震災時の動物家族は……

<シネマでTOLK&本deコミュニケーション⑲>

昨日(3月10日)、BS番組の『とんがり頭のごん太2つの名前を生きた福島被災犬の物語』という映画を観た。

映画を観ながら、思いだした。
震災後の新聞に、痩せて汚れた犬が道をさ迷い歩いている姿が写っていた。可哀想だった。

私は人間より、犬や猫や牛や馬や豚など動物の可哀想な姿に、涙がこぼれそうになる。
飼い主と離れてさ迷っている痩せた犬の写真を思いだしたら、また目の中に涙が溜まる。能登地震においても、動物たちはどうしたのだろう。胸がしめつけられる。やりきれない。

映画では、避難場所にペットを連れていくことができなくて、ごん太は置き去りにされた。
その後、野犬化したグループのボスとして生き残り、動物レスキュー隊に救われる。
ところが、ごん太はガンを患っており余命わずか。レスキュー隊はピースと名づけたごん太の飼い主を探す。

飼い主の高齢男性が泣きながらごん太を抱くシーンは観たのだが、その先は知らない。
近ごろの私は、おもしろい映画を観ていても熱心に視聴していても、突然眠ってしまうことがよくある。眠くなってきた、もうちょっとで終わるから寝たくないとか、もうダメ眠い……といった感覚もなく、途中までしか見ていないということがよくある。

睡眠難民が多いらしいが毎夜早くから眠くなり7〜8時間熟睡する私は幸せ。だが、観たい映画が最後まで観られないというのも、困る。
ほとんどラストシーンだったのだと思うが、また観る機会があれば最後の30分くらいを再視聴したい。

近年、保護犬保護猫に力を尽くす人達が増えている。自費を投じてボランティア活動を行う人も多い。
他国を助ける力を持つようになっている日本も、動物においては先進国とは言えないと思う。
ペットOKのホテルやレストランも増えてきた。昔は子猫が生まれたら海に捨てたという話を地方の方から聞いて身震いしたが、昨今はペットも「家族」という意識が高まっている。

でも、13年前の震災ではペットを避難所へ連れて行けなかった。今年の震災てもさほど変わっていないのではないだろうか。

(大阪在住年月も含めて)初めて恐怖を感じた大きな長い揺れを経験した直後、海が近いので念のため玄関に避難用のリュックとキャットバッグを用意したが……私は、思案した。
「避難所にネコは連れて行けるのだろうか ?」

そして、決心した。
避難所は遠い。車を運転しない私は、リュック二つとキャットバッグを提げて、また揺れるかもしれない道を歩くのはムリ。そして、動物は受け入れてもらえないかもしれない。
避難はしない。優吉と一緒に死んでもいい。

映画でも、飼い主と離れた被災犬に新しい飼い主を探す活動も行っていた。
阪神淡路大震災の後、友は被災犬を引き取った。「神戸から来たのだからカンタ(神太)という名にしたら?」と私が言ったら、新しい飼い主は頷いた。
私も、家と家計がOKで年齢がもっと若かったら、可哀想な動物を引き取って愛情を注ぎたい。

今日は3月11日。「東日本大震災から13年」番組がいっぱい。
13年というより、石川県に住んでいる私は2か月前に発生した能登地震の惨状に、心が痛い。
人間だけではなく、被災した動物たちにも……ご冥福をお祈り申しあげます。心よりお見舞い申しあげます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?