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東京の商店街

 大学進学を機に地元の岐阜から東京に越してきて3年ほど経つのだが、相変わらず東京が苦手だ。流行りのスポットも、輝いた人達も、自分とは交わらない感じがあってあまり好きになれない。もちろん、僕が好きになれないモノにも魅力はたっぷり。でも、僕の肌には合わない。タイプの問題だ。おのぼりさんでごめんなさい。

 しかし、そんな東京にも好きな場所がある。それは、商店街のある場所だ。浅草、谷根千、巣鴨。行ってみたら全部好きだった。いわゆる下町と呼ばれる場所。さながら砂漠の中のオアシス。呼吸がしやすい。自分の肌に合っている。

 
 そしてなぜ、商店街のある場所が好きなのだろう?と考えていくと、それは自分のルーツ、「家族」に辿り着く―

 
 僕の父方の祖父母は、岐阜の笠松町の商店街で、小さな本屋を営んでいた。僕は子どもの頃、そこで毎月コロコロコミックを祖父母から無料で貰っていた。『でんぢゃらすじーさん』、『ペンギンの問題』、『ド根性小学生ボン・ビー太』。今でも覚えている作品がたくさんある。何度も何度も読み返し、毎月の楽しみにしていた。多分、3年くらいコロコロコミックを貰い続けていたので、当時実家には大量のコロコロコミックがあった。そしてそれらを床一面に並べ、コロコロコミックベットなるものを作り、そこで寝たこともある。今考えるとただの馬鹿小学生。でも、良い思い出になっている。ちなみに、コロコロコミックに登場するでんぢゃらすじーさんは、あんなに面白い見た目(絵柄)をしているのに、夜中トイレに行こうとする時に目が合うと、とても怖い。多分、目の奥が笑ってないからだ。

 今でも思う。明るく楽しい雰囲気のおじさんは、ふとした時の目が怖い。

 怖いで言えば、僕の父方のおじいちゃんも怖かった。会う度に
「大きくなったか?」
と笑顔で優しく聞いてくるけど(大きくなっていなくても)、怖かった。

 テレビで野球中継を見ている時、中日の選手に
「馬鹿野郎!打率良くてもチャンスで打てなきゃ意味ねえわ!」
としょっちゅう怒っていた。
あと、野球中継の解説にも文句をつけ、解説の解説、二重解説みたいなことをしていた。プロのプレーを、プロが解説し、それを素人が解説していた。
 はっきり言って、意味が分からなかった。

 また、おばあちゃんが料理の支度をしていても
「ちんたらちんたらもう・・」
と手際に文句をつける。かといってなにか手伝う訳でもなく酒を飲む。
 亭主関白の極みか。

 とにかく早口で、暴言を吐く。文句を言う。理屈っぽい。怒りっぽい。だけど孫(僕や妹)には甘い。あと多分シャイ。そういうおじいちゃんだった。そして、そういうおじいちゃんの態度にうんざりしたこともあるが、僕はどうしても、おじいちゃんが嫌いになれなかった。むしろ好きだった。飾り気が無く、素直に怒るおじいちゃん。それを見て僕は、どうしても笑ってしまうのだった。なぜだろう?

 ちなみにこの前、ずいぶん年老いて弱ってしまったおじいちゃんに
「元気やったか?」
と聞かれたので
「それはこっちの台詞だよ」
と返してやった。するとおじいちゃんは
「お、おう・・ははは」
と笑いながら、力なくソファに座った。昔の暴言吐きまくりおじいちゃんはどこへ行ってしまったのか。言い返す気力が無いらしい。呼吸が苦しそうで、悲しかった。
 今度、免許の返納でも勧めといてやろう。

 その一方で、おばあちゃんはただただ、おおらかで優しかった。
 感情を激しくしているところをほぼ見たことが無い。

 すぐにお菓子をくれるし(食後でも)、妹主催のトランプ大会にも参加してくれるし(おじいちゃんはほぼ参加しない)、勉強が出来るらしい。
 でも妹が触っているスマホを
「なんですかそれは?食べられるんですかえ?」
と、心底不思議そうな目で見ている。ポカンとしている。多分機械に疎い。
 妹のスマホはしょっちゅう低速になるのだが、おばあちゃんの脳みそも、もしかしたら速度制限がかかっているのかもしれない。
 おばあちゃんダイスキ!!!!

 僕の祖父母が住んでいる笠松町の商店街には、思い出がいっぱい。

「あそこの店でおばあちゃんとみたらしだんご食べたな」
「あそこの家の子どもと遊んだな」
「夏祭りの花火が綺麗だったな」
「先祖の墓参りで間違えて知らない人の墓に水かけたな」

 色んなことを感じた。考えた。そしてその想いが、笠松の土地に、商店街に、祖父母の家に、焼き付いている。セピアに輝く。

 好きなことを辿っていくと自分のルーツに辿りつくことが多い。僕はテレビっ子だけれど、それはバラエティ番組やドラマを好きでよく見ていた母親の影響だ。読書や映画が好きなのは、同じく読書や映画が好きな父親の影響だ。僕は両親に
「こういうものを見なさい。やりなさい」
と指図されることはほぼなかったけれど(出来た親だぜ!)、気がつけば背中を見て、影響を受けて育っている。
 そうやって、家族が自分のルーツになっていく。そして、自分のルーツと東京の交点みたいな場所が、商店街だった。


 あっ、だから俺、東京の商店街が好きなのか。

 
 今度、岐阜から地元の友達が東京に来る。友達に
「おすすめの場所ない?」
と聞かれているのだが、僕はきっと、地元みたいな場所ばかり勧める。
そういう未来が見えている。
「おい、せっかく東京来たんだから、東京ぽい場所連れてけよ」
と言われても、頑なに商店街に連れて行く。

 そしてその先で、お気に入りの本屋に向かう―


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