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【児童精神科コラム】「東日本大震災」での子どもの心診療

 2011年の4月頃。児童精神科研修をしていた私は、有志とともに、東日本大震災から3週間後の、東北にある病院や避難所を回りました。目的は、医師として被災地の子どもの心を診療するためです。
 医師で良かったと感じたこのときの経験をお伝えしたいと思います。

■東日本大震災で傷ついた子どもたち


 震災後、現地には親を亡くした子どもが大勢いました。彼らは一人でトイレに行けなくなったり、ストレスで食事を吐いてしまったり、また、ちょっとしたことでキレたり、異常なほどハイテンションだったり…心の問題で、さまざまな症状が出ていました。

 子どもの特性によって、どんな症状が出るかは変わりますが、原因は東日本大震災ということは共通しているようでした。

 私は、そういう子どもたちを集めてレクリエーションを行いました。すると、だんだんと子どもたち同士のコミュニティが出来上がり、お互いに励まし合うようになりました。子どもたちが徐々に笑顔になっていくさまは、今でも忘れられない光景です。

■何をするにも物が足りない…それでも


 当時、避難所には支援物資が次々と届いていました。しかし、それらは生活をするために必要なものであり、子どもが遊ぶような道具は入っていませんでした。絵を描く道具すらありません。

 無理もないことですが、大人たちは現状に対処するだけで精いっぱいで、余裕をなくしていたのです。そのため、子どもの遊びのことなど考えられなくなっており、遊び道具を確保する必要性すら感じていないように見えました。

 子どもを診療する私からすれば、もう少しなんとかならないものかと頭を悩ませたものです。とはいえ、私一人でできることはそう多くはありません。それでも、海岸に打ち上げられたヒトデを海に投げる男の如く、周囲の方と協力しながら、少しでも傷ついた子どもたちのためにと、できる限りのことをしました。

 ただ、当時は何もかも手探りの状態で、私自身も必死になりすぎていたため、何をしたのか、具体的にはあまり覚えていません。幸い、子どもたちは友だちや周りの人と触れ合うことで心を回復させていきました。私はそれを見て、ホッとしたのを覚えています。

■医師である私が逆に勇気づけられた


 すべての子どもの心を支えることができたわけではありません。それでも私が関わった一部の子どもたちが、私に感謝の言葉をかけてくれました。
 このことが、自分の人生を肯定するきっかけになりました。

 この時のことは、今でも心の支えになっています。人に感謝される医師の仕事は尊く、医師になって本当によかったと思うのでした。

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