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読了日記『やわらかく、考える。』外山滋比古


著者の過去の著作からの文章引用集


過去の数十冊に及ぶ各著書から、文章をピックアップしてテーマづけして羅列された本。ここ最近読んだ本の中では最もあっさり読みやすい内容だったので、本苦手だなーという人におすすめ。というのも1ページに1引用になっており、引用部位が場合によっては3、4行ということもある。例えば

記録したら、すぐ忘れる。
 むやみと記録したちまち忘却の中へ棄てさる。記録にとらわれない。去る者は追わずに忘れてしまう。
 そういう人間の頭はいつも白紙のように、きれいで、こだわりがない。

『やわらかく、考える。』

これで1ページなので読みやすい。が、テーマ分けされているとはいえ薄味になってしまう。薄味で終わらさぬよう、気に入ったものについて考察したい。


面白かった箇所3つだけ。

兄元に根のある花を咲かせる

連続のないところ、持続のないところに伝統と慣習の生ずるわけがなく、伝統と慣習がなくただ変動するのみという社会では自由になる自由にさえ恵まれない。〜中略〜よしんばその花が美しいものであっても、それを切り取ってくることだけを考えないで、小さくても良いから足もとに根のある花を咲かせることを考えるべきである。

『やわらかく、考える』

汎用性が高くて、色んなところでできる話。自分自身にもよく該当する。ついつい、すごいやり方、考え方に手を伸ばしたくなる。ビジネス書が売れるのはまさにこんな人間の衝動なのかも知れない。結果、自分が何をすべきか見失い、小手先の方法論に終始する。身に覚えがありすぎて胸が痛い。
中学生にも恐らく同じ現象がおこる。受験で不安で、色んな塾や参考書に手を出そうとする。彼らに伝える言葉として、ついつい手を出したくなるのが、引用文書である。小さくても良いから足元に根のある花を咲かせる。素敵な言葉。

点をつなげて、線で見る。

人間には、点をつなげて線として感じ取る能力が誰にも備わっているのである。したがって、点的論理が了解されるところでは線的論理の窮屈さは野暮なものとして嫌われるようになる。
 なるべく省略の多い、言い換えると、解釈の余地の大きい表現が含蓄のある面白い言葉として喜ばれる。点を線にするのは一種の言語的想像をともなうからであろう。

『やわらかく、考える。』

歴史学者の本郷和人さんが、著書の中で史料と史料の間を埋める考察をして物語性が生まれるからこそ歴史は面白い。という旨の話を思い出した。『言語の本質』でも思ったが、人間の営みという点で言語と歴史の相関性は高い。歴史も教科書的なアプローチに終始すると点なのだ。これをいかに線にして繋がりを視覚化するかが重要である。

われわれの耳はざる耳である


 われわれの耳は論理が収斂しないようにできているのかもしれない。たいへん整った話を聞いていても、あとでさっぱり印象がまとまらない。
 そして、ただ全体としての感じとして、おもしろかったとか退屈であったとかを問題にする。いくら水を注いでみても水のたまらないざるのような聴覚だ。そしてそのことをわれわれはほとんど意識しないでいる。
 ざる耳だが、耳だけ責めては可哀想である。

『やわらかく、考える』

個人を対象にした訳ではないが、耳を通じて話を聞けない大衆をちょっとディスっている感じが好き。(もちろん著者にそんな意図はないかも知れない。)ただ、この認識は話し手としても聞き手としても良い影響になると思われる。ざるである前提で話をすれば話の質の改善になる。一方、聞き手である生徒にもざるである前提を(ディズでない伝え方で)意識させ、聞き方を考えるのも良い練習である。著者もまず耳の教育をと主張するが、コグトレを継続すると効果があるのか?実践を調べる必要がある。

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