選択を攻められるとき

私たちは中学校から高校、高校からその先の進路をその都度決めなければならない。その当時はなんの疑問もなく、どの選択が自分にとって最適かを考え選んでいた。ところが大学生になり、その選択をさせられる流れに疑問を持ちはじめている。社会のレールにそって生きることが基盤となっているなかで、進路を選択する歳になると自由に選んでと突き放され唖然とする感覚になっていた。それでも決める時間が迫り、それぞれが別の道を自分のなかの葛藤とともに選択していた。私はそれまで、自分が将来何をやっていきたいのかと自分と向き合うことをしてこなかった。そのため選択を絞るところから苦戦し、進路をなかなか決めることができなかった。今振り返ると、一つの選択を選んだら他の選択肢を諦めるのだと自分の道が狭まりそうで怖かったのだと思う。高校の時だと、担任の先生や家族に散々相談に乗ってもらっていた。だがその当時の私にとっては、どの人の意見も私を惑わすものであった。結果的に決意を決めて選ぶことができたが、大きな葛藤となった。当時あまりにも将来のことを考えていなかったとも感じるが、多くの選択から選び出すことの難しさがあるとも思える。選択することに重点を置くのではなく、その先でどう頑張るかが将来を左右すると耳にしたがどの選択をするかでも大きく将来が変わると私は思う。学校では、さまざまな教育方針が提唱されているが、自分の将来をどう考えるかを問う機会を多く設ける必要があるのではないか。これは生徒指導、受験対策よりも重要な要点である。偏差値をどうのこうの気にすることをたたき込むのではなく、選択がなかなかできず思い悩まないよう考える術を教育に入れてほしいと考える。

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