子ども番組のプレッシャー
子ども番組に出てくる家庭。
具体的に言うと、大きな家に住み(多分外国)
夫婦仲が良く、子どもたちは思いやりがあって
庭が広くて、見たことのないおもちゃで溢れている。
家中のものが新しく、
子どもたちを夫婦でにこやかにお世話する。
時々、穏やかなペットまでついてくる。
なんなんだ。居て当然のはずの家族だが、
やたらとプレッシャーを与えてくるではないか。
こ、こんなすごい家には住んでないぞ。
家の庭で路面店ごっこなんぞできないぞ。
(そもそも庭がない)
何だかいつも両親には時間的にも金銭的にも
余裕があって、子どもの事を知り尽くし、
子育て・教育にも余裕がある。
周りの人たちもいい人ばかりで、みんないつも
ニコニコしている。
な、なんなんだ。この世界は。
こ、こんな一日が、
一日でもあったことがあるのだろうか…
いや、あるのだ。
きっとあるのだ。
しかし、画面から流れてくる日常が
現実の日常とは相当な違いを感じ、
やたらとプレッシャーを感じるのだ。
こ、こういう暮らしが、子どもを豊かに育てるのかぁ…
そんなハズはないのだ。
作られたこの暮らしのような現実というのは
非現実的。例えそれが現実のものであっても
それが全てではない。これは、物語なのだ。
しかしながらそれを理解した上でもなお
やたらとプレッシャーを受けるのだ。
すごく変な気持ちだ。
ヒェ〜 こんな風に子育てするの〜!!?
これが見本なの〜?!
んな訳ないのに、やたらプレッシャーを
与えてくる映像に、地味〜にダメージを
与えられる非常に空虚な時間。
心のどこかで、笑っている。笑っちゃってる。
地味〜にダメージを受けている自分とその映像との対峙に。
真顔で静止するその時間に。
現実的な子ども番組を観て気持ちが良いかと言われれば
そうではないだろう。何だか夢がない。
しかしながら、非現実的な理想世界を観るのは
その時間が非常に空虚なものとなる。
人間の複雑な心情を感じる一幕なのである。
そう思う時間も、そう書いているこの時間も非常に空虚。
それはなんとも面白すぎる構図ではないか。
思わず筆をとったのは、まさにそれが理由である。
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