![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143467136/rectangle_large_type_2_d7733339eb661d9ba40a2cbfc610a933.png?width=1200)
『音色と歌声』 第1話
おれの好きな奴には、他に好きなヤツがいる。
陣野秋人は社会人バンドでボーカルを担当する大学1年生。これまでも卓越した歌声でどんな観客も魅了してきた。
だが、いくら音楽仲間や観客の歓声を浴びても、秋人の気持ちが満たされることはなかった。彼にとって唯一足りないもの……。
それは幼馴染である夏焼海斗が奏でるピアノ、声、存在そのものだった。
だが海斗には冬川という友達以上の存在がいて――
「世の中に恋愛ソングが溢れてる理由、知ってるか?
どいつもこいつも、答えを探してるからだよ」
札幌の街から不器用な気持ちを歌に乗せて届ける、片想いボーイズラブ。
この世に音は存在しない。
おれの脳が認識しない限り、すべては無音の中にある。
この世に音は存在しない。
ただひとつ、おまえが奏でる音以外、
おれの脳は認識しない。
おまえの音。それが唯一の、おれを満たす音。
◇ ◇ ◇
扉を押し開けると、そこは講堂だった。薄暗い空気が足元から天井まで散乱している。スイッチを探して照明を付けると、ステージの上にピアノが置いてあった。見たところ上質なグランドピアノだったから、おれは途端に閃いて、すぐにおまえを探した。
この時間なら近くの教室にいるかもしれない。階段を駆け下りて、経営学部棟へ向かってみる。ほら、いた! 渡り廊下を歩いて向かってくるおまえに駆け寄り、そのまま腕をひっ掴む。「?」を浮かべたままのおまえを連れて、ダッシュで講堂に戻って扉を開けた。よし、まだ誰も来てないな。今がチャンス!
おれは「なんだなんだ⁉ どうしたんだ秋人!」って言ってるおまえに、ステージのピアノを指差してから、講堂を回り込むように移動してステージに乗り上がった。そしておまえをピアノの前に座らせて、耳元へ4つのコードを囁く。最近気に入っている、異国の歌だ。おまえは最初は少し戸惑っていたけど、どこか嬉しそうに鍵盤に指を乗せた。
空気が、震えだす。
おまえの指先が鍵盤に沈むと、弦が鳴って。
不思議だよな、ピアノにも弦が張ってあるって、あんまり意識したことないのに。
おまえの響かせる音色は、きちんと弦が弾む音がするんだ。
ただの大学生で、ピアニストでもないのに。
簡単なコードだけでも、こんなに丁寧な音を鳴らして。楽しそうに鍵盤が踊っている。
その中に、たったふたり。
さあ、歌おうか。
おれは今から、この音に声を乗せて。
完全に調和するように。
おまえと重なるように、一体化させるように。
息を吸った。
突然。
扉が開いて、わらわらと教員たちが入って来た。目を凝らして見ると学部長までいる。なんだ、講演でもするのか。タイミング悪いんだよ。迷子になったピアノの音が空気に消えた。「なにしてるんだーい?」って言われたから、おれは「ピアノの調律でーっす!」って叫んだ。驚いて立ち上がったおまえの背中を押して講堂を後にする。
どこかから湧き上がってくる高揚感から、次第に早歩きになり、走りだしながらおれ達は笑い声をあげた。他の学生たちが「なんだあいつら」って振り向いてくる。こういうのも結構楽しいぜ?
テラスまで来たところで、おまえは立ち止まって来た道を振り返った。おれもつられて立ち止まる。校舎の周辺は学生たちが移動しているだけで、特に変わりはなかった。
「も~。秋人ぉ~! 講堂使うなら、教室予約調べとけよ。超びびったじゃん」
おまえは頭を掻きながら、でも楽しそうにそう言った。おれは少し意地悪を言う。
「教室予約なんて知らないし。もし怒られたらカイト残して、おれだけ逃げる」
「ひでぇ。秋人が〝おもしろいモンあるからついて来い〟って言ったんだろ」
おまえは不満げにそう言って、おれを指さした。おれは笑いながらその手を掴んで、ゆっくり下ろした。相変わらず体温が高くて大きな手だな。おれより少しデカくて、声もデカくて目立って。でも見た目によらず繊細なのは、昔からおれが一番よく知っていた。
ふぅっと一息ついて、おれ達は校舎に向かって歩き出した。次は情報リテラシーの授業だ。ふと、思い出したようにおまえが尋ねてきた。
「秋人、そういえばサークル見学行ったんだろ? どうだった?」
おれは思わずため息をついた。忘れてたよ、軽音サークルのことなんて。ちょっと面倒くせぇと思いながら返事をした。
「軽音サークルなら、出禁になった」
「えぇ? 出禁⁉ 入学早々なにやらかしてんだよ」
おまえはおれに驚いた顔を向けてそう言った。確かに早い。4月後半にサークル見学に行って一発で出禁だ。かくかくしかじか。端折って説明すると、このようになる。
各サークルが集まる文化棟に行くと、新入生がたくさん集まっていて祭りみたいだった。呼び込み担当の先輩方が向けてくる笑顔のコワイことなんのって。ほとんどの声かけを無視して通路を進み、軽音部の看板を見つけると、おれも他の学生に混じって様子を覗いた。そしたら高校の学祭でおれ達のバンドを見ていた先輩がいて、一気に歓迎モードになった。「ボーカルの子だよね。歌ってよ」って言われて、試しにメンバーと合わせてみることになったんだよ。なんか大学内で人気のグループらしくて、みんな自信満々だった。
譜面リストがあったから、おれは有名な洋楽ロックバンドの曲を選んで先輩たちに渡した。じゃあ、やってみようって蓋を開いてみれば、ぐっちゃぐちゃのボロボロ状態。耳が変になったのかと思ったくらいだ。そりゃ初回お試しで完璧に演奏できるなんておれも思ってないよ。
それにしてもだ。おれがプレイヤー達の音を聴いて、つないでリードしようとしてんのに、誰も自分以外の音を聴いちゃいないし、おれの合図に気づいてない。おれずっと後ろ向いて、あんたらの方を見ながら歌ってんだけど! 少しでもこっち見ろって! なに自分に酔ってんだよ! ちったぁ合わせろよ。
それで立て直しが効かなくて、不安定なまま演奏が終わった。おれのリードが伝わらなかったのは力不足だと思ったし正直悔しかった。だけどイライラしちまって、気づいたらそのまま口にだしてたんだよね。
「あんたら、下手すぎ。って言ったら、先輩方が超キレだしてさ。喧嘩になって。生意気言うなクソガキ。もう二度と来るんじゃねぇ。って追い出されて終わり〜」
おれが手のひらをヒラヒラさせてそう言うと、おまえは呆れた顔で「なにやってんだか」ってため息をついた。「ほどほどにしないと、そのうち殴られるぞ!」ってクギまで刺されたし。わかっちゃいるけどよ、仕方ないじゃん。本当はよ、あいつらだって下手じゃないんだ。おれが、上手すぎるだけなんだよ。
「じゃあ、なんだ。秋人はもうバンドしねーの?」
なんだよ。そんな顔すんなよ。歌うって。おれは大学のサークルには入る気ないけど、歌をやめたわけじゃないし。ただ、同年代の奴らと感覚が合わなかっただけだよ。
「いま、社会人バンド探してるトコ」
って言うと、おまえは顔をぱぁっと明るくさせる。
「うんうん! そうか。いいじゃないか」って満足そうに頷いた。
「なんか決まったら言うわ」
「うん。秋人みたいに歌える奴って他にいねぇし、楽しみにしてるな」
もちろんだよ。それに、やっぱおまえもそう思うだろ。言われなくてもわかってるって。
#創作大賞2024 #恋愛小説部門 #BL #片思い #音楽