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   今から三十年前のことだ。高校三年生の冬、私は年が明けたら受験本番という場面を迎えていた。中高一貫校に通っていたので、三年生の一年間は、受験にターゲットを絞った対策授業を受けていた。十二月の期末テストが終わると、登校日以外の登校は基本的に自由となる。多くの者は、自宅で受験勉強に集中していたと思われ、出席者はほとんどいなかった。私も登校しなかったうちの一人である。
 しかし、私は、受験勉強をしなかった。進学校であったため、授業内容のレベルが高く、ついていくだけで四苦八苦する教科もあった。しかし、そんなことを人に知られるのは嫌だったので、自分のゆとりのなさを隠して登校していたものだから、自由登校となって、一気に気が緩み、受験勉強で長らく我慢していたPC9801 US 新発売のゲーム・信長の野望 覇王伝を貪るように楽しむようになった。ゲームではやればやるほど成果が上がり、天下統一への道がどんどん開ける。朝は、「ちょっとだけゲームしたら、勉強しよう。」昼前は、「もうすぐ昼ご飯だから、昼ご飯を食べたら午後から勉強しよう。」夜になると、「今日は調子が乗らないから、明日からちゃんと勉強しよう。」とずるずると勉強を先延ばしにして、ゲームにのめり込んだ。
 そうなのだ。私は非常に易きに流れやすい性質であり、一日を計画的に過ごすということが苦手で、夏休みの宿題も終盤に後悔しながらまとめてやるタイプだった。今回は、受験勉強の反動で、勉強をやろうとするスイッチが入らなかった。
「ライバル達は、きっと起きている間中勉強をしているにちがいない。」
と思うと、気持ちはあせるのだが、ゲームをしているか、万年床になっていたふとんに寝転んでいるかだけで日が過ぎていった。
 そのまま、大学受験の日を迎えてしまった。医学部志望だったので、偏差値が高い学校が多く、模試判定でもC以上をもらっていなかったが、それは難関校の判定なので、十五校ぐらい受けたら、一校ぐらい受かるだろうと思い、受験申し込みをした。今思うと受験料だけでも相当親に迷惑をかけたと思う。
 受験が始まっても、私のエンジンはかからず、受験当日もギリギリまでノートや参考書とにらめっこしている受験生が多い中、私はパラパラ愛用のノートをめくっただけ。得意な数学でも、テスト中に因数分解のやり方を忘れ、思い出すのに時間がかかるということもあった。二番目に受けた学校が一次試験に受かったので、最初はどこかに受かるだろうという軽く考えていたが、最後の方になると、もう合格する気がしなくなり、自暴自棄になってしまって、半分以上受験にすらいかないという体たらくとなった。
 このままだと浪人しないといけなくなるのに、机に向かう気にはならず、再び信長の野望 覇王伝に逃げてしまうようになった。天下統一は楽しい。同じゲームを食事と風呂と睡眠の時間以外ずっとしていた。ひどいときには、深夜までやってしまって、寝不足のまま受験に挑んだこともあった。受験会場では知り合いに会わないかと戦々恐々。会ったら、試験の出来具合を聞かれるかもしれないから、絶対見つからないようにと注意を払っていた。
 そんな様子を家族は気づいていない訳はなかったが、何も言われなかった。三月末、高校に合格状況を報告しないといけなかったので登校したら、友人はみんな合格していた。私より成績がふるわなかった級友でさえ、晴れやかな顔で合格報告をしていた。
 学校の敷地内に咲きほこる桜は、まだ三月だというのに、盛りを過ぎて散り始めていた。みんなを避けるように校舎を出て、校庭を歩いていた私は、その桜吹雪を見ていて、桜をこんな悲しい思いで見たことがあったろうか?と考えた。万物が芽吹く春、入学式など、桜は、うきうきした楽しい出来事の背景にあったはずだ。
 私は、桜が舞い散る校庭で、人目をはばからず泣きながら、このままではいけない!強い意志でリベンジするのだ!と桜に向かって固く心に誓った。
 小学校の時から好きであったゲームをやめる決心をした。目標に向かってコツコツ努力することが苦手な自分が嫌いであったが、自分を変えることのできるのは、自分しかいないのだ。そのことを桜吹雪の中で思った。大学受験に失敗したことが、きっかけとなった。
 その後の一年間の苦しかったことは筆舌に尽くしがたい。自分を変えるということは本当に難しかった。心折れそうになった時、私はあの日の桜吹雪を思い出した。そして、翌年桜が芽吹く頃、合格の報を手に入れたのだ。
 それから桜を見るたびに思い出す。ゲームでいくら成功しても現実世界は変わらないのだ。今は、良医になろうと日々鍛練を続けている。緩む時もあるが桜を見るたびに気を引き締め、我が子にもこの思いを伝えている。

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