとメスの違いからか、いくら教えても鳥語で返事するだけで、まったく話してくれなかった。
それでもちょこちょこ歩き回ったり、肩にチョンと乗ったりと、可愛らしいことこの上なかった。しかし、ある日突然、卵詰まりを起こしてしまい、動物病院に連れて行ったが間に合わず、亡くなった。初めてのペットの死はとても悲しくて、冷たくなったクーちゃんの手触りにおののき、幼い私はしばらく落ち込んだ。

社会人になり、独り暮らしの時に迎えたのは、水色の羽が美しいオスのインコだった。心が荒んでいた東京時代に、どうしてももう一度セキセイを飼いたくなって鳥屋をのぞいたのだった。ペットショップというオシャレな業態ではなくて、昔ながらの鳥屋というのがまだある(都会の片隅で、たぶん今も)。おじさん一人でやってるような店で、店内は薄暗くてたくさんのカゴに色んな鳥たちが鳴いていた。
セキセイを見たいんです、と言うと、おじさんがテーブルの上の黒い幕をパッと開けた。すると、カゴの中にヒナたちがうごめいていた。みんな隅の方に逃げる中、一羽だけは私の方に向かってやって来て、ピィピィ!と元気に鳴いている。それが二代目インコ、ピコちゃんとの出会いだ(名前は当時PPAPで一世を風靡していたピコ太郎氏から頂いた)。

ピコちゃんにも、私は熱心に話しかけて言葉を教えた。すると、ゴニョゴニョと何か言うようになり、次第に「オハヨ」「ピコチャン!」などと話すようになった。小さな頭で一生懸命、人の言葉を覚えてくれてなんて可愛いんだろう!と感動した。SNSでその様子を投稿して、鳥飼いコミュニティで愛鳥家たちとの交流も広がった。

一方、リアルな友だちの目にはわたしが異様なほどインコ愛にのめり込んでいるように映ったに違いない。ピコちゃんの話す動画を嬉々として見せると、「その喋りかたは、間違いなくあなたの“子”だよ…」と呆れたように言われた。

水浴びをしたり、餌をついばんだり、おもちゃで遊んだり。その合間にわたしの方に飛んでくるピコちゃんは本当に癒しだった。餌をねだるときには「オイシ、オイシ(美味しいものちょうだい)」と言い、満足したときに「アリガト!」と言ったこともあった。鳥って本当に賢いなあと感じられることばかりだった。

そんな楽しい日々にもまた突然、終わりがきた。季節の変わり目に体調を崩したピコちゃんを鳥専門病院に連れて行き、薬を与えたり温めたりと必死で看病を続けた。しかし、力及ばず、亡くしてしまった。クーちゃんの時と同様、心にぽっかり穴が開いてしまった。翼ある小さな生き物が、これほどまでに自分の生活の中で大きな存在になることを知った。

その後はインコもその他のペットも飼うことなく今に至る。
今でも時々、半分覚醒した夢の中で、肩からインコが飛び立った時のような羽ばたきの感触を感じることがある。この世を去ってもなお、そんな風に思い出させてくれるなんて、本当にインコって可愛いやつ、とまたセキセイインコ愛を深めるのである。

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