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『未来からの手紙 § エチカ 〜 出航』

風と波とは常に優秀な航海者に味方する。__エドワード・ギボン 

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時をふたたび、タヒチへ旅立つ七日前に戻そう。

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◎ 前回まではコチラです◎
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(1) シャークの森 (2) FLY!FLY!FLY! (3) 空間と体は切り離されてはいない (4) 運命 (5) 涙の種 (6) きずな (7) 体は何も忘れてない (8) 感情を感情のままに 
(9)運命Ⅱ (10)胎動 i  (11) 胎動 ii    

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目を疑うニュースを見たのは、ひとり事務所の清掃を終え、不動産屋に鍵を返却しに行った帰りのこと。ふらっと入ったコンビニで、視界をかすめた週刊誌の見出し。
__〈R社倒産の裏シナリオ・・・〉


うそだろ…。疲れきった体に妙な電流が走った。ぱらぱらとページをくってはみるが内容が頭に入ってこない。ぼくは咄嗟に表へ出て、唯一残してあった開発部の部長の携帯を鳴らした。ネットは見たくなかった。虚実混交の記事を見て真偽できるほど、ぼくの精神は平静ではなかったし、マンションへ戻るとぐったりとした疲れが襲ってきて、なにをするでもなくソファーに沈み静止。刻々と部屋に忍びこむ宵闇に、ただ喪失感だけが幾重にも重なり、こんなとき酒をあびるほど飲めたらどんなによいかと母ゆずりの下戸を呪いたくも…。
結局、部長からの電話はこないまま、それでもどこかほっとしていた。今はこれ以上なにも聞きたくない… そんな気分に閉じていた。


それから3日目の夜だったか。エルダが帰宅しても、とんと部屋から顔を出さなくなったぼくを心配したのだろう。コン・コン・コンと控えめなノックに間をおいて「せいぞんかくにん…」との囁き声がした。ぼくは力なくコツ、と一回だけ返答。

しばらくすると、エルダの声がリビングにひびいた。電話で話してるのだろう。
これからナイトプールへ行こうとキャッキャと盛りあがっている。こんなときに何だよ、とも思ったが、エルダも一連の騒動は承知の上でそっとしておいてくれてるのだ。ぼくは一人になれたことを感謝し、その夜、まるで狂った猫のように、保管してあった缶詰という缶詰を開けては食べを繰り返し、山積みになった空き缶をポリ袋にめいっぱい詰め込んで床に叩きつけた。じぶんでも何故そんなことをしたのか分からない。

そうして、いつの間にか眠ってしまったのだろう。目覚めたのは昼過ぎ。帰宅したエルダの、くっさ~~~~~~~~いっ!!!うお臭いっ!!! との叫びにも似た目覚ましによって。

そりゃそうだ。
昨夜散らかしたのは、サバ缶ツナ缶サンマ缶マグロ缶イワシ缶…。日頃、脳に良き栄養を、と買い置きしてあったEPA・DHAの不飽和脂肪酸は、ガランガランと不協和音をこの部屋に響かせたのだ。苦情がこなかったのは奇跡といえる。床にペタリと貼りつくように大の字にのびた四肢のまわりには、口をあけたペリエがごろんとごろんと転がっていた。

エルダが窓を全開にすると、カーテンで遮られていた光がたちまち油で汚れた床を照らした。ぼくは床に背をあずけたまま、てきぱきとスプレーモップを滑らせるエルダのリズミカルな振動を床づたいに受け、ゆっくり扇風機のように首をまわし、部屋の様子に目を澄ました。爽秋の風がすぅーーーーっと通り、カウンターの隅できょとんとしていたパキラをわずかに揺らす。ホコリひとつ付いていない生き生きとした緑。そういえばこの角度から見るのは初めてだなぁ、と寝ぼけたことを思いながらだるそうに起きあがると、フローリングがいつものぴかぴに戻っていた。
思わず「魔法みたい。」とつぶやくと、「ちょっとー、バカなこと言ってないで手伝いなさいよ!」と叱られ、ぼくは深夜の残骸と、カラーボックスにきちんと分別された空き缶をひとまわり大きなポリ袋にまとめて、素早く外のダストボックスへ出しに行った。

エレベーターのボタン一つ押す…。ふだんは無意識にやっている動作がいちいち目に入る。扉が開いたとたん、動きのにぶい空気がむわっと押し出され、さほど新鮮でもない空気が流入する。しんとしたエントランスのひんやりとした翳りに絵を挿すシンボルツリー。美しく手入れされた花壇のやさしい光。羽音に視線を移すと、うす青く、なんでもない空に、こんな日常感ひさしぶりだと思った。
___うろこ雲… そそり立つ電波塔… 名詞で区切られた世界…か。
ふとそんなことを思う。
なにも知らなければ、ひとつながりの世界…。
そうだよ…。
人はひとりでやってるんじゃない。たとえひとりでやっているように思えるときでも。ぼくが仕事に夢中になり家のことをなおざりにしていたときも、エルダはいつも整えてくれていた。一日中ヒールで働き、くたくたになったその足でゴミを出しにいく。それはある夜のぼくの眠りの質をあげたに違いない。ビルのトイレを掃除してくれてるおばさんの笑顔は、きっと今日の仕事に影響するだろう。
たとえ中心であろうと周縁であろうと、白くても黒くても、さまざまなエネルギーがより合わさり相互に作用し、誰も見たことのない景色をこの世に生む。
当たり前のような今の中に、いつだって未来がある。ふと立ち止まれば気づけることかもしれないけど、心のポストに落ちないままでは読み逃してしまうささやかなこと。
そうやって、いつもいつもここに届いている手紙をいったいぼくはどれほどニュートラルに読めているだろう…。

部屋へもどると、おもての空気で嗅覚がリセットされたのか、腥さの残滓がむっと鼻先をかすめ思わず顔をしかめた。それを見逃さなかったエルダが、くすっと笑いながら

「でもさ、エチカっぽいよねw」とボソっと言った。

「なにが?」と聞き返すと、

「空き缶をわざわざポリ袋に入れるとこ。わたしだったらきっと、そのまま投げつけるw」

「中途半端だよな、袋に入れてもけっきょく穴あいて油漏れてるし、、、。」
ぼくは自嘲気味に笑った。

「んなことないよ。理性がはたらくっていうか、育ちがいいっていうか・・・やっぱどっかおぼっちゃん!?w 裏切ったスタッフのことも警察には届けないっていうし。」

「ん? … それやっぱ、ディスってない?w」

「かもねw」

とエルダは笑い、宙に八つ当たりでもするように、両手に持っていた消臭スプレーとアロマミストを四方八方射撃のごとく噴射した。

ぼくはエルダの、どさくさまぎれの正直さがツボにきて吹き出した。責めるでもなく、どこか他人事のようなトーン。それでもチクッと刺すとこは刺す。
笑うと筋肉がゆるみ、むくっと心に力がわくのを感じた。
このときだ。
ここ数日、ひとり考えつづけていたエルダとのこれからのことを、面と向かって伝えようと心が決まったのは。
さかな臭さのうすれゆく部屋で、至極ロマンティックじゃないタイミングで、湧き水のごとく本音があふれた。

もちろん、それを伝えたのは、丁寧にバスに浸り、りんごジュースで消化器官をくまなく洗浄し、いつもの清潔エチカくんにもどってからのこと。
エルダのご指摘の通り、ぼくはどこか理性というか、勢いに乗りきれないクセがある。そんなじぶんを中途半端だと否定し、包み隠していた。や、…の、つもりだった。が、バレバレだった。本能に身をゆだね、それでも破綻しない剛毅なヒーローに憧れていたけれど、ひょっとするとぼくの魂はそういう航路ではないのかもしれない。

(・・・いったい何と闘ってんだ???)

そうしてぼくの穴だらけの心は、急遽きまったハネムーンの計画と準備に素早く巻きとられ、南半球へ飛んだのだ。

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 つづく

本日も💛 最後までお読みいただきありがとうございます☺︎