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【考察】6年前の自分の診断書を発掘したから読んでみた①

発達障害は例外だが、本来、メンタルの病気は本人に診断名をあまり知らせない傾向があるように思う。
まあ、面倒なことになりそうだという予想は付く。わたしは○○病だ、と思い込んだり、そのワードで検索をかけたりすることでこの先のことをネガティブに捉えて悪化したりするかもしれない、と思ったからだ。(*医学的にこうだという理由は知りません、素人の勝手な予想です。)

でも、わたしのADHD由来の怠惰のおかげで面白いものを発見した。6年前に自立支援医療を申し込みかけて忘れていた、わたしの病名が書いてある診断書。自分を医者がどう判断しているのか知ることのできる機会はなかなかないと思うので読んでみた。意外な結果と、内容が面白かったので載せてみることにする。


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自立支援を申し込むはずだった6年前、わたしは大学進学に伴ってど田舎から引っ越してくる際に、高校時代の主治医から新しいメンタルクリニックへ紹介状を書いてもらった。その新しいクリニックはアクセスもとてもよく、県外からも患者が集まる評判の良いところだった。

高校時代の主治医は
「onemuさんは頭がよくて文学的な考えをするひとだから、きっとここの先生は合うと思うよ。長く精神科医をされてるし見てみてこの経歴。(WEBのクリニックのHPを見せてくれた)
ね、大学からは少し遠いけど駅からすぐだし電車一本で通えるよ。どうかな?」と教えてもらったのだった。

新生活に胸を膨らませ、毒母と離れられることに喜びを感じつつ引っ越した。そして紹介状を握りしめて初診へ行ったのだが、その日は患者さんが非常に多く4,5時間待ったと思う。最初に応対してくれる医療事務や心理士の女性たちは忙しすぎるからか、サバサバと冷たく感じるような対応で気持ちが傷付き、長い待ち時間を経て診察してもらった医者の対応も冷たいように感じてしまった。

それで自己否定MAXの18歳だった私の心は折れてしまい、せっかく用意してもらったこの書類を提出せずに6年間眠らせて、メンタルもさらに悪化させ、休職してからまた再診に来るのだった。

さて、世のほとんどの大学生は金欠なのが当たり前だと思う。わたしも例外ではなく、無理に家を出たために大学1年の5月からアルバイトを始めた。そうなると、授業に家事にアルバイトに課題で時間が本当にないのだ。なんなら社会人になってからのほうが仕事さえしておけばよかったから楽に感じたくらいだった。
常に家にいない、毎日働いて勉強しての繰り返しで慌ただしく過ぎ去る毎日と戦ううちに、いつしか自分がADHDであることは仕方ないと受け入れていた。自分には何もかもできない状態が当たり前だと開き直る方向に向いていった。


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前置きが長くなってしまったたので話を戻す。
わたしの診断書には、注意欠陥多動性障害のほさに、この欄にも丸が付いていた。

「間欠性爆発性障害」(かんけつせいばくはつせいしょうがい)

…なんだこりゃ?ということで調べてみた。↓

些細なきっかけで急に前触れもなく強く怒り、それが社会生活に悪影響を及ぼす、というもの。
親から遺伝することも多く、幼少期の虐待によっても起こるらしい。わたしの母のことだ、と思うと同時に、自分にも思い当たるところがあった。どちらも当てはまっている。

これを見て納得。わたしが歴代彼氏にブチ切れていたり、キャバクラのきもい客に真っ向から反抗したり、は?と思うことを言われたときに目つきが変わると言われたのはこれか〜と。思い当たることがたくさんです。

長くなってしまったので、続きは別で記事にします。お付き合いいただきありがとうございます😊

◇24.04.26追記 
続きを書いたのでこちらからよろしければどうぞ↓



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