最近の記事

33京都・街の湧水、井水見聞

水神信仰の原初形 人は命をつなぐ水の確保に古代から難儀してきた。狩猟に主な糧食を求めた旧石器時代でも、食物の栽培・耕作をも手掛けたとされる縄文時代でも水が容易に確保できる水辺に住んだ。井戸が無かった時代、原初的には飲料水や生活用水は山あいの泉、川、渓流、沢などの表流水や石清水、地下からの湧水に頼ってきた。 人が住むには河川の近くや清流の小滝、山からの清水が流れ込む場所が最適だった。水がわき出る大木の根元や清水が流れ込む場所は聖域だった。飲み水の出る場所、流れる場所には水神

    • 32京都・街の湧水、水神信仰7

      107長楽寺「八功徳水」 円山公園の上にある長楽寺の名水「八功徳水」(はっくどくすい)。逃げ落ちる平家軍が1185(元暦2)年に壇ノ浦の戦いで源氏勢に敗れた後、助けられた建礼門院(平清盛の娘・徳子)が長楽寺に5カ月間身を寄せた際に身を清めたり、水垢離(みずごり)した「平安の滝」の水。長楽寺山の山肌から湧き出した山水が源泉だ。 平安の滝は1本のコンクリート製の筧(かけい)から流れ落ちる小さな滝。水垢離用だが、飲用も可能。落差は4㍍弱。滝つぼは高さ4㍍弱で自然石を積み上げて造

      • 31京都、街の湧水、水神信仰6

        鴨川源流域、北山の水源 鴨川源流域の北山に水神を祀(まつ)る社寺がある。貴船山(標高700㍍)の東麓にある貴船神社と、鞍馬山(標高584㍍)南麓にある鞍馬寺。北山杉の産地とあって、周辺の山々は植林の北山杉の黒山。貴船山は常緑と落葉広葉樹の混交林、鞍馬山はカシ類が主の常緑広葉樹が生い茂る森に大径木の天然のスギ、ヒノキなどの針葉樹、クヌギやコナラの落葉広葉樹が混在する混交林だ。2カ所の山とも最大瞬間風速30㍍超を観測した2018年9月末の台風21号で倒木や枝折れの大きな被害があっ

        • 30京都・街の湧水、水神信仰5

          102伏見・月桂冠「さかみず」 水神信仰と穀霊信仰が結びついた醸造、清酒づくり。日本では神々に捧げるお神酒といえば水の贈り物、清酒か濁り酒。京都の酒どころ、名水の多い伏見を訪ねた。  伏見を代表する酒蔵「月桂冠」の発祥地にある「大倉酒造」大倉記念館の「さかみず」を飲みに行った。酒づくり道具や資料を展示する部屋から中庭に出ると、水が出ている井戸が2カ所あった。奥の方が創業以来の「さかみず」の源泉井戸。ここから水をひいて見学客が利用する井戸の水を出している。  「伏見の水は超

        33京都・街の湧水、井水見聞

          29京都・街の湧水、水神信仰4

          99聚楽第跡「梅雨の井」 西陣の中心部が荒れ放題に荒れていた。草茫々(ぼうぼう)の荒れ地の中に聚楽第(じゅらくてい)跡の「梅雨(つゆ)の井」があった。聚楽第の数少ない遺跡の一つだ。京都市内の湧水、古井戸に触れる際、どうしても欠かせない古井戸の一つ。 秀吉は1585(天正13)年には摂政・関白の近衛家など五家の人しか就けない関白に。源平藤橘に次ぐ「豊臣」の姓をもらい、京に入った。自らの住居と政務の場所として聚楽第を1587(天正15)年に設けた。 梅雨の井が現在あるのは

          29京都・街の湧水、水神信仰4

          28京都・街の湧水、水神信仰3

          96大田神社「清水」  上賀茂神社の境外摂社、大田神社の本殿右手に山からの清水が流れる小さな沢がある。裏山の「大田山」が育んだ森の水が表流水となって流れる。このきれいでやや冷たい山水の環境を好んで、珍しいタコガエルが生息する。毎年5月上旬になると、清水が流れる排水路の割れ目や穴の中から、「クッ クッ クッ」とか「グッ グッ グッ」と可愛らしいソプラノのくぐもった鳴き声がする。  山肌から浸み出す清水、岩の割れ目からこぼれる一滴(ひとしづく)を集めた沢水が古代の原初的な飲用

          28京都・街の湧水、水神信仰3

          27京都・街の湧水、水神信仰2

          93福長神社「神水」  井戸水そのものを神とあがめる神社をまた見つけた。上京区室町通武者小路下ル福長町にある福長神社。水そのものを神様として祀(まつ)るだけあって、福長神社のご神水はまろやかで口当たりが良くうまかった。5月初旬の時期、京都市内で最高気温が20度ぐらいの時期、水道水の水温はだいたい摂氏12度、13度ぐらいだが、ご神水は16度ほどあった。  手水舎は鳥居をくぐってすぐ左手にある。古井戸のわきに水を満面にためた水盤と柄杓(ひしゃく)があった。古井戸のそばに、錆(

          27京都・街の湧水、水神信仰2

          26京都・街の湧水、水神信仰

          水神信仰 科学、特に医療が未発達だった時代、病となれば厄払いや鬼門除け、占いやおまじないで穢(けが)れを払い、治癒を待つしかなかった。病は霊威のたたりとされた。身分や地位を問わず人々は祖先や自然の霊威を恐れた。心身の健康を維持するうえで信仰心が篤かった。  祖霊は見た目が富士山のように三角錐(すい)形など姿、形の良い山や冬至、夏至、春分、秋分の二至二分の日の早朝に太陽が昇る山に上り、その山頂は天地の結界と信じられていた。信仰の山やうっそうと樹木が茂る自然には神々がいると信じ、

          26京都・街の湧水、水神信仰

          25京都・街の湧水、大原

          87大原「朧の清水」 安徳天皇の生母、平清盛の娘、徳子・建礼門院が隠棲(いんせい)した寂光院に向かう小道のわきに、建礼門院が顔を映したと伝承される「朧(おぼろ)の清水」があった。民家の石垣に隠れるような場所で見つけにくいが、「朧の清水」の案内板がある。  山すそにある小さな石組みが「朧の清水」。石組みの大きさは横1㍍弱、縦50㌢ぐらい。石段を6段降りると、石組みの下に,建礼門院が顔を映したとされる、小さな水たまりがある。深さは20㌢ぐらい。底に落ち葉が沈んでいた。水を触っ

          25京都・街の湧水、大原

          24京都・街の湧水、郊外

          84神護寺の「閼伽井」 高雄・神護寺の「閼伽井(あかい)」は、国宝の薬師如来立像が安置される本堂の左手、やや坂を下った右側の斜面にあった。斜面地に横穴を掘り抜き、現在でも水が浸み出している。底に深さ10㌢~15㌢ほど水がたまっていた。  「閼伽」は仏に供える水が出る井戸のこと。神護寺の若い僧の話では、「閼伽井の水は底が浅いため、濁りが混じって飲めない」という。仏に供える水はどうしているのかを聴いた。「近くに水がわく別の場所があり、この湧水を使っている」と説明された。  閼

          24京都・街の湧水、郊外

          違法な捜査とズサンな裁判

          あまりに理不尽 事件事故の原因究明はもちろん、裁判でも証拠がすべてであることは論を待たない。肝心の証拠が偽造、ねつ造されたら、犯人ではないのに犯人にでっち上げるのは容易なことだ。裁判で証拠偽造が見破られず、えん罪が後を絶たない。私の友人がえん罪につながるような事故の処理があった。 事実をねつ造  控訴審で新証拠を出したが一顧だにされなかった。上告審の最高裁でも新証拠の採用を検討されることはなかった。捜査機関と検察、裁判官、弁護士を含めて司法の猛省を促すため、事故から最高裁

          違法な捜査とズサンな裁判

          23京都・街の湧水、大寺の古井戸2

          81金閣寺「銀河泉」  足利幕府第3代将軍・義満がお茶の水に使ったという金閣寺の「銀河泉(ぎんがせん)」は、チョロチョとしたたり落ちていた。水はわずかに出ているが飲用できないという。水が落ちるところは小さな水たまりになっているが、水は澄んできれいだった。煮沸(しゃふつ)すれば飲めないこともないと思った。浅い場所からの湧き水だけに水質検査の基準を満たさないのかもしれない。  右隣に義満が手洗いに使ったという「巖(巌)下水(がんかすい)」がある。手洗いの水場はごく小さな水たま

          23京都・街の湧水、大寺の古井戸2

          9京都・街の湧水

          31伏見・「藤乃井」の水 「藤乃井」は京都市伏見区土橋町の宇治川派流「濠(濠)川」右岸にある土木建設業「藤井組」3階建てビル敷地内の一角にあった。  同社ホームページなどによると、初代の藤井虎夫氏が1956(昭和31)年にこの地で創業した。藤井組は大型の公共事業を請け負う京都府内でも大手の建設業者に発展した。「藤乃井」について質問したところ、若手社員がご親切に社史などを調べてくれた。  井戸は初代社長が「地域の人々とともに歩み、地域に根ざした愛される企業に」と願って掘った

          9京都・街の湧水

          22京都・街の湧水、大寺の古井戸

          78知恩院「紫雲水」 知恩院・勢至堂のすぐ右横、法然御廟(ごびょう)の真下に「紫雲水」の石標が建つ小さな池がある。御廟が崖(がけ)上にある。崖のやや中央に備えられた石製の樋(とい)から小さな滝のように約3㍍下の池に「紫雲水」がしたたり落ちていた。勢至堂は江戸時代前期の慶長年間、この地に移設されたという知恩院で最古の建物。  崖の下の方は大きな岩盤がある。いくら樹木の茂る東山36峰の華頂山(かちょうざん)のふもとにあるとはいえ1000年近くにわたり、水が絶えず出続けていること

          22京都・街の湧水、大寺の古井戸

          21京都・街の湧水、福王子神社など

          74福王子神社の御神水  福王子神社の御神水の井戸は創建当初の古井戸だという。浅井戸で中は石積み。井桁はそのままにして、危ないので中は埋められてしまった。しかし、井戸の中にパイプを入れてポンプアップし、ポンプの具合が悪い時は水道水を使い、それ以外は井戸水を出しているという。 古井戸の水も使用  井桁はかつて京の名水とされた「滋野井」(上京区西大路町にある京都まなびの街生き方探求館に保存)、吉田山の吉田神社、東寺(教王護国寺)・観智院の古井戸と同じような石組みの造り。

          21京都・街の湧水、福王子神社など

          20京都・街の湧水、地下水は共有財産

          名店の井戸 京都市内には和菓子店や生麩(なまふ)店、ウナギ料理店など民間店が、私財を投じてかつての名水を復活したり、新たに井戸をボーリングして地下水をくみ上げ、その水を地域住民に無料で開放して分け与えているところがある。手水場を備える寺社ならいざしらず、民間店が、だ。  無料開放について一部は店の営業時間限定という制約もあるが、店の敷地内なので致し方ない。大災害の発生時、上水道が使えなくなった場合には災害緊急用の井戸として広く開放される。地域住民にとって、災害時に頼れる水場

          20京都・街の湧水、地下水は共有財産