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すでに肯定されている世界に接地する感覚[P.1]

これからこのノートに書くことは、
ぼく自身への覚え書きのようなものだ。

「すでに肯定されている世界に接地する感覚」

ただひたすら、このフレーズのエッセンスや周辺を
少しずつ、あらゆる角度から
ラフにスケッチする感覚で書き留めていく。
はたしてどこまで本質に近づけるかはわからない。

なぜなら、あっ!と、
脳内が気づきのスパークをおこした途端に、
それを追うとズレてしまうほど精妙な感覚だから。


                 〜 本文より

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 『未来からの手紙 § エチカ 』~ 第二章 「覚え書き」P.1
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ぼくがおしゃべり鮫と飛んだときの体感の後味を言語化するならば、

「すでに肯定されている世界に接地する感覚」

との短いフレーズに集約される。

もう少し広げるなら、

「考え方で肯定する以前から肯定されている場」ともいえる。

もちろん、鮫と飛んだと言ったって、
あくまでぼくの個人的な夢のようで夢でないかもしれない
あの体験のなかでのことだ。気がふれたわけではない。

夢の中では〈飛ぶ〉という現象となってあらわれたけれど、
日記に書き留めておいたものを読み返し気づいたことがある。

あの感覚は、現実世界でこそ使える〈在り方〉のメタファーなのだと。

人間だれもが有しているあの感覚に接地すると、
不自由のなかにあっても自在を獲得することができる。

そしてこの感覚を日々のなかで使えるこそが、
ぼくの望んでいた自由なのだと初めて実感した。

なぜなら、自分自身を縛る対象は、
人でも物事でもなく自分自身だからだ。

人間には認識機能がある。
この働きによって地上のルールに則り生きることができるけれど、
その当たり前に働く認識作用により、多くの不自由を得る。

更に、体を伴ったまま物理的に同時に異なる場に居ることはできない。
もちろん、こんな当然のことを不自由と呼ぶのはナンセンスだ。

だが要はそこではない。
何が不自由で自由なのか、その線引きではなく、
この身体はいつだって、今に紐づけられ空間と一体である、
というどうしようもない不自由が、
実は豊潤な自由を内包しているという矛盾にある。

一方で、身体は今に紐づけられているが、
いったりきたりできるのは思考や心の働き。

それはそれで必要な機能で、
ある面ではじぶんで自由にできるとも言えるが、
こっちの機能を使い過ぎると
今という計り知れないプレゼントの中身を
十分に味わうことができなくなってしまう。

そのとりこぼしたプレゼントの質は、
認識が計るよりはるかに滋味豊かなものだ。
なぜならそのプレゼントの箱は底がぬけているから。。。

◎少し話しが迂回路に入ったので、一旦もとに戻します。


「すでに肯定されている世界に接地する感覚」

感覚と言っているけれど、
これはとても実用的な人間の機能だと言える。
だが、自分自身で気づかないことには使えない。

もちろん、体感したからといったって、
いきなり使いこなせるわけでもない。
おそらく一生かかったってムリだろう。
それぐらいパワフルで奥行きのある機能だと言える。

だが、一度でも体感したならば体が忘れることはないし、
もともと誰にも備わっている機能だから、
発見することは誰にも可能だ。

振り返るとあのとき、飛べたことに解釈を加えた途端ぼくは落下した。
それと同様に、ここにスケッチしていくことも事実の後追いに過ぎない。

こと、ぼくのように言葉を生業とするものでないものが
言語化をこころみるのは、あまりに無謀だと自覚している。
それでも、じぶんのためにスケッチしておきたい。

これからこのノートに書くことは、
ぼく自身への覚え書きのようなものだ。

「すでに肯定されている世界に接地する感覚」

ただひたすら、このフレーズのエッセンスや周辺を
少しずつ、あらゆる方向から
ラフにスケッチする感覚で書き留めていく。
はたしてどこまで本質に近づけるかはわからない。

なぜなら、あっ!と、
脳内が気づきのスパークをおこした途端に、
それを追うとズレてしまうほど精妙な感覚だから。

言葉は、どこまでいっても諸刃の剣だ。

だからもし、
後に誰かがこのノートを開いて見るようなことがあったら、
どうかぼくの言葉を鵜呑みにはしないでほしい。

とくに、このノートを見る可能性の高い、泉と華へ
ここに書かれている何かに、
きみたちのいのちがわずかにでも共振することがあったなら、
じぶんで考え咀嚼し、
気づいたことをカラダで紐解いていってほしい。

その過程で発見したことは、
予測不可能なこの地上の冒険の只中で、
きみたちが難問にぶつかったり、
思わぬ不可抗力に心が砕けそうになったとき
〝少なくとも〟自己を信じる助けにはなってくれるだろう。

だが、もしも違和感を感じたならば、
すぐさまこのノートを閉じてほしい。
それはたとえ偉人と称せられる人物の残した言葉であっても同様に。
疑問を感じたなら迂闊に頼りにしないように。
間違っても、失敗しても、遠回りしてもいいから、
自分の感覚を頼りに、ときにはよくよく思考して、
丹念にカラダで紐解くことを忘れずに。

そして、ありがとう。
きみたちが生まれて間もないころ
パパとママの腕の中で同時に立てた寝息のような音が、
パパのカラダに気づきの音を甦らせてくれたのだから。

ありったけの愛をこめて。

echika

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本日も💛 最後までお読みいただきありがとうございます☺︎