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21歳

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最近の記事

失われた時を求めて、読了

約三ヶ月半の日数をかけて、岩波文庫版吉川一義訳失われた時を求めてを読了した。 論評にあたっては、約14巻それぞれの巻末で訳者が作品に深い洞察を持って記されているから、このノートは、これだけ長い作品を読むということが私にとってどのような経験になったかを主に書こうと思う。 私はAmazonで全巻セットの美装ケースを一括購入した。元々フランス文学に興味があったのもあるが、約6000ページという超大な時間の読書体験という新規性に惹かれていた部分が大きいと思う。 大学の教室、バイト先

    • 上野、桜見てきました。

      上野メモ 偶然、持ち合わせたタバコは、韓国で買ったタバコだった。タバコのパッケージの写真でバッド入ると思ったが、グロ画像はそれ以上の意味を持たなかった。時の止まった静止画であり続けた。通常、グロ画像は常に詩的である。より広がった想像の世界を生む。この写真には劇がない。血みどろで乾いた汗と精液の臭いがした悲劇がない。こんなモノに喫煙を止めるような抗力があってたまるか。肺炎で誰にも看取られずに死んだ俺のおじの写真でも貼っとけ。 喫茶店の窓辺から喧騒の街並みを見渡す。人一人に銘々

      • 責任逃れ、大人になるということ

        多種のSNS、ないし夜の仕事をやっていて思ったことがある。 小中高と、自分の中の社会が学校だけであった時は、関わる人間の数にも限りがあったし、限りがあるからこそ、個々人への思い入れは強いものであった。 しかし、大学生になり、夜の仕事を始めたり、SNSやサークル内で多種多様な人間と関わると、関わる人間の数は増えるが自分の中で人間関係を持つということの責任が増え、ストレスになるのを感じる。 大人になるってなんだろう、と思った時、そのひとつに責任から逃れないこと、があげられると思う

        • 受験、というか親からの束縛とその告白

          ただのへそ曲がりな自分の、過去の少年らしい親への反抗をここで昇華させて頂きたい。 昔から、自分はそれなりに勉強ができた。 別に好きでもなかったけど、それなりに世界の事柄に対して関心はあったから、学校の授業くらいはぼちぼちしっかり聞いていた。田舎の公立中学校で5本指に入るくらいだったと記憶している。 今思ってもろくでもない教師がたくさんいた。自分は小学生の頃に教師に無情な嘘をつかれてハメられかけた経験があり、それ以後教師に対しては常に大きな猜疑心と嫌悪感を持って接していたと思

        失われた時を求めて、読了

          死にてえーーーー!!!!

          現在、書き始めは1月13日AM4:19、半開きのカーテンの間から見える暗闇が、もうすぐ太陽に照らされる時間だ。 ここ最近、夜は常に死にたいという感情に苛まれている気がする。それもただ漠然とではなく、将来に対する不安だとか、生きることの無目的さだとか、割としっかりめに連日病んでいるからこそ具体化されている。 現在私は21歳、思えば高校1年生位の頃からこの感情と付き合っていると思う。交際6年目といったところであり、そろそろ結婚を考えている。希死念慮と私の間に生まれる子供は、絶

          死にてえーーーー!!!!

          胸張って嫌いと言いたい

          「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」 三島が1度だけ、太宰と相対した時に放った言葉である。 私はこうやって面と向かって人に嫌いと言い放つことができる三島が好きだ。 人や作品をなんとなくで嫌悪するのは簡単なことであるが、それを当人の前で言い放つのは、些か簡単な話では無いと思う。 そこには、それを嫌う自分の中での正当な理由付けを要求する。 生活の中で、周りの人間が他の人間を安易に嫌ったりすることに辟易する。私は彼らに対して、それを本人の前で胸を張って言えるのかと問いただしたい

          胸張って嫌いと言いたい

          唐揚げに覚えた性的興奮

          【決して綺麗とは言えない表現が多々含まれます】 自認していることだが、私は極度の、極まりない変態である。私は何に対して性的興奮を覚えたとしても、社会一般の倫理観よりも私のその興奮を優先してしまう癖がある。 私はYouTubeショートでふいに流れてくる唐揚げを食べる動画を何も考えずに観ていると、ふいに私の愚息が真っ赤に充血して隆起しているのに気づく。 私は通常、唐揚げというものを、こよなく、それは聖書に現れるイエスのパンよりも神聖で、なおかつ美味なものであると認識して

          唐揚げに覚えた性的興奮

          非凡な人間が自由を欲して

          何に対してもある程度のパフォーマンスを示せる人がいる。全くの自慢では無いのだが、自分自身がそうだと思う。基本的に何をするにしても人並みより少し上くらいの成績が出せる。しかし、それを仕事として食べていけるような、そういう天才型の人間ではない。 別の話をさせてもらう。この現代社会で生きるということはある程度不自由というものを避けては生きられないと思う。働くということは、それだけその仕事に対して自分の身体が拘束され、営業だとか、エンジニアだとか、そういう仕事内容について考える時間

          非凡な人間が自由を欲して

          自宅にいるのに帰りたい

          ふと、自宅にいるのに、帰りたい、と思う癖が自分には昔からある。 恐らく高校生くらいの頃からだと思う。 自分はあまり学校という機関が性に合わず、団体行動を強いられるところにとても窮屈に感じていた。授業中も、水を飲みたい時もろくに水を飲めない、トイレに行くことすら先生のご機嫌を伺わなければいけない。そんな環境に小中高と無理矢理入れられて、辟易していたんだと思う。 当時の自分は、学校にいる時、帰りたい、が口癖になっていた。毎日、誰かに対して必ず1回は 帰りてえ〜 と発言していた

          自宅にいるのに帰りたい