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私なんかが心配する必要はない
昔から恩を仇で返すことが多かったと思う。
今でこそ少しは
他者の痛みを想像して言葉を発したり
行動することができるようになったのではと思っているが
それでもここ数年の言動行動を振り返り
「こりゃ恨まれても仕方ないな」と反省することがある。
行動の場合、
これをしたら相手が傷つくだろことが想像できている。
それなのに
「いやだごめんむり」が心の中で反復横跳びしてどうしようもなく行動に移す。
言動の場合はそんなこと考えもしない
もっとナチュラルに相手の逆鱗にふれてるだろう。
最低なことを言ってしまったと気づくのはずっと後のことだ。
自分がされた側にまわったとたん
悲劇のヒロインに早変わりし
うるさく喚き散らしていた私だが
心の底では、
相手を責められたもんじゃねえよなとも思っていた。
自分がしたことをされてみて
初めてその辛さがわかる私は
たぶん人生一周目だろう。
恩を仇で返した覚えがある人たちのことを思い出す。
もう2度と関われない人たち。
勝手な思いであることは百も承知かつ
ふざけんなよ、と自分自身に吐き捨てながらも彼、彼女らになにか相応の幸運が降ってわいていればいいのにと思う。
そんなことを考えつつ
noteを巡回している時に
こちらの記事を読んだ。
自分の受けた恩を、様々な理由でなかなか返せない人に、もし神様が何か言うとしたら、このペイフォワードのことを言うような気がしてきました。
恩をくれた相手には神様が報いてくれるから、そのことは気にせずに先に渡せと、そんなふうに言うのではないかと思います。
F.マイケルさん
そっか、そうだ
そうだよね。
自分のことを省みず
思いを預けてくれたり
行動してくれるような人間たちは
ちゃんと神様が報いてくれていることだろう。
私なんかが心配する必要はないのだ。
だからといって何もしないわけでなく
その人に返せなかった恩を
別の誰かへの優しさで返せば良い。
なんだか一気に視界がひらけた気分だ。
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