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【医師エッセイ】ビールの香りと2000年問題

 ある香りを嗅ぐと、突然記憶がよみがえってくることがある。そう、香り・匂いは記憶と深いつながりがあると言われている。脳科学的にいうと、五感は、脳の視床という部分を通って前頭葉に認識されるが、 嗅覚はダイレクトに記憶を司る前頭葉に到達するかららしい。でも、そんな科学の話はどうでもよい。私は、ビールの香りを嗅ぐたび、自分の苦くて、でも忘れられない過去を思い出すことを悪くないと思っているからだ。
  私は小児科医なので、勤務日でなくても、オンコールの可能性が捨てきれないということで、昔からアルコールを口にすることはそんなになかった。むしろアルコールデビューしたのが26才という遅さ。でも、研修医となり、新年会・忘年会・学会発表の打ち上げなどで医局のみんなで飲む機会があって、たしなむ程度に飲むようになった。みんなでやり切ったあとに、お疲れ様の意味を込めて飲むのは格別だなと思うようになった。そういう時、飲むのはビールなのである。
  アルコールは種類によっていろいろな香りがあるが、私はビールの香りが好きだ。あの香りを嗅ぐと、タイムスリップしたように、ある時の自分に戻ってしまうのだ。
  研修医の頃、ローテーション研修をして、自分は小児科の道を歩もうと決心した。その頃は既に少子化問題も語られていたし、医師として生涯どのような人生設計をしていくか考えるとき、高齢化社会になっていくことは想定されたので、「老年病科」は需要が増えるだろうと思われた。それに定番の内科(呼吸器、循環器、糖尿病、消化器なども)総合診療科、心療内科も需要が増えていくだろうと言われていた。私も最初は老年病科を専門にしようかと考えていたが、研修医一年目で小児科に変えたのだ。
  ちょうど2000年問題が騒がれていた年だった。コンピュータは、年号を下二桁だけ使うプログラムが多数作られていたので、1999年から2000年になる時、下二桁だけ見たら、数字が減るので、いろいろなプログラムが修正されずに、問題が生じると企業やマスコミが喧伝した。そのため、病院では、医療機器に不具合が起きるのではないかという心配が発生した。
 小児科においては、新生児集中治療室(NICU)の機器が作動しなくなってしまったら、大変な事態になることは予想された。NICUは、一般の集中治療室(ICU)以上に細菌感染などを防ぐために厳重に管理されて、新生児は保育器の中で酸素や栄養をもらっているので、機器の不具合がすぐ、入院中の新生児の命の危険に直結するのだ。それなのに、小児科は人員不足でNICUの当直は1年目の私一人であった。抗議したかったが、1年目の私にその権限はない。甘んじてそれを受け容れるしかなく、日付が変わる時間に近づくにつれて、何度も時計を見た。時計の針が動くのが本当に遅いと感じた。「どうか何も起こらないでくれ!」と、祈るような気持ちで、ドキドキしながら、2000年になる瞬間を迎えた。
 その年の大晦日は、いつもと違う年越しになっていて、もしかしたら何かが起こるかもしれないと人々は対策を講じていた。年が変わる瞬間、鉄道会社は運行中の全ての電車を最寄り駅に臨時停車させたと記憶している。ホテルもエレベーターを一時停止し、不測の事態に備えた。実際に2000年になってみると、何ごとも起こらず、私は大きな安堵のため息をついた。世間でも、人命にかかわるような重大事故は発生せず、少なくとも公には報告されていなかったと思う。
 表面上何ごともなく元日を迎え、私はほっとしたが、本当に全ての医療機器に異常がなく、患児達も変化が見られないか、念には念を入れてちゃんと確認しないといけないと思い、一人で確認作業を始めたら、そこから、先輩や上司からじゃんじゃん電話がかかってきた。
「NICUは無事か?」
「機械の異常は起こっていないか?」
と。一人だったので、深夜響き渡る電話の音にびっくりした。大丈夫かどうかを今確認中なんですけど、と心の中で愚痴りながらも、電話の応対をした。研修医一人に2000年問題の対応をさせた同僚達は、考えてみれば、冷たいと言われてもしかたないと思う。ま、何ごともなく、2000年がスタートしたから、今では笑い話になるかもしれないけれど。
病院では、元日に集まれる者だけ集まろうということになっていた。私も大役を終えて、誇らしい気持ちで、みんなを待っていたのであるが、来たのは教授一人だけだった。電話で無事を確認したから、病院に行くまでもないと判断した人が多かったのだろう。そんなものだろうと予想はしていたので、私もそれほどがっかりすることはなかった。
そして、当直が明ける時間となったので、家に戻ろうとしたとき、教授が
「まだキミは若いが、この一晩は、今までの人生で一番大変な年越しだったろうな。お疲れ様でした。キミなら、何かあってもちゃんと処置できると思っていたよ。それにしても、大山鳴動して鼠一匹でよかった。あ、ネズミって私のことだよ?」
と冗談を言いながら、大役をねぎらってくれて、ビールで乾杯しようと言ってくれた。私もお言葉に甘えて、教授とビールを飲んだ。その時のビールの味が20年経った今でも忘れられない。鼻につんとくるビールのホップの香り。緊張から解き放たれたこと、不安な一晩を乗り越えた自信、教授と二人で乾杯したこと、それら全てが合い混ざって、ほろ苦いビールの香りと一緒に私の体の中を突きぬけた。なんとも言えない幸福の香りだった。
 初めての学会発表をしたときは、緊張した。その後の打ち上げでも、ビールを飲んだ。ビールの香りがいつでも2000年の元日の記憶を鮮明によみがえらせてくれる。普段はビールを飲むことはほとんどないから、ビールの香りを嗅ぐたび、時計の針とにらめっこしながら、冷や汗をかいていた自分、何ごとも起こらずに新しい年を迎えることのできた安堵、私のことを気遣って正月早々たった一人来てくれた教授の優しさを思い出す。
 その大学病院では辛いことも多くあったけれど、今の自分の人生の基になっているのはまちがいなくその病院だ。ビールの香りを嗅ぐと私はいつでもあのときの時の自分に戻ることができる。私の人生を懐かしく振り返り、これからの人生も自分らしく歩んで行きたいと考えている。

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