発酵しても記事は生きてる
最近 noteクリエイターの数の多さに驚いた。
今更なにを言うのかと思うだろう。
でも驚いたのだ。
僕はいつも#エッセイを付けて記事を投稿している。
一応エッセイストだし。
普段はフォローしているクリエイターさんの記事を読むことで精一杯だけど 少し浮気をして#エッセイを検索してみた。
すると記事がわんさかと表示される。
エッセイ書いている人って多いんだね。
新着順で表示しても数時間前に投稿した自分の記事までかなりスクロールしなくてはいけない。
こんなにもライバルが。
知らなかった。
こんなにもたくさんエッセイを書いている人がいるのに、わざわざ僕の書くよくわからんエッセイを読んでくれる人がいる。
いったい何者?
どうやって僕に辿り着いたの?
毎時間 エッセイを投稿しないとあっという間に記事の海に埋もれてしまう。
1日ひとつの記事しか投稿しない僕の記事はかなりレアモノなのかも。
フォローというイカリをおろしておかないと二度と出会えない。
読んでもらえるのが当たり前ではないという当たり前に気がついた。
と同時に怖くなった。
これからもっと色んなエッセイストが誕生してくるだろう。
僕の記事は埋もれ潰れ発酵する運命にある。
でも書く。
理由はわからない。
記事の海を漂う僕の記事にたまたま行き着き スキをしてくれたなら。
それってすんごく嬉しい。
いつもはこんなセンチメンタルな記事は書かない。
今は夜勤中であり、膨大な仕事を前に絶望し 現実逃避としてこの記事をしたためている。
そう敵前逃亡の軟弱者だ。
#エッセイを検索したのも同様の現実逃避。
しかしその逃避行で僕は余計な恐怖を味わうこととなった。
これが因果応報というヤツか。
サボるからいけないんだ。
井の中の蛙大海を知らず。
大海なんて知らない方が幸せだ。
でも僕は大海を知ってしまった。
僕より変なエッセイストを探し出し嫉妬する。
意味不明な行動だろう。
でもそれが ぜんけい という人間なのだ。
この記事を読んでくれたあなたに忠告だ。
自分と似た感じのクリエイターを探してはいけない。比べてウジウジするハメになる。
知らない方が良いこともある。
知らぬが仏。
周囲を気にせず粛々と自分と向き合い 記事を作成しよう。
いつかは僕も大海に泳ぎ出て大きな波となりたい。
たまには真面目に記事を書くものも良い。
少し恥ずかしいが すぐに埋もれて発酵するから心配はいらない。
記事は鮮度が命。
そんなセリフを聞いたことがある。
いいや、僕のエッセイは少し発酵させた方が味がでるようになっている。
発酵したエッセイ。
ほらね興味が出てきたでしょう。
発酵して熟成の進んだ僕の過去の記事も読んでみて。
発酵しすぎて糸を引いているかも。
でもその記事も丹精込めて生み出されたもの。
覚悟して読むがいい。
あ、でも食中毒には気を付けて。
ではまた。
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