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『エチカ』 〜 シャークの森


朝、目覚めると左の掌に森、右の掌に川があった。


「きみはどっちへ行くんだい?」


そう聞こえた気がして、何とはなしに左の掌を見た。


3秒も見ていただろうか。ぼくはもう森にいた。

(しまった、遅いか… 川の方が好きなのに)   慌てて川をイメージしてみた。


が、すぐに集中が途切れた。目の前を青白い影のようなものが横切ったからだ。


(あ、また来た)


背後に同じ気配が横切る。


サー--=ーーササ 


微妙な音の高低とともに、生暖かな空気の波紋が広がる。

「エチカくん、ようこそシャークの森へ」

「え。鮫?」

「そのとおり!きみの言語で言うところのサメです」

「え? 鮫って、なんで、話せんの? ってか、ここ森ですけど」

「おっしゃる通り。わたしは至極目が悪くてね。たとえばきみが、そのステテコの腰紐を引き抜いて、右の端と左の端を、両手でピンと張ったとしよう。途端にそこは、壁に変わる」

「えっ? なにを言ってんすか」

「わたしはね、そのぶん嗅覚は鋭敏なのだよ。だからねエチカくん、きみの世界では、サメの餌づけショーなんてのをやってるでしょ。南の島で、観光客を楽しませるために。現地のサメ使いが、わたしの目の前に鮮血したたる赤肉を海中に泳がせるのだよ」

「まったく質問のこたえになってないんですけど。(ってか、なんで鮫がしゃべってんだよ)」

「その様子を、シュノーケルをつけたオーディエンスが観てるのですよ。  海中に張ったロープを握りしめながらね。 内心びくびく、ニセモノの尾をひらひらさせて、もうずーーーーーーーっと横並び。まるで海中にぶっ倒れた鯉のぼりのようですよ。にんげん鯉のぼり、なんてね。わたしにそれは見えませんから。なにせ壁なんで。わたしにとって、線は壁なんですよ。そう、ロープは壁。でもおかしいですね。なぜにんげん鯉のぼりが見えたのか。血の匂いですよ、人間の血の匂い。わたしは至極お腹が減ってましたからね。サメ使いがひどくじらすんです。さっさとわたしに赤肉を投げれば良かったものの。途端に潮の流れが変わり、強い血の匂いを嗅ぎとったや否やもう壁さえ認識できない。がぶりです」

「がぶり… ってまさか、」

「ええ、そのまさかです。あれだけサメ使いが注意を促していたのに。“ 怪我をしている人は参加できません!”。あるいはオーディエンスは、ボートから飛び込む間際に、うっかり傷を作ってしまったのかもしれない。食べるつもりはなくてもね、〈空腹:血の匂い〉この条件が揃えば、勝手に動きますよこのボディは」

「鮫の本能。ってやつですか?」

「きみの言語で説明するなら、そういうことになるでしょう。しかし、匂いとがぶりは同時、同時なんですよ、エチカくん」

「同時??? ってか、あなたが人を食べたことと、森が結びつきません。そうだ!あなた、ぼくの名前!」

「ええ。きみは確かにエチカくん」

「なんでっ?!!!…」

「正に、きみにからそういう音波が届くからですよ。疑いようもありません。  e-chi-ka-。たしかに発してますよ、きみエチカって」

「え~~~~っ、鮫が喋るだけでもアレなのに、ってかなんでぼくここに居るんすか?! しかもこんなかっこで。 あっ、ああああ!!!!!わかった!夢か!夢の中で夢と自覚するあのパターンだ!なるほど。目覚めたつもりだったけど、あれも夢、これも夢。はぁ~~~~ほっとした。そうだ、夢だよ、これ夢!      帰れる~~~ああ~~~~ベッドに帰れる~~~~」

「夢。たしかに夢でもいいですけど、せっかくだからエチカくん、夢ついでにこの森で遊んでいきませんか? わたくしサメがご案内いたしますよ。なにせシャークの森は、わたしのお腹のなかも同然ですからね。観るべきところは知り尽くしてます」

「え、遠慮しときます…。お腹のなかって、喩え悪過ぎですよ。 人、食べたんでしょ? 笑ってごまかしてますけど、けっこう怖がってますから、ぼく。 しかも今、朝だし。 相当お腹減ってるはず…」

「朝。エチカくん、どうして今が朝だと?」

「だってさっきベッドで目覚めて… ん? ってか、未だ夢の中だったら深夜の可能性もあんのか? ん…」

「エチカくん。ちゃんと目覚めておくには、夢を夢と自覚する集中力を維持しておかないと、あっさり夢の力に飲み込まれてしまいますよ。わたしが、がぶり、するようにね」

「え~~~~~っ!!!もうぉおお、ちょっと止めてくださいよ!いっくら夢でもイヤですよ、鮫に飲み込まれて目覚めるなんて! イヤ、イヤ、イヤ、ぜったーーーーーーいイヤですッ!!!」

「エチカくん。そんなに激しく体を揺らさなくても。ジョーダンですよ、サメならではのブラックジョークです」

「わっ!」

「ほらね。いわんこっちゃない。さっききみ、わたしの誘導にのってステテコの紐、ゆるめてたじゃない」

「もうぉお、いいですッ!現実の世界でいっぱい恥かいてるのに、夢の中でまで恥ずかしい思いしたくありませんッ!」

「じゃ、目覚めてみたら? 意識を集中して… 脳を覚醒に導いて… 朝日の射し込む、ちょうど良いぬくもりに仕上がったベッドを思い出して… 」

「よし!これは夢。夢、夢、夢!!!  目覚めるぞ、目をあけろ、目蓋をひらけ、起きるんだよエチカ!いつものようにほら、夢の霧が晴れてく… そう、現実へもどるんだ」

「エチカくん、もっとボディの力を抜かなきゃ。金縛りを解くようにボディの力をぬくのですよ」

「ちょっと黙っててください!あなたの声がすると、また夢に引き戻されるじゃないですか」

「これが、夢だったらのことですけど」

「は??? 何て言いました?今」

「そう今。〈今〉と〈同時〉は同義です、エチカくん」

「もう!さっきから同時、同時って!」

「同時であることに気づくことが、夢から抜け出す鍵ですよ」

「あ、わかった! わかったぞ! 夢なんだからムリして目覚める必要ないじゃん?!ハハっ、眠りに任しちゃえばそのうち目覚める!そうそう、アラームセットしてあるんだし!」

「エチカくん。胡蝶の夢〜」

「は??? 胡蝶の夢!? じぶんが蝶になった夢を見ていたのか、はたまたこの自分が蝶の夢なのか、ってやつですか?」

「そ。きみは、今のきみになる過程において、荘子に触れている。わたしが、あの南国の潮に触れてきたようにね」

「だから何なんすか?」

「エチカくん。知ることと使うことは、まったく異なるメロディ〜♪」

「メロディ〜? ぼくがベッドで目覚めたことが夢で、この森にいるステテコずれ落ちたぼくが現実、って言いたいんですか?」

「あるいは、サメの夢がきみなのかもしれない? エチカくん、ON&ONなメロディ〜じゃ、いつまでたっても抜け出せませんよ」

ヒュウー================ーーー♪


にわかに風が吹いたかと思うと、鮫が消えた。

ぼくは、森のなかひとりになった。


***

つづく

本日も💛 最後までお読みいただきありがとうございます☺︎