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【番外編】20代の頃にハローワークで紹介してもらった仕事を4か月で辞めた理由

ハローワークが、今とても便利だというエピソードを次回の記事で書かせて頂く予定なのですが、今回は私の20代の頃のハローワークで紹介してもらったお仕事が失敗だった!ということをご紹介いたします。

今となっては面白エピソードとして黒歴史的にお話することができるのですが、当時はうつ状態になったりと本当に大変でした。
こんなこともあったよ、という息抜きエピソードとして今回の記事は読んでいただけると嬉しいです。


20代の頃に紹介してもらったハローワークで見つけたお仕事

確か、2件ほどお仕事を紹介してもらったと記憶しています。

1件目は都内某所にある、中華料理のデリバリーをやっている会社の事務のお仕事で、フルタイム勤務のお仕事でした。

面接に行った際、当時はまだ禁煙や分煙がシッカリとしていなかった時代で、徐々に禁煙の会社も増えつつあるような頃だったのだと思います。

私がそれ前に働いていた企業は、38階建てビルの36階と37階だったため、そういうオフィスビルは喫煙ルームもしっかりしていたからなのだと、その時になって初めて知りました。

その中華料理のデリバリー会社は、社内分煙という形だったので、自分の座席で普通にタバコを吸いながら仕事をしている男性が、まだまだいる状態でした。
そんな時代もあったんだな、とビックリしますね。

そのため、オフィス内がタバコの煙でモクモクとしていたりもして、正直空気悪いな~という印象でした。
そして、面接を担当して下さった女性が社長秘書されてる方だと思うのですが、愛人臭がやばいやばい!

「この人間違いなく社長の愛人だな」

って、見て感じるんです。
実際どうだったかは不明ですが。(違っていたら大変失礼)
結局、こちらからは不採用だったのですが、私的にもデスクでタバコをスパスパしてる男性の隣では仕事は絶対したくないな、と思ったので願ったりかなったりでした。

20代の頃に紹介してもらったハローワークで見つけて採用されたお仕事

もう一件は、都内某所で大学関連のお仕事や、大学教授に関わるお仕事、美術展などに関わるフルタイムのお仕事でした。

始業時間が10時からと遅めですが、18時までの勤務。
大学の学食を利用したり、大学のそばだったこともあって、安くお昼が食べられるお店も周りに多かったです。

社長も秘書の方も女性。
とにかくほぼ女性のみの職場だったのですが、私が持っていた資格をいたく気に入られ、配属先予定の上司の方も同じ資格を持っておられるとのことで、とても気に入っていただき、その場で即決採用となりました。

ですが、入ってみたら「どうもハローワークの求人内容と違う……」ということが多々でてきました。

即決採用となった職場はどう考えてもブラックなのでは?

今思うと、ハローワークの求人票と完全に違うのでは?と思う部分が多々あるのですが、就職してしまったため求人票も処分してしまっていましたし、当時は「相違があった場合に云々」とか、特に言われていなかったように思います。

実際、私が「あれれ?おかしくないか?」と感じていた内容は以下のとおりです。

  1.  18時を過ぎての仕事はサービス残業で、残業代は出ない。

  2.  定時で帰ろうとすると怒られる。(業務終了後に日報を書くので18時を過 ぎるのが当たり前という考え)

  3.  教授がお客様を呼んでホストとしてパーティーをする際に、もてなすのは社員。もちろん残業代は出ない。

  4.  教授の講義のような月一回の会議には必ず出席しなくはならず、欠勤してはならない。(ので、出張も無理やり日帰りにした)

  5.  日報に上司との仕事のことを書いたら「悪口を書いている」と社長から呼び出される。

  6.  仕事帰りに社員同士で食事に行くことは禁止。(悪口大会になるのを恐れているため)

まず1つ目。
サービス残業が当たり前の職場だったので、決まっている月給以上にお給料は出ません。
出るのは、出張などの日当や休日出勤手当くらいでした。

2つ目。
業務が終わってから日報を書くもの、と決められているらしく18時よりも前に日報を書いて18時に退社しようとすると、怒られます。

3つ目。
会社の入っているビル内で、たまに教授がお客様をお呼びしてパーティ的なものを開くことがあり、軽食や飲み物などもてなすのは社員の仕事で、もちろんこれも残業手当はなしのサービス残業でした。(ホテルとかでやれ)
しかも、ホテルでの講演会などもあり、そこで書籍販売をするのも社員の仕事でした。

4つ目。
教授が熱く語るための会議が月に1回行われるのですが、そこには「絶対休んじゃダメ!絶対出席して!」と社長から言われていたので、四国へ出張するも翌日が会議ということで、日帰りで四国へ行きました。
すると「泊まってきてちゃんと仕事してきてほしかった」と上司からは言われ、矛盾を感じざるを得ませんでした。

5つ目。
私が入った部署は、社員が次から次へと辞めていく部署だったので、私と入れ替わりで2名の社員が辞めて、その後増員がなかったため、上司と2人で仕事をしなくてはなりませんでした。
そのため「日報」には上司との仕事のことを書いていたのですが、それを社長が「あなたは〇〇さんの悪口を書いているわ!」と、意味のわからない事を言われ呼び出されました。

この呼び出しで「あなたはね、この会社にとっては『人手』なの『人材』じゃないのよ」と社長から言われました。
これ、よく教授が言ってるらしい言葉(人材ではなく人手)だったようです。
でも、その後私が画像ソフトなどを使ってカタログ作成などができるということを知った社長は、そっと私のそばに来て跪いて
「あなたはこの会社にとって『人材』なの、だから辞められると困るのよ」
と、掌を返してきました。
恐らく、秘書の女性がそう言えと言ったのでしょう。

私がパワハラで訴えるのではないかとか、助言したのかもしれません。
訴えたりはしませんが、かれこれ22年も前のことなのでこうしてブログには書かせていただいていますけどね。
今も、その会社は倒産せずに存在している様です。
教授がご存命だからかもしれませんね。

6つ目。
仕事終わりで社員同士で食事に行ったり、飲みに行ったりすることを禁止されていました。
お昼休憩は電話番などもあり、同じ部署内でも交互にお昼休みを1時間取ることを許されていましたが、仕事が終わってから社員同士で仲良くするのは社長から禁止と言われていました。
自分の悪口を言われたり、社員同士の悪口を言ったりというのを恐れていたようです。
実際、一度だけこっそりほかの部署の社員さんと夕飯食べに行ったことがありましたが、案の定悪口大会でした。

そして私は嘘をついてその職場から4か月で逃げました!

他の社員さんから聞いた話では
「冬のボーナスがたったの3万円だった。おこづかいかよ!」
というエピソードなどもありました。

私が感じた部分では
「誰かに話すと社員全員に伝わってしまっている」
ということでした。

噂話が広がるのが早いというか……
当時、お付き合いをしていた彼氏がいたのですが、彼氏がいるいないとかいう話は即座に広まっていましたね。
とにかく「誰も信用することはできない」と感じる職場でした。

直属の上司からもよく理不尽なことで怒られたりしていました。
でも時々感じていたのは、上司と出張の移動中に仕事以外の趣味の話などをしたことがあるのですが、この上司とはプライベートで知り合っていたら「趣味がめちゃくちゃ絶対合う人だったのになあ」と、とても残念にいつも感じていました。

でも「これ教えましたよね」(教えてもらってません)とか
「なんで間違うんですか」(教えてもらってませんので)とか
「一人で行けますよね」(行くしかないみたいですね)とか
「これがうちのものだとわかりますよね」(マニュアルとか一覧表とかないのでわかるわけないのですが)とか
常にそんな感じでした。

私より10歳年上の上司で、私に仕事を引き継いだら辞めようと考えていることを知って、私は噓をついてその職場を退職しました。

とにかく眠っても仕事の夢しか見ず、うなされ、ずっとうつ状態でした。
仕事を休めば怒られる、仕事に行っても怒られる、そういうプレッシャーで食事も喉を通らなくなり、辛い辛いとしか考えることができなくなり、逃げました。

実家の母からは
「どうしても無理な時は帰ってきていいからね」
と言ってもらえたので心が軽くなり、実家に帰ることになったと嘘をついて退職することができました。

退職後は、会社の電話も上司の電話もすべて着信拒否にしました。
あとはもう知りません的な感じで、とにかく心の回復には5か月ほどかかりました。

その数か月後に電車内で、同じ会社で別部署だった人(同じ会社だった時に帰りが一緒になったこともある)と、ばったり同じ車両になってしまった時には、まずい!!と思いながら知らぬふりをしました。
私は実家に帰ったことになっていますからね。笑
バレたかもしれませんが、知らんぷりしてやり過ごしました。

仕事には自分に合う、合わないがあることを知る

その後、派遣会社に登録をしてお仕事を紹介して頂いたのですが、派遣先の会社には営業事務として5年ほど勤めることができました。

実は、この派遣先の会社は、正社員の事務の方とほぼ同じ業務内容を求められるためか、新しく派遣社員さんが派遣されてきても、下手すると1日で来なくなってしまう人もいたりしました。

でも、私はその前職の辛い経験があったお陰で、その職場が天国のような快適な職場にしか感じられませんでしたので、5年勤務できたと思っています。(結婚による退職でした)
あの辛かった経験は、無駄ではなかったんだなあと当時本当に感じていました。

もしまた営業事務のお仕事ができるのであれば、またやってみたいと思っていますが、なかなか今住んでいる場所では車通勤じゃないと派遣のお仕事に就けないとか、子供がいるからフルタイムはちょっと難しいとか、色々な事情があり、派遣でのお仕事に踏み切れないのがとても残念です。

パートで事務のお仕事ができたらいいなぁ、と思って近所で探してみるものの「近所で事務の仕事」って意外と地域的になかったりします。
お店の接客などはわりと募集はあるんですけどね……

引き続き、お仕事探し頑張ります!

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