見出し画像

サッカーミュージアムな日々

サッカーミュージアムな日々 1
 
博物館のような仕事をしていると 当然のように様々な問い合わせがある。
多くは場所や料金の取り合わせだが、中には複雑な質問もある。
どこに言えばいいかわからないので、とりあえずサッカーミュージアムに言っておけというものもある。
その電話も、そういった問い合わせの中のひとつのように、あたりまえに、ある日の午後かかってきた。
それは女性からだった。決して年老いてはないが非常に丁寧な言葉で落ち着いた声だった。
「ひとつうかがってもよろしいでしょうか?どこに電話かけてよろしいかがわかりませんでしたので、そちらに電話させていただきました。」
「はい、どうぞ。」
女性は呼吸をととのえるように、間をおいた。
「私の長男のことでございます。」
「はい。」
「サッカーを、小学校から続けております。」
「はい。」
「今高校三年となりまして、大学を受験するところなのです。」
「はい。」
「本人も進学を希望しておりまして、親としては安堵しておりますところです。」
「はい。」
「失礼いたしました。すみません。人に相談などしたことがございませんので。」
「いいんですよ。お役にたてれば。それで。」
「実はその長男のサッカーのことなのです。」
「はい。」
「大学に進学するにあたって、大学でもサッカーを続けたいと申しまして。」
「すばらしいですね。」
「いえ、それがサッカーで推薦を受けたいと申すのです。」
「はい?」

私は何が問題なのかがさっぱりわからなかった。しかし電話の彼女の声はあきらかに、サッカーという言葉に疑問を持っているようだった。
「ですから、サッカーで大学に進むと言っているのでございます。
 進学の面談で高校の指導も受けましたが、学校の方ではこれ以上は責任が持てないとのことでして、私どももどのようにしてよろしいのかがわからないのです。」
「つまり大学進学のサッカー推薦を受けるに当たって問合せ先が知りたいと言うことでしょうか。」
私はできるだけ事務的に尋ねた。
「いいえ、そうではありません。」
電話の女性はきっぱりとまるでなにかふりきるように言った。
「サッカーなのです。問題は。」
「サッカーに何か問題があるのでしょうか?」
「はい。正直に申し上げて、私にはわからない問題なのです。古い考えかも知れませんが、大学進学というものは私どもにとっては一生につながるようなことではないかと考えております。その生涯の事柄をサッカーで、そうです、サッカーで決めることが、本当によろしいのか、わからないのでございます。」
「・・・うーん、難しい問題ですね。とても難しい・・・」
私はやや混乱していた。電話の声の主は落ち着いていた。
どうしても自分の問題への納得できる回答を求めていた。決心してサッカーミュージアムに電話していた。電話の声は 遠くのようでもあり、近くのようでもあり、電話の途中の空気は震えるようにノイズを発信していた。
「難しい問題です。解答できるかどうかは、わかりません。ただ僕の感じていることを すこし言います。」
「はい。」
女性は姿勢を正したようだった。
「サッカーだけでなく、何かを続けるということはとてもすばらしいことだと思います。それが、人生にとってどんな意味があるかは、私も長く生きているわけでないので、正直わかりません。でも。」
「でも?」
「自分にとって楽しいこと やりたいことをやめてまで、やらなければならないことって何でしょう。 重要なことが他にあるんでしょうか。よく、人はアリとキリギリスの話を人生訓のように使いますが、キリギリスは不幸だったが、幸せでもあった。アリは幸せだが、不幸だったのかも知れないと、僕は思います。
あ、僕の言いたいのは、絶対的な真実なり価値を見出すのは自分であって、他者ではないということです。」
「社会はサッカーを認めていますか?」
「・・・」
「人生をサッカーに委ねていいのでしょうか?」
「・・・わかりません。ただサッカーが人生を決めるのではなく、人生のなかで自分がサッカーに価値を見出すこと。そこに身を置く決心をするのは自分だけではないかと思います。」
電話の女性は沈黙した。
「・・・ありがとうございました。」
電話は唐突に切れた。
この電話のことは、しばらく喉にひっかかったように残っていたが、2週間もするとすっかり忘れてしまっていた。
多くの団体がミュージアムを訪れ、いくつものイベントの打ち合わせを重ねた。
いくつもの問い合わせの電話が鳴り、いつものように事務的に回答をした。
そしてある日の午後、いつものように電話に出た。

「もしもし、私先日お電話をさせていただきましたものでございます。」
電話の声は 遠くのようでもあり、近くのようでもあり、空気は震えるようにノイズを発信していた。あの女性だった。

サッカーミュージアムな日々 2

「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。」
あの女性だった。
「はあ、えー覚えております。何も役にたてなかったとは思いますが。」
「いえ、こちらこそ突然電話いたしまして失礼いたしました。」
電話の女性は丁寧に応え、そのあとひとつちいさな咳払いをした。
「あの今日は、先日の電話の後のことでございまして、ご報告もうしあげるのもいかがなものかとは存じましたが、やはりお電話した以上は、お話しておいたほうがよろしいかと思いまして電話差し上げた次第です。
実は私にとりまして先日の電話の後、心にまだ残るものもありまして、一時あることで解決したかのように見えたのですが、なぜか私のなかではもやもやしたものが残っております。
ですのでお話させていただければ、この気持が晴れるのではないかと思ったのです。あの、お時間大丈夫でしょうか。」
「はい、結構ですよ。」
恐縮した そぶりだが、声は落ち着いて強い。
「あの後、長男と話をする前に、私の兄とこの話をいたしました。私の兄でございますから、長男の伯父にあたるのでございますが、長男を子どもの頃からかわいがってくれておりまして、娘が2人おりますのですがそちらは2人ともすでに嫁いでおります。
男の子がいませんものですから、私の長男をときどき呼び出してはドライブに行くようなことをしております。どうしても進学や就職といった問題は身内ですとやや感情的になってしまい、きちんとした話ができませんものですから、兄に相談をし、いよいよ本人と話をしてもらおうと考えたわけです。」
「はい。」
「先日お話ありました、アリとキリギリスの話もいたしました。」
「はあ、えーとあれはすこし行き過ぎたかもしれませんが。」
「いえ、その話が一番兄にわかりやすかったようです。」
「はあ、そうですか。」
「ところが、兄はそのたとえは適切ではないと申しまして」
「はあ。」
「アリとキリギリスは、その生来の本能のままにその仕事をしているのであって、それが定めである。自らが選択する余地がどこにもないと申すのです。」
「なるほど、そういわれればそうですね。」
「ですので、例えるのならアリとキリギリスの話ではなく、ウサギとカメが適切であると。」
「ウサギとカメというと、あの徒競走の話ですか。」
「そうです。ウサギがなまけるうちにカメが勝つというものです。」
「なんだか経済の話によく使われるたとえですね。」
「はい、兄は中堅どころの商社の役員をしております。
よくウサギとカメの話は本で読むのだそうでございます。」
「ウサギはポテンシャルがあるにもかかわらず勝機をのがした、
一方カメは前を向いて歩くだけで健全に目標を完遂した。
その結果が、勝敗を分けたというものですね。」
「はい、その通りでございます。兄は長男にカメ型を薦めると申しております。たとえウサギの能力を持っていたとしても、カメになりなさいというつもりだと。」
「うーん、しかしこの話のそもそもの勝負のつけかたのシチュエーションに問題があるのではないかと僕は思います。」
「はい?・・・」
「カメが陸に上がって徒競走をすることで最初からハンディを負わせていますよね。逆に水泳であれば、泳ぎの競争であれば、カメは絶対的に勝つと僕は思います。なにしろウサギが泳いでいるところを見たことはありませんが。」
「なるほど。」
「えーと、誤解しないでほしいんですが、決して努力をすることを否定するわけではありません。でも、そもそもそういう風にあるべきものを違う形にして比較するのは、無理があることではないでしょうか。アリもアリだし、キリギリスもキリギリスだし、カメもカメで、ウサギもウサギですよね。」
「おっしゃることは、確かです。今私も私のわだかまりがそこにあったような気がしてまいりました。しかし、それでは、このお話のたとえが何の意味もなくしてしまいます。そもそも・・・・」
電話の声はここで言いよどんだ。何かを考えている風だった。
「あのー立ち入ったことをうかがってもよろしいでしょうか。」
「あ、はい、なんでしょう。」
「何故あなたはサッカーをお仕事にされているのですか。」
「え・・・・」
「すみません。立ち入ったことをお聞きして。」
「いえ、いいんです。そうですね、えーと・・・。」
電話の声は押し黙って、私の回答を待っていた。
「うーんなんと言えばいいか、あのう、ある出会いがありまして、
 そうですね、あのー、猫のようなものです。」
「はい?猫ですか?」
「ええ、そうです。猫です。長靴をはいた猫です。」
「長靴をはいた猫ですか?」
「つまり、僕に長靴をくれたご主人がサッカーでして、その恩返しを今、しているところなんです。」
「はい?」
私は頭の中で、アリとキリギリスとウサギとカメと猫が登場するカトゥーンを探した。
しかしどこにも思いあたらなかった。
「あなたが猫でサッカーが長靴を与えた主人というのですね。」
「えー、まあそうです。」
「わかりました。」
そう言って、電話は唐突に切れた。

ミュージアムはリニューアルをひかえ、打ち合わせに忙殺された。
多くの団体が訪れ、時には取材がはいった。
問い合わせの電話がなり、時には複雑な問題の質問もある。
いつものように電話を取った。
「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。猫さんですか。」
―あの女性だった。

サッカーミュージアムな日々 3

いつものように電話を取った。
「私、先日お電話をさせていただきましたものでございます。
 猫さんですか。」
「えーあーその、猫ではないですが・・・あー・・・」
「猫さんですね。」
「えーまあその、そうともいいます。」
「あーよかった。」
電話の声は、何故か非常に弾んだ。
「あの、先日のことでございますが、少しお話をさせていただきたく思います。」
「ええ、まあどうぞ。」
「私あの後に、かなり考えました。いえ決して、暇ということもございませんが、子どもも大きいですし、手はかかりませんので、家事だけをしておりますが、いえ、最近では自然食品の宅配のご近所の取りまとめとかもありまして、それなりに普通に生活しているのでございます。しかし、今回のことですこし考える時間が増えまして、台所にいましても、寝る前にも考えことをしてしまいます。」
「あの、立ち入ったことをうかがうかもしれませんが、いまどのあたりのこと考えて いらしゃいます?」
「いえ、お話をうかがった全てです。」
「というと、アリとかカメとかですか?」
「そうです。キリギリスもウサギもそうです。猫もでてきましたね。」
「は、はい。」
「それでやはり兄に、これまでのことをまとめて、私が思うことも含めて話をしました。」
「どんなふうにですか。」
「たとえの話には、それを話すものの伝えたい気持があるのだということ、ですのでその伝えたい気持がなければ、たとえの話はお話というだけで、よそのものにはなにも伝わっていないということです。兄に伝えることもできずに、それを介して息子に伝えることなど無理だなと思いつきました。」
「なるほど。」
「しかし、まだわからないことがあります。」
「はい。」
「猫のことです。」
「はい?」
「長靴をはいた猫です。」
「えー、はい。」
「この件につきましては、どうしても私も兄もわかっておりません。ですので、どうしてもきちんとお話を伺ったほうがいいと思うのです。」
「んー」
「私もですが、これは兄がどうしても知っておきたいというものですから。ですので、ちょっとお待ちください・・・」
電話の女性はいつものように丁寧な言葉使いで、ひとつひとつの言葉を確かめるように話をしていた。
「えー。もしもし。」
「はい。」
ややしわがれた男性の声だった。
「あー、カメの兄です。」
「はい?」
「あー、猫さんですか。カメです。ウサギとカメのカメです。」
「はーはい。」
「いつも妹が大変お世話になっております。」
「いえいえ、そんなことは・・・」
「今日はね。どうしても猫さんの話を聞きたくなりましてね。それで電話したんですよ。考えだすとキリがなくてね。あーでもないこうでもないという風にね。
で、まあ話をね、直接聞いてみるというのがいいんじゃないかと、これにね、あー妹にね、話してね、それで電話してもらったんです。」
「はい。」
「で、さっそくだけど、猫さんはなんでサッカーの仕事をしているの?あーいや、私もサッカーはいいと思っていますよ、あれはいい。赤かったり、青かったり、歌ったりして、なかなかいいね。」
「赤?青?ですか。」
「ほら、赤い服着ていっぱいあつまるでしょう。よくニュースで見ますよ。青い服のときもあるけど、青い服は時々だね。スポーツはいいよね。」
「はい・・・」
なにか誤解しているようだ。
「話は戻してだ、私の甥のことなんだけど、これがね、サッカーをやりたいとねいっておるようで、まあ、別に反対とかそういうのでもないんだけど、それは大学に入って、好きでサッカーやる分にはそれはいいと思う。スポーツはなんかしたほうがいいと思いますよ。でもね、それは大学に入ってからだ、大学に入るのにサッカーで入るというのは、ちょっと違う。私はそう思ったわけ。わかりますか?」
「ええ、充分に。」
「で、妹から相談受けた時には、甥に話して聞かせなければならないと思ったわけです。ところが、妹から聞くには、サッカーの仕事をしている人からは、はっきりと甥の考えがそれは違うと言われなかったと、言うじゃないですか。
それでね、話を聞こうと、猫が何故長靴をもらって恩返しをすることになったのか、それを聞いておこうと。」
電話の声は、ここで咳払いをひとつした。
「で、猫はどうしたの?」
「んー、お役にたてれば、いいんですが・・・何の役にも立たないかもしれません。でもせっかく電話をいただいたので、それでは、すこしだけ、お話をいたしましょう。30年近くも前のことですからもはや全ての常識がずれているかも知れません。ですから正しいとか、こうしろとかそういうものではないのです。ただのお話です。そういう風に聞いてください。
僕は、進学校から普通に受験して大学に進んで、そこで本ばかりを読んでいました。読むというより漁るという表現のほうが正しいかもしれません。文芸書だの哲学書だのとにかく毎日が本に埋もれて生活がしたいと思っていました。
できれば将来は大学に残って、一生本を読み続けることができると幸せだろうなあと感じていました。
今ではまったく流行らないですが、パンのミミをかじりながら本当にそうやって暮らしていました。お金がなくなると、吉祥寺で食器屋や本屋、クーラーの取り付け工事の助手なんかのアルバイトをしては、まとまったお金をつくって、また本を買うということをしていました。」
「すこし前の学生はみんなそうしていたねぇ。」
「そうですよね。あるのは本と音楽、そして映画くらいしか自分の内に身近に取りこめるメディアがなくて、しかもそれを入手するタイミングすら限られていました。とにかく取り込みたかった。僕はまとまったお金が入ると、本を買い続けました。古本屋でさえ高額な料金の本を買っては読みました。そうするうちに、プルーストという作家の書物を読み解こうとして、作品を軸にして、記憶と時間という概念にはまり込んでいったんです。
迷子になったようでした。とんでもなく深い森の奥に迷い込んでしまったようです。
ベルグソンというフランスの哲学者に強く傾倒していきました。多くの数学者や科学者が時間を光や光子という名前のものにシンクロさせ定量化して、エネルギーとして数値化しています。その全ては見ている者が、客観し、観測するという側面から理論は構築されています。科学者ですから当たり前ですよね。
ところがベルグソンは違った。全ての時間は記憶であると、そして現在、今という瞬間は存在しない、時間とは全てすぎゆく過去の記憶であるというのです。
宇宙を構築しているのはこうした個の記憶であると。極端な話ですが、目をとじれば、世界はそこに存在しない。」
「・・・・」
「個の意識のなかにだけ世界はあり、その個の意識は決して侵されることがない。彼はなぜ僕ではないのか。僕はなぜ彼ではないのか。自己の意識は完全に閉じられていて、そしてそこで世界を、宇宙を完結してしまうのです。でも自分という意識、個が形成されるためには、自分ではない他者が媒介しなければなりません。
あー、なんだか話がとんでもないほうに行きました。で、ですね。そうやって本ばかり読んで4年間過ごしてきたんです。
時間や距離を越えることができる本というメディアを媒体装置として、あらゆる人々の個の意識、つまり他者の記憶を僕は覗こうとしていたのです。でも、やはりこれではダメだと。
経済的にも精神的にもこのままでいいというわけがないと、これではダメだと、ある時何のきまぐれか思ったわけです。何のきっかけでもなく、ある朝歯ブラシを咥えた瞬間にそう思ったわけです。漠然とした不安のようなものは持ってはいましたが、その不安を解決しようとする結論を、自分がそのような形で見出すとは思いもよりませんでした。
なにしろ、前日までそれでいいと思っていた自分が、朝になると違うんですから自分でも不思議でした。でも決めてしまったのです。
歯ブラシを咥えた瞬間に本を読むことをやめて、社会に出ようと決めてしまったのです。」

「不思議ではない。それが世間ではあたり前です。私も若いときはスキーをやっていて国体にも出たことがある。だが生活とそれは結びつかなかった。それがケジメというものでしょう。」
「そう言うのかもしれません。」
「すぐに就職したのかね。」
「いえ、すぐに就職活動を始めたわけではなく、今度はバックパックを背負って、ヨーロッパにいきました。社会とか世界とか知りませんから、見に行くことにしたんです。いきなり南回りの各駅停車の飛行機を乗りついで、ローマからはじめました。
これもまったくの思い付きだったのです。でも最初にローマでサンピエトロ寺院に行って、もうここで自分の持っていた世界感みたいなものが全壊してしまいました。なんなんでしょう。自分のなかで整理されていたはずなのに、あの伽藍の本当にある姿、現実にある存在を見て、あまりのことに圧倒されてしまったのです。他者とかそんな言葉ではないですね。
とにかく圧倒的でした。まあ最初に驚いたおかげで、後は楽に何を見ても驚くことなく、無計画のままにふらふらとあちこちを歩くことができました。」
「そうかね。私は仕事で3年ミラノに住んでいたのだよ。娘達もそこで育った。」
「ミラノもすばらしいところですね。スカラ座のオペラは夢のようでした。ドウモに登ってアニー・ジェラルドを探しました。」
「ドウモの裏手にパンダレストランという中華料理の店があって、そこには週3日はかよったな。懐かしいねぇ。」
「そういう旅も、何もしないうちに、いつかパリを最後に終わりました。
とうとう、本当にとうとうまったくスイッチを切り替えて、ネクタイを締めて、紺色のスーツを着ました。就職活動をはじめたわけです。社会とよばれる世界に出ようと決心したわけです。僕が試験を受けた会社は一部上場の電気メーカーでした。」
「あなた、文系なのに、なんでまた電気メーカーなのよ。」
「まったく、よくわかってなかったせいです。」
「そこに就職したのかね。」
「ええ、面接で「言葉が表象としていかに意味するものに変化するか」についてでっちあげたのですが、これが、言語学が専門と誤解されて、気に入られたようです。」
「ほー」
「やはり100名近くの採用者の中で文科系の人間は僕一人でした。羊の群に山羊をいれるという管理方法かも知れません。配属された先は、当時はなんとも先行きがわからないコンピューターの部署でした。
伊豆の修善寺に訓練施設のようなものがありここで3ヶ月研修を受けました。
寝泊りして、企業教育を受けるのです。同時に専門職としての教育も受けます。
今のような便利万端なPCが世の中に登場する前です。フォートラン、コボルといった機械言語の理解が主だったわけですが、同時に実習をやりました。・・どんな実習だと思います。」
「私の方は商社だから検討もつかないね。」
「大きな机の上にトランプを落とすんです。トランプはばらばらに飛び散ります。そのトランプの札を左のうえから順番に集計していきます。まずハートの7、スペードのJ、クラブの2なんて言うのを、A、AA、AAAの記号欄に記入していきます。
これを52枚全部集計していって、終わると今度はトランプの札の順番に、その集計された場所の記号と入れ換えて記録するのです。
スペードの1はBB スペードの2はCCCC、といった具合です。
最終的には実はB、C、Dという記号もAという記号の属性として、集計ソートされた記号の最後にAA、AAA、AAAAと返還されます。
ただこの作業、問題なのはトランプなので裏側になってしまうものも、当然あるということです。裏側になってしまうとこれは確認できないもの、つまりブランクになります。
ブランクはブランクのまま記録されます。
見えていることと、見えていないことことが混在して現象として記録されるのです。
もちろん有効なのは見えていることだけ。見えないものは電気でいえばOFFされてしまいます。この作業を、何回も、それこそ何百回も行うのです。
最初は職業訓練だから、意味のないことでその持続する姿勢とか、仕事の効率性を養おうとしているのだとか思っていました。
しかしどうでしょう、100回過ぎたあたりで、この作業に自分が没入していくことに気付きました。ランダムに見えるトランプのバラマキにどうやら周期性や規則性があるのではないかと疑い始めたのです。
100回が200回になり1000回になり、作業は延々続けられました。
この実習で自分の中にどういう変化が次に起こったと思いますか?」
「どういうこと?」
「・・・一瞬で全部わかってしまうんです。」
「え、」
「トランプが落ちる、机の上に落ちてカードがひろがる瞬間、
これから集計される記号表が、すでに全部頭の中に出来上がっているんです。
しかも、さらにその記号表には、ブランクで表すはずの裏側のトランプのカードでさえ、表現されているのです。そしてそれはある程度の以上の確立で正しい。」
「ほう」
「これができるようになった自分は、次にこう思いました。落ちた瞬間でわかるのなら精度をあげていけば、落ちる直前、その0.001秒前、0.1秒前、1秒前、カードを落とす前でさえわかるようになるのではないか。」
「ばかな。」
「そうです。ばかでした。」
「・・・それで研修が終わって仕事はしたのかね。」
「ええ、本配属になって、当時オフイスコンピューターと呼ばれてていた部署で、企業向け会計ソフトのプログラムを担当することになりました。
大きな販社用の物ではなく、小売店向けの経理台帳ソフトの製作です。
入社して3ヶ月たっていました。はじめての顧客がつきました。
クリーニング店向けの部材を売る卸業者でした。・・・僕はここで会社をやめました。」
「3ヶ月か?え。」
少々いらだっているようだった。
「まあ辛抱がないな。それでは雇うほうも困りものだ。理由なんかはどうせないというんだろうね。それからどうしたんだね。」
「これからは、とても長いのです。猫の主人が登場するのは、まだかなり先のことになります・・・。今日はこれから会議があります。」
「うーん、仕事は大事だ。また電話するとしましょう。それじゃまた。」
「ええ。」
電話は普通に切れた。

サッカーミュージアムな日々 4

「もしもし、カネコさんはいらっしゃいますか。」
「はい?カネコですか。」
「はい。」
「いえ、カネコという者は当館にはおりませんが。」
「あれ、あのミュージアムですよね。カネコさんはいないんですか。
あの先日子供の件で叔母が電話しまして、その後私の父が電話したと思うんですが、その担当の方いらっしゃいませんか。」
「叔母と伯父の担当ですか?」
「ええ、ああ、カメといえばわかると思います。」
「ああ、商社にお勤めで、ミラノのパンダ飯店によく通っていたカメさんですか。」
「ええ、よくご存知で。あなたですか担当は?」
「ええ、まあ担当といえば担当です。」
「カネコさんではなかったの?」
「はあ、えーと、・・・正確には猫ですね。まあその、本当はちょっと違っていますが」
「ああネコさんね。ネコさんこんにちは。いつも叔母と父がお世話になってます。」
「いやーその、別にお世話ということは・・・そのう」
「お話をうかがいましたよ。昨日父のところで叔母もみんなで会いました。
夕食を一緒にして、その時にしっかりとお話を聞きました。
父がしきりに今回の話に熱心でしてね、叔母も盛んに話しに加わって、
それは楽しいひとときでした。」
「いやあ、お役に立てて何よりです。」
「まあそれで私も、非常に興味がありまして電話してみました。」
「はあそうですか。」
「お元気ですか。」
「はい?はあ、いたって元気です。」
ミュージアムと名乗るような仕事をしていると様々な問い合わせがある。
多くは場所や料金の取り合わせだが、中には問題が複雑にからんだ質問がある。
「本を沢山お読みになるそうですね。」
「ええ、そういう時期があったんですが、もう今はまったく読む気になれません。」
「本はたまるとたいへんよね。うちもこどもが散らかすだけ散らかしてねぇ。
うちの子小学校2年生の女の子なんですよ。最近はマンガばっかし。」
「本はたまると大変ですよね。僕は先日古本屋に売りに行きました。
思い立って200冊ばかし見繕って、車に積んでいったんです。」
「へえー200冊は多いわねぇ。お金出して買ったんでしょ。惜しくなかったの。」
「ええ、何と言うか、捕まえてかごの中に入れておいた小鳥が鳴かなくなったので、
野山に返してあげれば、また誰かがその鳴声を尋ねてくるだろうと。そして捕まえるものもいるだろうと。」
「ロマンチックね。」
「ええ、ロマンチックです。ロマンチックなお話なんです。
僕が行った古本屋は郊外にあるスーパーマーケットのような古本屋です。
いまでは商店街の中に古本屋どころか、新刊書店さえなくなっていますから、調べてもっとも近所の古本屋にもっていたんです。
昔の古本屋って、主の親父がひとりで店番していて、奥付なんか丁寧に読んで古本を値踏みしてくれたものでないですか。
そんなイメージでその郊外の古本屋にはいると、やっぱりちょっと違和感がありました。
店内は明るいし、ゲームとかCDとかDVDとかも売られていて、カウンターには若い男の子と女の子が片付け物をしていました。本を売りたいというと、お手伝いしましょうといって、僕の車まで着いてきて全部運んでくれました。
お時間20分くらいかかりますのでお待ちいただけますかというので、了解して店内を歩きました。美術書のコーナーがあって、日本画の全集を開いて見とれていました。
そのうち店内スピーカーで呼び出されてまたカウンターに戻りました。
そこには2つの本の山がありました。こちらお引取りできます本は121冊、1280円でございます。こちらの本は申し訳ございませんがお引取りできかねます、って
女の子の店員がニコニコ笑っていうんです。ちっとも申し訳なさそうでした。
で、こっちの山の79冊ほどは、どうすればいいんでしょうって聞くと、お引取りなければこちらでリサイクルさせていただきますって言うんです。」
「1冊で10円。」
「そうです。廃品処分されるほうをみると、署名入りの本があって、これは署名入りなんですけどっていうと、本店では書き込みのある本はお引取りできませんという返事でした。そしてニコニコ笑ってキャンセルされますかって聞くんです。」
「キャンセルしたんですか?」
「・・・いいえ。10円と0円の価値しかない本を、どうして持って帰って本棚に納めなおすんでしょう。つまりそれだけの価値しかないんです。」

この古本屋事件によって、私は今日本ではゆるやかな焚書が進んでいると思った。本の森は開発され、希少なものは絶滅する。
「それはそういう側面だからですよぉ。本の価値と売れるかどうかというマーケットとは違うものじゃない。」
「でもそういうものですよね。」
「たしかにマーケットとか、金銭的な側面でしか価値が付けられないものもありますけど。本当はそうじゃないんじゃないの。
たしかにすべてに値段がついてその金銭的な尺度が、全ての価値という風に世の中なっているようだけど、でも、ちょっと違う気する。あなたの話はねぇ、父をかなり動揺させたようなの。
アリとキリギリス、カメとウサギ、どれも興味があるって。
実は父の会社は中堅の商社なんだけど、大手資本との統合でようやく持ち直したような会社なの。一時期苦しくてね、企業統合の前は当然のようにリストラが実施されたの。父はその担当役員だったのよ。表向きは早期退職者を公募して、自由意志に任せて、会社を去る人、会社に残る人を分けるように見えるんだけど、実際は会社を辞めてもらう人、会社に残ってもらう人というリストのみたいのがあって、そういう風にせざるを得ないのよ。どんなに残りたくても、どんなに辞めたくても、そういう風にさせられない人がいて、そこに父は腐心していた。
そして父自身も別のリストではリストラの対象だったかも知れない。
もう行き去った嵐だけども、アリとキリギリス、カメとウサギは、父にかなり考えさせたようよ。なんでこんなことを知っているかというと、私の夫も父と同じ会社だからよ。そのときを思うと、生涯賃金を気にして仕事について、住宅ローンと年金の動向を気にできる生活のほうがどれだけいいかと思ったりしたの。」
「失礼しました。」
「ふふ、でね。今日電話したのは、どうしても長靴をはいた猫のことが聞きたかったの。父がね、先日、電話をかけて来てね、ウチの娘に長靴をはいた猫の本を持って来て欲しいというわけ。
なんだかわからなかったけど。それで、近所の図書館に娘といって本を借りて、昨日みんなと集まって、夕食を食べながら話をして、そのあとで娘にみんなの前で、長靴をはいた猫を大声で読ませたの。あの子じょうずだった。猫の声色がとても上手いのよ。」
「聞いてみたいです。」
「だけど、あれってどこがどうということの無い平凡な話よね。猫が長靴をはいて芝居を打つってだけじゃない。」
「そうです。正直つまらない話なんです。どの登場人物も魅力が、まるっきしありません。ただあの話のいいところは、ハッピーエンドなところだけです。」
「じゃあなんで、あなたは長靴をはいた猫を推薦するの。」
「いえ別に推薦しているわけではなく、本当の話は複雑な話なので、複雑や悲しい話を極力避けて簡単なほうに転嫁したんです。」
「なんだかわからないわ。簡単に言って。」
「はいそれでは、本当のお話をしましょう。本当のお話。それはいつ読んでも涙が流れます。悲しいお話です。ですから、ときどき長靴をはいた猫の脳天気なお話も、思い浮かべて下さい。本当にお話したかったのは、・・・幸福の王子のことです。」
「オスカーワイルド?」
「ええ、猫でなくて、ツバメです。」
「そう。ふんふん、それでは、また明日電話します。今日のことはみんなに私から伝えます。猫でなくてツバメね。ふんふん。」

電話は切れた。

サッカーミュージアムな日々  5 

「もしもし」
「はいもしもし。」
「叔母の息子のことで叔母と父が電話したのを聞いて、昨日電話したものです。」
「えー、はいはい。」
「約束どおり電話しました。オスカーワイルドの方ですね。」
「んー、そうともいいますか。」
「昨日の話は、家族に伝えました。みんな喜んでました。父なんか本屋に行って幸福の王子を買ってきたそうです。父って律儀なんですよ。風体と声からは、どうもステレオタイプの親父にしか見えないようですけど。今はさっぱりだけど若い頃はスキー部で、国体選手で、ギターなんか弾いてたみたい。って、あんまり関係ないですね。
さあ、みんな用意は整いました。で、猫がツバメにどう変わっていくの。お話して下さい。」
「んー、それでは今日もすこしお話しましょう。」
「はいはい。」
「あまり相槌を打たれるような話ではないようですが・・」
「はいはい。」
「あー、それでは。お話の続きです。僕が最初の仕事を失敗したのはご存知ですよね。」
「ええ、電気メーカーね。」
「そうです。3ヶ月で辞めてしまって、その後のことです。
僕はまあ食べていかなければなりませんでした。アルバイトをすることにしました。
吉祥寺のスーパーマーケットです。そのお店の青果部で働くことにしました。
簡単にいうと八百屋です。スーパーマーケットにはいろんな売り場がありますよね。売るものが違うのですから、その部署ごとに売り場の専門の店員がいます。
簡単にいえば精肉、鮮魚、青果、乾物といった具合ですね。
市場で仕入れして店頭で売る。それだけのことです。
出店してロッカーで薄い黄色のシャツにネクタイをしてエプロンをして着替えを済ませて、朝8時には店頭に行きます。市場で仕入れたトラックを待つのです。
もっと早い時間に仕入れ担当は仕事を済ませていて、近所の駐車場に車を入れて休憩した後、店頭に現れますから時間が遅れることはまずありません。
青果部には4名の若い男の店員と仕入れ担当の課長、そして青果部を仕切る部長、パートの女性が2名、そして僕がいました。4名の若い店員と僕はトラックから仕入れられた野菜を降ろし台車に積んで、そのスーパーの入っているビルの地下にエレベーターで運びます。
その地下には部署ごとに倉庫と作業所がおかれているのです。
そこで仕入れられたものは二次加工され、値札が付けられて店頭に並びます。
お客はそれを手にとってレジに運ぶという当たり前の流れです。
作業場で、僕はレタスの担当でした。
商品として店頭に出すまでの課程には役割があり、経験年数でその作業が分けられています。
まず新入りはレタスやキャベツ、次にトマトやピーマン、そしてアスパラ、きのこなど旬のもの。最後に果物とういう感じです。
若い男の店員達は実際、地方のスーパーの跡取りなどという人らしく、誰もがまじめで黙々と作業をしていました。
一日中ラジオが鳴る窓の無い冷蔵庫のように冷えた作業場で、僕は黙って仕入れられたレタスの皮を2枚ほどむいてヘタを薄く包丁できり、薄いパラフィンに包みなおし、目方を量って値段のシールをつけます。
この作業の繰りかえしです。大きなプラスチックのかごにいれて重ねておきます。
他の店員が作る商品も紙のトレーにのせられて、ビニールでシールして値段が付けられて、カゴの中で保存されています。
時々地上の店頭を見に行く人間が、青果の棚を見て不足した商品をメモして地下に降りてくると、カゴごと地上に荷出しして店頭に並べるという按配です。」
「普通ね。とても普通の仕事よね。」
「ええ、とても普通です。
スーパーの定休日以外は毎日、このレタスの皮をむく仕事を僕は続けました。
遅番というシフトがあって、通常の勤務時間以後、閉店まで仕事を続け、閉店間際で店頭の商品を冷蔵庫に戻すという仕事があったのですが、僕はこれも望んでやりました。
若い他の店員はきちんと時間がくると退社していました。
朝起きる。自転車で出店する。タイムレコーダーを押す、荷卸をし、作業をして、社員食堂で昼食を取り、作業をして、社員食堂で夕食を取り、閉店作業、タイムレコーダーを押して、自転車で帰宅する。数ヶ月この仕事を続けていました。
何も考えることがなくて気楽なものでした。慣れてしまうと手だけ動かしていればいいんです。何個のレタスの皮をむいたでしょう。途方も無くたくさんの数だと思います。
それだけレタスの皮をむいていくと、何百個に一個くらいに、ぎっしりと実が詰まった、惚れ惚れするように美しく、そしてみずみずしいレタスが現れます。
そういうレタスは、手にもつだけで分かるんです。ほんとうにすばらしい作品といえるようなレタスがあるんです。
ちょっとだけですが、そのレタスを大事に見て、他よりは丁寧にパラフィンに包んであげて、値段シールをつけます。値段は身がしまった分、他よりは目方で当然高くなります。
このレタスも他のレタスと同じタイミングで、普通に店頭に荷出しされます。
一番に売れるだろうといつも思うんです。
他のレタスと並ぶとまったく違うものなんですから、お客はこれを先ず手に取るだろうと思うんです。
しかし、閉店にまでこれだけが売れ残ってしまいます。翌日出しても、これだけが残ってしまうんです。
このスーパーは高いものほど先に売れていくようなスーパーなんです。10万円のメロンですら売れてしまう。
このレタスどうなると思います。仕入れ担当の課長に見せるんです。売れ残り品ですと言って。

―よく覚えておくといいよ。売れない商品はどんなに良さそうに見えても、売れない商品なんだからだめなんだよ。客が買いたくない商品はだめなんだ。

そう言うと、大体ばっさり包丁で半分に切られて2つ分けられ再度値段をつけ直すように言われます。物には相場があってそれ以上でもそれ以下でもないということですね。
10万円のメロンも、それはそれを買いたい客がいて、このスーパーにしか売られていなかったというだけ。美しいレタスを買いにくる客はいなかったということです。僕は時々、こんな風にレタスで勉強しました。」
「レタスで勉強したのはよくわかったわ。それでどうなったの」
「ある日のこと、夜中に電話がかかってきました。
以前アルバイトで荷物運びを手伝った子供向けの着ぐるみの劇団のスタッフからでした。とにかく手が足りないので手伝ってくれというものでした。
気が進まないのですが、困っている風なので、1日だけの約束で手伝うことにしました。スーパーには翌朝早朝に、所用があると言って休みをもらいました。
休んだことがないので、逆に風邪でもひいたかと聞かれたくらいでした。
郊外の市民会館に電車で出かけて行き、劇団の大道具小道具の搬入を手伝いました。一体の幼稚園の合同観劇会でした。
黙々と荷物を運び、黙々と仕込み、子供達が父兄とともに入場し、お芝居が始まります。そして終わると黙々と撤去して、黙々と運び出すのです。
日当をもらいながら、今度の何日も手伝ってくれないかなと誘われました。
断る気もないので、返事をしてしまいました。
それからスーパーでレタスの皮をむく仕事と着ぐるみの劇団の手伝いのアルバイトの生活がはじまりました。
劇団のアルバイトというのはそれほど頻繁にあるわけではありませんが、関東近郊が徐々に長距離になり、山梨や茨城、群馬、長野と宿泊を伴う連続の公演なども時にありました。
最初は荷物の運びこみや撤収だけだったものが、やがて大道具仕込みを手伝いはじめ、次には芝居の中でくりひろげられる、さまざまな場面の転換作業を手伝うようになります。つまりスタッフというものになってしまったのです。
きっかけといって、ひとつの出来事、台詞や音楽や効果音や照明の変化で、場面転換は一気に行われます。それはその役割を負ったスタッフが一斉に作業に取り掛かって成し遂げます。そのひとつでも間違えば連鎖的に間違いがおこり、舞台上で表現されているものが成り立たないことだって起こるのです。
スタッフは出演者と同じで、非常に大事な役割を持っています。
演目は三匹の子豚や赤頭巾、ブレーメンの音楽隊といった物語です。着ぐるみの動物達は舞台の上でテンポよく言葉を使い、音楽にあわせて実際に存在するかのようにコミュニティーを形成していきます。
子供達には、といっても小学校2年生ぐらいまでですが、現実と舞台でのお話との区別がありません。
彼らにとって、友達と表現される着ぐるみの小さな動物達は、まさしく自分の友に他ならず、そして狼、その友人達を脅かすものは、どんなにユーモラスなしぐさをしていても絶対悪としてとらえられています。
狼が少しでも舞台の袖から現れようものなら、客席中が絶叫し、自分達の友人に危険を知らせます。
スタッフは狼の息に合わせてわらの家を吹き飛ばし、板の家を壊し、やがてレンガの家の煙突に煙を立てて狼を誘い込みます。小さな動物達は、ついにその悪に打ち勝ちます。
そして着ぐるみも子供達も全員が音楽にあわせて踊り、その幸せを歌うのです。
さすがにカーテンコールで、やっつけたはずの狼がでてくると子供達は憮然とした表情をしますが・・・。
こういう仕事も楽しいといえば楽しい仕事でした。
しかし楽しいとはいえ、仕事を仕事としてやっていく上でいろいろなことを割り切らなければならない必要があります。
この劇団だけでなくそこに出入りしているスタッフから、他の公演の手伝いを依頼され、そうこうしているうちに、さまざまなスタッフに声をかけられることになったのです。
元来このような特殊な仕事は経験が求められるにもかかわらず実際は賃金も安く、ひどい人手不足です。そしてついにスタッフ仲間から、ある演歌歌手の公演のスタッフになることを薦められました。
子ども向けの芝居のスタッフとはちがい、歌手の公演となるとこれは1月に10日から多いときには25日ほどの地方公演がレギュラーとしてあります。
簡単に昔風でいうと、言葉が悪いですがドサまわりの一座に入るということです。
片手間でやる仕事ではなくなります。レタスはもうむいていられないのです。
スーパーマーケットは辞めました。副店長から、もうすこし手伝ってくれと頼まれましたが、
もう次を決めてしまったのです。」
「今度はなんとなくということではなく、やろうと決めたのね。」
「そうです。決めたんです。そして僕はある女性演歌歌手のスタッフになりました。まさに日本全国の県民会館、市民会館、ホール、公民館をくまなく回りました。
ノリウチといって前日に移動して、当日朝9時から仕込み、午後2回公演があり、夜10時に小屋を出るとまた次の公演場所に移動します。
食事は弁当。メシ代といって現金ももらいますが、毎日弁当を食べました。
こういう公演は、全部現金です。公演のある当日、1回目と2回目の公演の間に、興行主とプロダクション、そしてスタッフ側が現金で清算します。
いまどきはそんなことないかも知れませんが、そんな世界であったのも確かです。
当時の公演の進行は、前荷といって舞台の前にコントを若い漫才士がやります。その後に看板という演歌歌手の登場と歌があり、ひとしきり終わったところで、芝居が入りました。
若い漫才士がやるやくざものに脅されるまずしい親子を旅の着流しの姉さんが救うというものです。
チャンバラです。救った子が、実は姉さんの実の妹だというオチがあるのですが、姉さんは黙って去っていくといった芝居です。
その後は後半の歌謡ショーとなり、大拍手のうちに幕が下りるのです。
お客は大変満足しています。特に途中の芝居には涙を流して見入っています。」
「ふーん。」
「ああ、すこしひとりで話すぎましたね。」
「いえ、いいのよ。それからどうしたの。」
「それから」

話を切った。

サッカーミュージアムな日々 6

「そして、もう3年ほどの時間が過ぎていました。
僕らが看板と呼ぶ女性歌手は脂がのりきったというのでしょうか、続けて大きなヒット曲を出し、日本中の人々に知られていました。
公演は常に満席でした。デビューした当時は苦労したということでしたが、もう誰もそんな話など聞きもしません。
もはや彼女は職業を変えることどころか、ひとりで街を歩いたり電車に乗ってうたたねしたりなど不可能なところに立っているのです。
1日2回1月に10日として20回、1年で240回、3年で700回以上の公演です。
しかし彼女は消耗しません。
それどころかさらに声に深みが増し、彼女の歌には何かが宿っているようでした。
満員のお客は彼女の歌に聞きほれ、涙を流しました。」
「誰なのかな。聞いてみたい。」
「僕たちスタッフは落ち着いて仕事を続けていたのですが、他の仕事の依頼も少しずつ増えていました。そこでスタッフを増やし、僕は新しい仕事をするようなりました。新しい仕事というのは、新人のデビューコンサートです。
デビューしたて新人タレントというのはそれこそ1曲程度の持ち歌しかありませんから、
他に数曲の向いているような歌をつけたし、曲と曲のあいだのトークの内容を決め、ショーの構成を決めます。
構成、譜面、バンド、振り付け、衣装、装置、音響、照明、特殊効果、全てプロフェッショナルの仕事によって作り上げられます。
素人はデビューするタレントだけです。しかし、彼だけが取り替えが効かないのです。
貸スタジオに連日深夜から早朝まで缶詰めになり、リハーサルを繰り返します。1曲ができれば次の1曲、そしてまた1曲。
まるで工場です。短期間で、最低90分のショーを仕上げなければならないのです。
選ばれた大都市のコンサート会場は、少女たちでいっぱいでした。
通常、JAZZやポップスのコンサートならば、1日1回。演歌の歌手でさえ1日2回が精一杯です。
しかし、彼のコンサートは1日3回行われます。
どの会場でも、曲も、曲と曲の間のトークもまったく同じものが3回、1日3回実施されるのです。
何故、3回だと思いますか?」
「・・・・」
「満員になるんです。3回とも。同じ客が1日3回とも見るんです。
熱心な客は、全国の会場で何日にもわたって1日3回を見届けるんです。
彼を見つめる少女たちは日常の全てを忘れ、同じトークの同じ冗談で大笑いし、同じ曲の同じ部分で総立ちになって手拍子を打ち、口ずさみますます。
そしてコンサートの終了には、別れを惜しんで号泣してしまいます。
彼が全てを欲しいといえば、彼女達は何もかもをくれたでしょう。
デビューしたての新人は、激しく消耗しました。
過度の緊張と疲労で声は枯れ、なんということのない振り付けで打ち身やネンザなどの怪我をしました。
医者に連れて行き痛み止めを打たせ、僕たちは楽屋に布団とマッサージを用意しました。
しかし彼の仕事は1日3回のステ−ジを無事に勤めること。
何も考えずに同じことを繰り返しさえすればいいんです。
こうして数人のティーンエイジャーのタレントは状況を乗り越えやり遂げ、デビューを果たしました。
曲はやがてヒットし、僕が担当すると縁起がいいというジンクスが生まれ、仕事は増えていきました。
僕はこの時ビジネスというものの渦中にいたのでした。
コンサートだけではなく、その当時増え始めた企業コンベンションも数々手がけるようになって行きました。
企業が自社のブランドの浸透と新製品の紹介に、莫大な金額を使い、大規模なプレゼンテーションを行うものです。
そして、最も印象に残る忘れることができない仕事をすることになったのです。」
「バブルが始まった頃ね。」
「ええ、そうです。お金がたくさんあった時代です。
その仕事は、アメリカの飲料メーカーの世界戦略、日本ブランチへの展開についての一大プレゼンテーションでした。
東京本部はもちろんのこと、日本全国の支部支社、販社のほとんど全ての社員、関連会社、有料小売販売店までが招待され、そのコンベンションに参加します。
千葉にあるNKベイホールという場所でした。そこは客席がすり鉢上になった巨大なアリーナです。舞台は間口も高さも奥行きも通常の数倍あります。巨大な舞台には1枚のスクリーンをはりました。
いまではパワーポイントという便利なものがあって、苦労はすることがなくなりましたが、当時はそこに150台ほどのスライドマシンを仕込み、数千枚のフィルム種板を用意しました。そしてアリーナにはアメリカから来たデザイナーが要望した街を作り上げました。
そうです。街です。住居、様々な商店、学校、事務所、道路、そして遊園地といった具合です。水道が引かれ、電気が点き、様々なインテリアを当然のようにおきました。冷蔵庫をはじめ生活用品や細かな文房具も用意されました。道路には工事現場が再現され、バイクや自転車も用意されました。もちろん自動販売機もあります。遊園地にはメリーゴーランドと観覧車も設置されました。
普通の街と違うことといえば、屋根がなく、2階席3階席からそこを覗き込むことができるようになっていたことです。
その街の隅々を見せる為に、さらにテレビカメラクルーが用意され、その映像は舞台のスクリーンに映し出されました。
百数十人の役者が呼ばれ、僕達は丁寧にひとりひとりに演技をつけました。
学校でテストを採点する女教師。仕入れ伝票をつけている商店の店主、営業会議を展開する会社員、配達に向かう宅配ピザ、仕事をさぼる遊園地の係員、初めてのデートに座ることも忘れて歩き続ける恋人達、立ち読みする学生、工事現場で働き続ける労働者やガードマン、掃除をする老人、犬を散歩させる主婦、寝ている人・・・そういった感じです。そうして、彼らはその街の住人になりました。
このコンベンションの目的は、その飲料メーカーの主体商品の優位性を確認し謳うものでした。
新製品開発や価格競争にむかうのではなく、自らのブランド主力商品を消費者に再認識させ、1人単位あたりの消費を増加させることによって、全体消費を引き上げるという戦略です。
人々の生活のあらゆるシチュエーションの中にいかにブランドを浸透させるか、まずブランドが及ばない場所を開発し、開発されている場所にはさらに大きな面積のブランドを露出させる。
そしてその飲料をどのシチェーションのなかでも、いかに自然に、そして多く消費させるか、様々なブランド浸透の戦術プレゼンテーションが繰り広げられました。
プレゼンテーションのこまごとに、飲料の栓が抜かれ、なみなみとコップに飲料が注がれる音が、繰り返し再生されます。プレゼンテーションにあわせて舞台上のスクリーンには、様々な形で映像が展開され、そしてスポットに浮かびあがるアリーナの街に住む住人達には、まったく戦術として説明されるものと同じシチェーションが起こりました。
そしてそのたびに街の住人達は、誰もがおいしそうにその飲料を飲み干しました。
プレゼンテーションの最後、アリーナの街の住人は2階席の観客席に数台の巨大な足場を用意します。
2階の席から、そこにいる人々を街に呼び寄せるのです。
最初はとまどいながら、その飲料の社員、関係者達は、街に降り立ち、よくできた街の様子や、そこにいる役者達を珍しそうに見ているのですが、そのうちに彼らは、街を歩き出します。そこに置かれた椅子にすわり、開いていない扉を開けて部屋を探検したりはじめるのです。
やがてあたりまえのように、誰もがその飲料を手に取りだします。
そこにいる全ての住人がその飲料を手にしたとき、飲料の栓が抜かれなみなみとコップに飲料が注がれる音が、映像とともに再生されました。
彼らはそのメリーゴーランドを前にしながら飲み干しました。
バンドが演奏をはじめ、膨大な量の料理がはこびこまれ、遊園地のメリーゴラウンドと観覧車が動き出します。大きなパーティが始まりました。
僕は司会の岡田真澄さんと舞台の高いところで、その様子を見ていました。
−上手くいったねぇ。みな幸せそうだねぇ。
ファンファンは片目をつぶってそう言いました。僕はうなずきました。そうです。平和で幸せな光景です。」
「幸せ?」
「当時の僕は不遜でした。数千人の観客の顔を一瞬見れば、
そう、テーブルに落ちるトランプのように、その全ての人々の意識の状況を読めると思ったのです。
人々の意識の輪郭をつくりあげている言葉に、音楽や光といったシステムを使って、大きな振動を与えれば、その意識の大半を占める感情を全てコントロールできると思いました。
驚かし、笑わせ、怒らせ、泣かせるのです。
そしてシステムをつかって時間をかけて予定調和さへさせればいいのです。
幸せという記憶を商品として売ることができるのだと信じていました」
「成功した、大ミュージシャンのマネージャーみたいね。」
「そう、エプスタインや、帝国の宣伝相や、黙示録を書く預言者にでもなったようでした。広告代理店やプロダクションが僕を迎える用意があるといってきました。でも金は潤沢にあり、第一使う場所がありませんでした。仕事にのめりこんでいました。自宅のワンルームに帰るのは、せいぜい深夜か早朝に寝に戻るだけ。月の20日は地方のホテルに泊まっているといった具合です。
知人は増えました。作曲家や、レストランの経営者、TVの創世記に活躍したプロデューサーといった人たちです。僕は高級な服を着て、高級なレストランで彼らと食事をしました。
彼らは僕を重用しました。僕は舞台演出関係の社団法人の研究員に選ばれ、ロンドン、パリ、ラスベガスなどで行われる演出機器の最新の情報を見知っていました。
それを日本に輸入し、買い取り、操作できる専門の技術会社を知っていました。
国内の演出機器メーカーは極端な寡占状態の中で競争がなくシステムそのものが古くて、演出家が望んだものを表現するのに程遠かったのです。
僕は彼らの求めるものを海外のメーカーの具体的な機器、システムに置き換えていきました。そうして、それらを使って、彼らは花火ページェントを行い、コンセプトレストランを作り、映画祭を立ち上げました。
そんなある日のこと、今のご主人に出合ったのです。」
「サッカー?ようやくサッカーね。」
「ええ、サッカーです。ようやくサッカーです。」
「どういう風に出会ったの。」
「僕が出会ったご主人は、みすぼらしく、そして貧乏でした。」

サッカーミュージアムな日々 7

「そのご主人から長靴をもらったの?」
「いえ、長靴さえ、持っていなかったのです。
それは12月の日曜日、昼間とはいえ風はとても冷たく、国立競技場という名前ばかりの芝は枯れきり、ところどころ欠け落ちた薄いプラスチックの長板が座席という場所でした。
むき出しのコンクリートはかさかさに干からびて、ところどころが剥げ落ちていました。
そんな場所に、今までに僕が見たこともない観客が押し黙って座っていました。
年齢層もまちまちな男達が、今から山に入る修験者か、皇帝に申し立てをする議員のように、眉間にしわをよせ上着を首にたくり寄せ肩をすぼめていました。
誰もが難しい顔をしていました。
お金まで払って、この人たちは何をしに来ているのだろうと不思議な気がしたものです。
しかし、僕の仕事ときたら、なにもすることができないのです。
会場のアナウンスの原稿を用意することと、電光掲示板に文字を出すことだけでした。
何かを見せるでもなく、聞かせるでもなく、何の仕掛けもそこにはありません。
どこにも演出の要素はありませんでした。
近隣からクレームが入るという理由で音楽すら流すこともできず、アナウンスも最低限にしろというのです。
僕の仕事は表彰式の段取りを取りさえすればいいというものでした。
これでは、そこに集まった人々を幸せにすることなど不可能です。
周囲の人々は淡々と仕事をしていました。誰も上等な服を着ていませんし、上等な靴もはいていません。誰もそれぞれが持ち場を持っていて、それ以外のことには、まったく興味が無いようでした。
どこの誰であっても、そこにいるのなら自分の仕事だけを考えろという決まりがあるかのようでした。
観客は時間が経つにつれ増えていきます。
従来僕が経験してきた1万人を超えるコンサートでは観客は昂ぶり、スタッフ誰もが細心の注意を払うものです。現場には張り詰めてピリピリした緊張で息が苦しくなるものです。
ところが3万人を優に超えてさえ、この会場は静かでした。
枯れた芝生を前に観客の男たちはじっと座り続けています。
あるものは飲み物を飲み、あるものはあくびをし、あるものはぼそぼその焼きソバを口にし、あるものはびんぼうゆすりをしています。
南米チャンピオンとヨーロッパチャンピオンによって世界一のクラブチームを決める試合をするというのですが、とてもそのことにつながるような光景であるとは思えません。
やがて時間が来て、両チームがウォーミングアップに登場すると、ようやくまばらな拍手が起こりました。
勝負ごとならば、普通どちらかのチームを応援すると考えるのですが、この観客達はまるきし、そんなこととは縁がないのです。
選手が現れるとともに、身を乗り出しさらに表情を厳しくしています。
ひどい静寂のなか、キックオフの笛は吹かれました。
すり鉢上のスタンドから4万人以上の男達が見つめるボールは、どこの国の法律もおよばない白線の内側の結界の中で自由でした。
子犬のように選手になついたかと思うと、蛇のように逃げ出し、蝙蝠のように不可思議な動きをしました。
観客の男たちは、4万人が4万人ひとりひとりが、その動きに、喉の奥から声にならない声、深いため息のようなものを発していました。
やがてゴールが決まり、ひときわ大きなため息が会場を覆いました。
ゴールキーパーは、交通事故にでもあったように、怒りと悲しみで体を震わせながら呆然としていました。そしてゴールを決めたほうときたら、全世界の神という神様に感謝の祈りをささげている始末です。
僕はとても激しい違和感を持ちました。
まるで自分が預かった舞台上のあちらこちらで事故が起こっているような光景でした。
それはまったく予定調和をめざしていない、自分の経験値から外れた、とても粗野な時間にしか思えなかったのです。
無思想で何の合理もなく、言葉すら存在せず、何もかもが混沌とし、ムチャクチャ、デタラメに見えました。決定的に理解できないことは、
そこで行われていることが、誰をも幸せにしようとはしていないと思ったことです。
しかし、それは誤りでした。
僕はいつからか、スタンドにいる観客と同じうなり声、深いため息をついていたのです。ごろごろと喉を鳴らして、僕は幸せでした。
それは粗雑でありながら精緻で、猥雑でありながら高潔でした。それは「言葉」ではありませんでした。そして誰かが作りあげようとしたものでなく、それはまぎれもない今起こっている現実でした。
少し動揺しました。何故ならいままで自分がたずさわったことで、そこで行われているものにここまで魅入られたことなどなかったからです。
かつてひどく感動したと思ったジャン・ミッシェル・ジャールのコンサートでも、自分を忘れるようなことは起こりませんでした。少し動揺しながら僕は、こう思いました。
みてくれも悪く、ひどく貧乏だけれど、僕はこの仕事を続けると。とうとう僕はとんだご主人に出会ってしまったわけです。
やがて、ご主人は立派な身なりのお金持ちになって行きました。
でも元来、そんなことは、これぽっちも望んではいないのです。ご主人は僕を搾取しないかわりに、リスペクトもしてくれません。けれど僕は、僕の仕事をしなくてはなりません。
その僕の仕事といえば、今では立派なみてくれになった王子の目玉をくりぬき、
体中のものを引きはがせるだけひっぱがすことなのです。」
「で、冬が来るのにもかかわらず、暖かい国に行かないで、滅ぶの?それが仕事?」
「ええ。」
「それって、自分に対する偽善よね。」
「いえ、偽悪です。僕はいつもここにいるべきなのかと思っています」
「それで終わりなの?ちっとも愉快なお話ではありませんねぇ。」
「終わりです。サッカーはサッカーです。ピッチの上にはボールと選手だけしかいないんです。それ以上でもそれ以下でもありません。
社会で認められることや経済力というものは、本来ボールとは関係ないことです。
サッカーはサッカーだからこそサッカーなんです。これはそういうお話です。」
「それは極端な割り切りだとおもうけれど。」
「残念ながら、お話できることはこれだけです。ものすごく端折りましたが25年分くらいのお話です。シエラザードではないので、次のお話ができるまでに、また25年くらいかかると思います。」
「残念ね。もっとお話を聞きたかった。そう、でも、それではしようがない。」
「はい。」
「さようなら。」

電話はここで切れた。

それから私は普通に仕事をした。
取材の問い合わせのメールを見て、返信を打ち、雑誌掲載原稿に赤字を入れて返信した。
その日、しばらくして、今度は若い男性から電話があった。
「もしもし、あの、すみません。母と親類が何度も電話したと思うんですが。あの、すみません、係の人いますか。」
「・・・多分、係は僕です。」
「あの、すみません。あの、ウザクないですか。」
「はい?」
「その、いろいろ俺のことで電話してるみたいなので、ちょっと迷惑かけてるなと思って。」
「まあ、いろんなことがあるし。」
「あの、すみません。いろいろ言っても、俺、決めてますし。」
「あ。ああ、そうなんだ。」
「ええ、そうです。」
「よかった。」
「え、てか、ありがとうございます。」
「それじゃ、ゴール決めてくれ。」
「はい。」

電話は切れた。

むかし、むかし・・・ それから、幸せに暮らしましたとさ。おしまい。

博物館のような仕事をしていると様々な問い合わせがある。
中には複雑に問題がからんだ質問もある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?