【短編】かけっこは最下位がいい

 「ねぇ、何点だった?」
 「俺75点」
 「私65だったー」
 どうでもいい、そんな雑音があちこちから湧いている。
 本当にどうでもいいの?
 どうでもいいに決まってる。
 うっそだー。僕は君の本質を知ってるよ。
 本質がそのままイコールで私を形作ってるなんて思わないで。理性で覆いかぶせることができればそんなものは私のものとして成立しないわ。
 意地張っちゃって。まあどうせすぐにでも理性を突き破って出てくるだろうから、楽しみだ。
 「はーい、前向いて。えーとじゃあ今回のテストの平均は60点で、最高は96点でした」
 カンカンッと言う音とともに、先生が黒板に数字を2つ記した。
 少し教室がざわつくのを感じながら、自分のテストの点を見る。赤く流れるように書かれた96という数字に私の心がウズウズしているのがわかった。
 「まあ、皆それなりにできてはいたかな。採点ミスあったら持ってきてね。まあ、復習の方は各自でお願いします。そんでまあ、授業進めるの少し億劫だし今日は自習で。あんま騒ぎすぎない程度にやってください」
 先生は「はい、どうぞ」と言ってパチンと手を鳴らした。
 「今回ムズかったよな」
 「それ。結構きつかったわ」
 「ゆーてお前80やろ。すごいやんけ」
 「そんなこたねーよ。たまたま取れただけだって」
 「やめてくれよー。俺55だぜ。絶対親になんか言われるわ。最悪」
 背景は相変わらず点数のお話。
 私はただぼーっとそれをBGMにすぐ左の窓外を眺める。
 青く広がる空をゆったりと雲が渡りゆく。
 あ、あれ熊みたい。あっちは、人の顔みたい。あれは…、りんごっぽいな。
 全く、なに傍観者ぶってんのさ。君だってアッチ側の人間だろ。何ならあれ以上にひどい。
 何? また出てきたの? あなたは私にはもう必要ないの。出ていってくれない?
 だ、か、ら。僕は君の本質を知ってるの。わかるでしょ、自分自身が本当は上にいたくてたまらないってことが。
 そんなことない。
 もういいってば、素直になれって。ほんとは誰かに点数とか聞かれて、私一応96点です、みたいにスカしてカッコつけたいんでしょ? 
 そんな幼稚じゃない。
 いーや、幼稚だね。何なら今、心のなかであいつ等のことバカにしてるでしょ。なんか80点くらいで褒められてちょっと鼻伸ばしちゃってとか思ってんだろどーせ。
 思ってない。
 思ってるね。僕にはわかるよ。
 私はノートを開くと、余白にゆっくりとグルグルシャーペンを走らせた。
 ひたすらにグルグルグル、円を塗りつぶすように、黒鉛をくっつける。
 異常者のふりなんてしちゃって。
 してない。
 君は、ただの凡なる人だよ。
 わかってる。
 わかっているなら、さっきまでの僕の話がわかるはずだ。
 いや、わからない。私には誰かと比べてどーのだなんて感情はない。
 あるんだって。君は競争原理から外れた天才なんかじゃない。競争のうちにしか存在できないただの凡人だよ。
 わかってるってば。
 それがわかっているというなら、さっきまでの僕の話は正しいということだろ。
 それは違う。私はそんな事は考えてない。
 矛盾してるじゃないか。
 してないよ。辻褄なんて勝手に合うもの。
 何を言ってるんだ?
 いい? 私はね、私の中にあなたという競争原理を飼っているの。誰よりも上でありたいっていう、ひどく凡人的な考えを。それでもそこで戦って、疲れて、どうしようもなくなったから、私はそれをどうにかして押しつぶしたの。圧縮したの。
 それで?
 私はね、あなたの言った通り競争原理のうちにしか生きられない人間よ。決してその外側にいて、純粋にあっけらかんと自分の人生を過ごせないことくらいわかってる。
 じゃあどうして否定するのさ。
 それが嫌だからだよ。さっき言ったでしょ? 疲れたって。
 だからって僕を無いことにするのは、僕に失礼じゃないか?
 違うよ。私はあなたを無くしたんじゃない。なくそうとして…結局なくならなかったの。
 それなら、僕をちゃんと認めて―
 だから見て見ぬふりをしたのよ。それでそこから逃げ出した。バカバカしく思えたからね。
 そんなこと、言わないでよ。僕がバカバカしい?
 うん。とっても醜いよ。その価値観のもとでしか生きられないのに、そこで生き抜く強さがないんだから。どうにかして自分の解釈を捻じ曲げても、私じゃ勝てない人の方が多い。しかも大抵そいつ等は私の価値観の外側を自然と歩いているんだ。
 だから、僕を覆い隠すの?
 そうだよ。だって私、あなたの事嫌いだもの。嫌いで恥ずかしいあなたを私は見たくないからね。悪いけどこれからもずっとそこにいてね。
 嫌だって言ったら?
 私が辛くなるだけ。
 そんなに競争したくなかったり、順番にこだわろうとしたくないなら、もっと意図的に低い点数でも取ればいいじゃないか。そこまで徹底するなら僕も引き下がるよ。
 私は、僕を心の中で抱きしめた。
 だから、私は凡人なの。
 胸の中で僕が泣いている。
 私は彼にただごめんねとしか言えなかった。


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