わがままと自分を大切にするの境界線はあいまいだ
できることとできないことがあって
やっても良いと思えることと
やりたくないことがある。
できなくても、やりたくなくても
やらなければならない事だってあるのだが、
今の私はどれに当てはまるんだろう。
先週末に起きた出来事とその光景がショックで想像と感情ばかりが先走ってしまっていた。
数日経った今日
自分の心を仕分けてみると
ショックをうけた出来事というのは
一つのように見えていたけど
まったく違う出来事の集まりのようだった。
一つ目の出来事は
すでに中心人物が自分で然るべき場所へ
ヘルプを出すことができている。
いざとなれば
私がサポートすることもできるだろう。
私にできることがあって
やってもいいと思えることがある状態だ。
二つ目と三つ目の出来事については
「嫌なものを見た」というショックと
「嫌な予感がする」という勘でしかない。
事実はなく予感でしかないので
今の自分にできることがあるのかどうか見極められない。それなのに嫌な勘はなくならないので数日経ってもモヤモヤしているのだが
できることがあるのかどうかさえ見極められない時はもしかしたら、今の私がやるべきことは何もないよ、と言うことなのかも知れないな。
とか言ってみたものの、
本当はわかってる。
この嫌な予感を実現させないため
今すぐ起こせる行動はちゃんとある。
どうすればいいのかもわかっている。
でもその行動を取るのは
最終手段にしたいし
極力避けたい。
なぜかって、したくないことだからだ。
きっとこの行動を私が取れば
すべては丸く収まる。
私が我慢すれば、私が犠牲になれば、
私がクッション材になれば。
でも嫌なのだ。
この「いやだ」という感情が
ただのわがままのような、
大切な人を見捨てているかのような、
身勝手な自分という構図が拭い去れなくて
勝手に辛さを抱えている。
「できなくてもやらなければならなくなった時、
やりたくなくてもやらなければならなくなった時まで
持ち越させて欲しい。ごめん」と思っている。
思っているけど、
ぜんぜん振り切れてない。
自分をいちばん大切にしようと良く言うけれど
わがままと自分を大切にするの境界線はあいまいだ。
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